- 玉城
- もし、同じような状況で自分が何千万円もかけて家を建てるとしたらどうでしょうか。建築予定地の測量をしてみたけれど、どうしても四隅のうちの1ヵ所は掘っても掘っても地盤を調べられないポイントがある。「でも他の3ヵ所は大丈夫ですから家の建築を進めましょう」なんて言う設計事務所に、何千万円も払えますか。普通なら、ここにこのまま家を建てるわけにはいかないという気持ちになりませんか。「辺野古の新基地建設の問題は、それと同じなんですよ」と話すんです。

- 元山
- なるほど分かりやすい。聴衆の方々の反応はどうですか。
- 玉城
- いいですよ。こういうたとえ話をすることで、「自分ごと」としてとらえてもらいやすくなる気がしています。トークキャラバンに来ていただいた人の中には「今まで関心がなかったわけじゃないけど、ここに来て話を聞いて、何が問題なのかようやく分かった」という人が確実にいます。だからこそ私も5年間続けてこられたし、そうした「伝える」努力を今後もしっかりとやり続けていくことが大事なんです。
普天間基地近くで生まれ育った元山さん
私が生まれたのは普天間基地野嵩ゲートから750mほどの病院で、実家から普天間基地のフェンスまでは歩いて5分ぐらいの距離です。小さい頃の私にとって普天間基地は「なぜか入れない場所」「草野球のボールが見えるのに取りにいけない場所」でした。2004年、中学校1年生のとき、沖縄国際大学に普天間基地の米軍ヘリコプターが墜落。母が墜落事故現場から200mほどのところで遅い昼食を取っていて、部活から帰るときに墜落の話を聞きました。そのときは怖いと思いましたが、母に何事もなくてよかったという程度の認識でした。当時は、親も先生もあまり基地について語ることはなかったので、反対運動をしている人たちに対しても「どうせ変わらない」と斜めから見ていました。基地問題としっかり向き合いはじめたのは、2011年に東京に出てからです。塾で先生や同級生から、当時話題になっていた普天間基地について「実際どうなの?」と尋ねられたんですね。それで、知らないことは恥ずかしいと思い、勉強し始めるようになりました。

対談翌日、宜野湾市の佐喜眞美術館屋上から普天間基地を眺める元山さん(撮影/今井一)。
辺野古の基地建設をめぐる
30年の動き
1995年
- 9月
- 小学生の少女が米兵3人に暴行される事件が発生

1995年10月、米兵の少女暴行事件に抗議し、沖縄県内外からの参加者であふれ返る県民総決起大会(写真提供/共同通信社)。
- 11月
- 「沖縄に関する特別行動委員会(SACО)」が設置
1996年
- 9月
- 日米地位協定の見直し及び米軍基地の整理縮小の賛否を問う県民投票。賛成が多数を占める
- 12月
- SACО最終報告(普天間飛行場の返還と沖縄本島東海岸沖への海上施設建設を定める)
1997年
- 11月
- 海上ヘリポート案が県及び名護市に提示される
- 12月
- 「ヘリ基地建設」の賛否を問う名護市民投票が実施され、反対多数となる
1999年
- 12月
- 政府が「普天間飛行場の移設に係る政府方針」を閣議決定(12月28日)
2002年
- 7月
- 政府が普天間飛行場代替施設の基本計画を策定(辺野古沖案)
2004年
- 8月
- 米海兵隊所属ヘリコプター(CH-53D)が沖縄国際大学構内に墜落

2004年8月13日、沖縄国際大学の米軍ヘリ墜落現場(写真提供/共同通信社)。
- 11月
- 那覇防衛施設局が辺野古沖のボーリング地質調査を開始
2005年
- 10月
- 日米安全保障協議員会(「2プラス2」)で、L字型案で合意
2006年
- 3月
- 「普天間基地の頭越し・沿岸案に反対する沖縄県民総決起大会」に3万5000人が参加
- 5月
- 2プラス2で、V字型案(現行案)について合意
2010年
- 9月
- 仲井眞知事(当時)が県議会で「普天間飛行場を県外に移設することを求める」と表明
2013年
- 12月
- 仲井眞知事が埋め立て承認を表明
2014年
- 11月
- 沖縄県知事選挙で、辺野古への移設阻止を公約に掲げる翁長雄志氏が当選
2015年
- 5月
- 「止めよう辺野古新基地建設!沖縄県民大会」が開催され、3万5000人が参加
2018年
- 8月
- 翁長知事急逝後、職務代理者の謝花副知事が埋め立て承認を撤回
- 9月
- 沖縄県知事選挙で、辺野古への移設阻止を公約に掲げる玉城デニー氏が初当選

2018年9月30日、辺野古の基地建設反対を訴えて知事に当選した玉城さん(写真提供/共同通信社)。
2019年
- 1月
- 安倍総理(当時)が辺野古沖の軟弱地盤の存在と地盤改良工事の必要性を国会で初めて認める
- 2月
- 「辺野古米軍基地建設のための埋立ての賛否を問う県民投票」を実施。反対が多数を占める

2019年2月25日、県民投票の結果を受け、記者団の取材に応える元山さん(写真提供/共同通信社)。
2021年
- 11月
- 沖縄県が、沖縄防衛局から提出された変更承認申請を不承認
2022年
- 4月
- 国土交通大臣が、沖縄防衛局からの申し立てを受け、県の不承認処分を取り消す旨の裁決を出す
2023年
- 12月
- 国が沖縄県に対して承認するよう命じる判決を求めた訴訟で、福岡高裁が国の請求を認める判決
2024年
- 1月
- 国の代執行を受けて、大浦湾での埋め立て工事始まる

もとやま・じんしろう
1991年、沖縄県宜野湾市生まれ。「辺野古」県民投票の会元代表。INIT(国民発議プロジェクト)共同代表。国際基督教大学教養学部卒業。現在、一橋大学大学院法学研究科博士課程。法政大学沖縄文化研究所奨励研究員。SASPL(特定秘密保護法に反対する学生有志の会)やSEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)などの立ち上げ・中心メンバーとして活動。2019年1月、「辺野古」県民投票への不参加を表明した5つの市の市長に対して、全県実施を実現するためのハンガーストライキを行なう。
たまき・でにー
1959 年、沖縄県うるま市(旧与那城村)生まれ。福祉職、内装業、音楽マネージャーなど様々な職業を経てラジオ・パーソナリティやタレントとして活動。沖縄市議会議員を経て、2009年に衆議院議員選挙に立候補し当選。4期務める。2018年9月、国会議員を辞職し、沖縄県知事選挙へ立候補し当選。現在は2期目。著書に『新時代沖縄の挑戦―復帰50年 誰一人取り残さない未来へ』(朝日新聞出版)、『デニー知事激白!沖縄・辺野古から考える、私たちの未来』(高文研)など。
後編に続く
1月下旬、沖縄県庁にて。
構成/仲藤里美 撮影/白木裕紀子