子どもたちが安心して
「子ども」になれる場所を
つくる。
一般社団法人子どもソーシャルワークセンター つばさ
/岡山県倉敷市
取材・文=丸山裕子(通販生活編集部)
家々に灯りがともり、路地に晩ごはんの匂いがただよいはじめる夕暮れどき、誰もいない家にひとり帰って、夜遅くまで働く親の帰りを待つ子どもたちがいます。
自力でお腹を満たし、お父さんやお母さんのかわりに家事をする「小さな大人」になっている子どもたちが、週に1度、子どもに戻って過ごせる場所が、倉敷の町家にあります。
一般社団法人子どもソーシャルワークセンターつばさ(2016年設立)が運営する「倉敷トワイライトホーム」。台所から大根を切る音がひびくかたわらで、子どもたちは畳にべったり座ってゲームをしたり、今日一日のできごとを話したり、思い思いに過ごしていました。
き・なな●2015年川崎医療福祉大学(倉敷市)在学中に医療福祉学科の学生たちを集めてトワイライトホームを立ち上げる。翌2016年には一般社団法人化し、代表理事に。卒業後はアルバイトで生計を立てながら活動を広げている。
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子どもの成長過程にとって欠かせないのが、どんなときでも受け入れてもらえる「居場所」です。おもに家庭や友だちとの社会がその役割を果たしますが、経済的な困難を抱える子どもの多くが、両親が家庭にいる時間が足りなかったり、塾や習い事に行く友だちたちに置いていかれて、居場所をなくしがちなのです。
「倉敷トワイライトホーム」は、なかでも子どもたちがいちばん行き場をなくしやすい「夕方の居場所」です。代表理事の紀奈那さんが川崎医療福祉大学(倉敷市)在学中に医療福祉学科の学生たちと立ち上げた場所で、現在も学生ボランティアが中心となって晩ごはんを準備したり子どもたちの遊び相手をしていて、平日は週に5日、17時から20時半まで日替わりで2~3人に数をしぼって家で孤立していた子どもたちを受け入れています。
「ほかにも来たいといっている子が6人いるのですが、もう1ヵ所、新しい家が借りられるまで待ってもらっています。うちでは1人1人の子どもが会話の主役になるようにしたいので、1日に来てもらう子の数を増やせないんです。人数が増えると話をする子がどうしても限られてしまう。そうなると、ふだん家で忙しいお母さんに遠慮して自分の話ができないのと同じになってしまいますから」
子どもたちが安心して通えるようにトワイライトホームの住所は非公開。民家の1階を夕方だけ格安で借りている。使い込まれた家具が並ぶ部屋は台所と6畳、8畳の和室がひとつづきになっていて、親戚の家にごはんを食べに来ているような雰囲気。
この日トワイライトホームに来ていたのは、高1の遼太郎くんと中2の春美ちゃん、小6の友くんの3兄弟(すべて仮名)。シングルマザーのお母さんは体調に波があるなか、体が動くときはダブルワークで居酒屋で深夜まで働いて家計をやりくりしているそうです。
学生ボランティアが手際よくごはんをつくるかたわらで、春美ちゃんと友くんはテーブルにおかずが並んで「ごはんだよー」の声がかかるまで、対戦ゲームに熱中していました。
「見学に来た方からよく『お手伝いさせないの?』と聞かれるんですけど、ウチに来ている子は家で十分やっていますから。小学生なのに毎朝卵を焼いて弟に食べさせていたり、お母さんのかわりに溜まったゴミを何袋も捨てていて学校に遅刻したり、毎日ずっと頑張っている子たちだから、ここに来る日くらいはよその子と同じように待っているだけでご飯が出てきて、食べたあとは食器を洗ってもらえて、自分の好きなことだけをして過ごせる時間をつくってあげたいんです」
気づくとごはんを待つ間も、食卓でも、子どもたち1人1人の側にはそれぞれスタッフが寄り添っていて、「春美、そろそろ爪切らなあかんで」「遼太郎、顔やせたな。なんかあったん?」「友は来週、運動会やろ?いっぱい食べて力つけな」とめいめい話しかけています。
紀さんの話では、姉弟の面倒を任されてきた上の子ほど自分の話は後回しにしがちで、悩みがあっても口にしないため、1人1人と話ができるように大人の数を多く配置しているそうです。
「4年前に小学6年生だった遼太郎くんが初めてここに来たときもそうでした。『好きなことしていいよ』と言っても『俺は大丈夫』って妹と弟が遊ぶ様子を横でずっと見ている。それがここへ通っているうちに少しずつ1人でギターを弾いたり、将来のことも話すようになってきました。自分だけに話しかけてくれる人ができて、自分のことだけを考えていい時間が持てたことで、『小さなお父さん』からふつうの子どもに戻れているんだと思います」
今晩のごはんは学生ボランティア内海さんの力作。豚の生姜焼き、大根とツナの煮物、油揚げのおみそ汁。子どもたちは家と同じように自分専用のカップを使っていて、友くんのカップは先月のお誕生日会でプレゼントされたばかりの新品。
非行少年と呼ばれていた男の子は、
「俺、ホントはさびしいんだよね」とつぶやいた。
社会福祉士を目指していた紀さんが、資格取得と就職活動をやめてまでトワイライトホームを存続させる道を選んだのは、これまで関わった子どもたちが「困ったらいつでも行ける場所」をなくせないという思いからでした。なかでも1人の女の子との出会いが、紀さんの決意を固くさせたといいます。
「小学校低学年のときに初めてトワイライトホームに来たのですが、成長に大きな遅れがあって言葉が話せませんでした。生れてからずっと両親からネグレクトを受けている状態で育ったため、親戚の家に預けられるまで、幼稚園にも小学校にも通えていなかったそうです。
ここへ来てからも初めの半年はごはんも食べられなくて、叫ぶか地団駄を踏んで泣くことしかできなかったのが、少しずつ言葉を話せるようになると私にべったり甘えてくるようになりました。台所までくっついてきて『今日ね、学校でね』ってずっと話しつづけたり、私が畳に座るとサッと膝へすべり込んできて膝枕のまま動かなかったり、箸を口に運んであげるまでご飯を食べなかったり。
それが、さらに1年経ったら一気に反抗期がきた(笑)。何を言っても『イヤだ!』『キライ!』『あっち行け!』って激しかったです。ああ、この子はほかの子が生まれてから何年もかけて通ってきた成長過程を、いま必死に駆け上がっているんだと思いました。子ども時代をちゃんと子どもらしく過ごすことが、子どもの成長にどれほど大事なことか彼女に教えてもらいました」
ごはんが終わったあとは、子どもたちとスタッフ全員でカードゲームがスタート。ゲーム中にもれる何気ない言葉や、家まで送り届ける帰り道の会話で、子どもたちが抱えている心配ごとをキャッチできることもあるという。
「小学校5年生にして学校で“非行少年”と呼ばれていた男の子も、ここへ来て『子ども』に戻った1人です。『親も先生も俺がわるいって言う!』と荒れてばかりだったのが、トワイライトホームへ通ううちにだんだんと落ち着いてきました。そうしたら、ある日、ボランティアの男子学生の膝の上にポンッと座って『俺、ホントはさびしいんだよね』とつぶやいたんですよ。肩で風を切って威張り散らしていた子が、話を聞いてくれる大人がいるだけで、こんなに子どもらしく素直になるんだとおどろきました。
子どもたちの親御さんとお話しすると、みなさんものすごく愛情を持っていらっしゃるのがわかります。でも、子どもとの生活を守るためには働かなければならない。ダブルワーク、トリプルワークで時間がなかったり、親御さんご自身が疲れ果てていて、子どもたちの話を聞く余裕が残っていないんですね。私たちのトワイライトホームが少しでもそのかわりのお手伝いができればいいなと思っています」