子どもたちの居場所づくりを行うNPO法人学習支援ヴァパウスは、2006年に代表の木村素子さんの地元である広島県福山市でスタートしました。「友人のある一言が、この活動をはじめるきっかけになった」と木村さんは言います。
「当時、私は国連職員を目指してカナダの大学で人権学を専攻していました。夏休み、地元に帰省したとき、以前一緒の学習塾で働いていた友人から、『世界の子どもたちを支援するまえに、地元の困っている子どもたちの現状を見て欲しい』と言われたんです」
「友人は小学校でPTAの役員をしていたのですが、よく周りのお母さんたちから地域の子どもたちについて相談を受けていました。『夜寝るときも朝起きるときも一人で、ご飯もちゃんととれていないという子がいたり、仕事が忙しいお母さんの代わりに学校を休んで幼い弟妹の面倒をみている子もいる』と。
そんな子どもがこの街にいると言われても、私にはにわかに信じられなかったんです。というのも、私が生まれ育った福山市は、瀬戸内海にある工業地帯で、昔から製鉄業や造船業が盛んな街でした。駅前には大きな百貨店があって、商店街もにぎわっていて、子どもがたくさんいる街、というのが私の福山市のイメージだったからです。
さらに、友人は『最近、とくにお母さんたちの間で心配されている翔太くん(仮名)という5年生の男の子がいて、深夜に公園で野宿をしている』と言うのです。『翔太くんは父子家庭で、お父さんが仕事詰めでほとんど家に帰ってこないから、家はゴミで溢れていて、寝る場所もない。家にもいても落ち着かないから深夜に街を徘徊したり、公園で野宿したりしている』と。
正直、このご時世にそんな子どもがいるのかと衝撃を受けたと同時に、本来子どもたちが安心できる場所である『家』が、その機能を果たせていないことに危機感を抱きました。子どもたちを一人にさせない居場所が必要だと考え、その日のうちに、友人と『子どもの居場所づくり』をする活動をはじめようと決めたんです」
地元の子どもたちは、地元で守る。
2006年の8月、まずは地域の子どもたちの現状を知るために、木村さんたちは小中学生の夏休みに合せて、無料の学習会を開催したそうです。「子どもたちが参加しやすいように、『夏休みの無料勉強会を公民館で開きます』と学校で宣伝をしてもらいました。学習会には1週間で20人ほどの生徒が集まり、勉強を通して子どもたちの悩みや困っていることをこの目で見ることができました」と木村さんはおっしゃいます。
「参加人数はそれほど多くはありませんでしたが、野宿をしている翔太くんに『学習会に来てみない?』と話しかけ、繋がりをつくるきっかけになりました。結局、最後まで夏の学習会には参加はしてくれませんでしたが、毎晩彼と話すために公園へ行くようにしたら、だんだん心を開いてくれるようになりました。その後、遅れていた勉強を教えたり、進路の相談にのったり、彼はいま23歳になりましたが、困ったことがあると連絡が来るから、頼りにしてくれているんだと思います。
なにより、参加した子どもたちや、その保護者の方々から『ふだんからこういう居場所が地域にあって、勉強をみてくれたら』という声が上がったことや、講師として参加してくださった自治会の方から『この地域では毎年、共働き世帯やひとり親世帯が他市、他県から転入してきて増えている。だから、子どもを十分に見てやれる家庭が少なくなってきている』という話を聞けたことで、より子どもたちが安心できる居場所の必要性を感じることができました。
夏の学習会のあと、教室会場の提供や、教材の寄付など地域の助けを借りて、2006年9月に子どもたちの居場所と学習を支援するNPO法人を立ち上げました」
本だなにズラリとならぶ教科書や大学受験の参考書。このすべてが卒業生や商店街の方々から寄付されたもの。
自分で考えて、自分で解決する力を育てる。
ヴァパウスは現在、福山駅前の商店街の一角で、カフェの居ぬき物件を改装して活動を行なっています。子どもたちがいつでも来られるよう平日は毎日開いていて、学校が終わる17時ごろから、生徒たちが続々とやってきます。今年は小学2年生から大学受験を控えた高校3年生まで、30人ほどが通っています。
毎晩、木村さんや学生スタッフが中心になり、晩ごはんを出す「食の支援」も行なっています。生徒たちも食べるだけでなく、みんなで調理をしたり、後片付けを手伝ったりするそうです。
取材に伺った日は、小学生の兄妹が一番乗りでした。
さっそく教科書を開いて勉強を始める二人に、木村さんはキッチンの向こうからこう言います。「今日は何しようか?」
すかさずお兄ちゃんが「俺は理科!どうしても分からないところがあって」
すると妹も「わたしは算数かな」
「OK、ご飯の準備ができるまで、できるところまで進めてみようか。分からないところがあってもすぐに聞くんじゃなくて、一回自分で考えてみてね」と木村さん。
勉強がひと段落ついたら晩ごはん。今日は木村さん特製のハンバーグとポテトサラダ。「ハンバーグめっちゃ美味しい!おかわりってありますか」と大のハンバーグ好きのお兄ちゃん。
ヴァパウスでは毎日、晩ごはんを出していて、生徒みんなで厨房に立ってつくる日もある。「食事や調理を通して、その子の家庭の食事事情を知ることができます」と木村さん。
基本的に、ここでは先生たちが黒板の前で授業を行ったりすることはなく、生徒が自分自身で「今日やること」を決めて勉強をしてもらう、と木村さんは言います。
「ここに来る子どもたちの多くは、兄弟が多かったりひとり親だったり、経済状況の厳しい世帯の子どもです。彼らの中には自己肯定感が低く、『頑張ってもどうせ報われない』『お金がないと何にも実現できない』と夢を諦めてしまう子どもたちがいます。
なので、子どもたちにはまず自尊心と、『自分で決める力』をつけてもらっています。今日やる勉強を自分で決めるのもその一環です。学校や一般的な学習塾では教科書があって、それに沿って授業が進むので、どうしても受動的になってしまいがちです。
はじめは戸惑う生徒もいますが、慣れてくると自分が『何が分かっていないのか』そして『どうすれば解決できるのか』を自然と考えるようになります。
進学に限らず社会に出てからも、能動的に物事を考えられるように、子どもたちにはこの癖をつけるよういつも言い聞かせています。
この日は小学生、中学生、高校生の生徒が来ていた。ご飯を食べる子、勉強を始める子、おしゃべりする子など、ふつうの学習塾とは違って自由な雰囲気。
困難を自分の力で克服できたとき、子どもは初めて『達成感』を感じます。そのとき、『よくやったね!』『すごいね!』とほめる。誰だってほめられると気持ちいいし、次も頑張ろうと思えますもんね。こうして少しずつ、自己肯定感や自信を積み重ねていくんです。
他の学年の子たちとも会話できるように、あえて小学生も高校生も同じ空間で勉強をしてもらっています。お母さんに聞いてほしかった『今日あったこと』を、みんなに話すことで、自分を表現する力や人の話を聞く力も身につけることができます。小学生にとってちょっと先の未来である高校生のお兄さんやお姉さんがひとつの目標にもなりますからね」
勉強が終わったあとゲームがスタート。この日のゲームは「ハンバーガーゲーム」で、オーダー通りにハンバーグをつくって稼いだお金を競う。小学生兄妹、中学1年生の女子生徒、木村さんによる白熱した試合。
希望の格差を生まないために。
ヴァパウスさんをはじめ、学習支援を中心にした居場所づくりをしている団体さんは全国でも少なくはありませんが、その中でもヴァパウスさんの特長は「子どもたちの夢を絶対に諦めさせない」ことです。
「家庭の経済的な状況から、『学費のかからない公立なら、偏差値が低くてもいい』、『中卒にならないために、とにかく入れるところがあれば』という生徒は少なくない」と木村さんはおっしゃいます。「家庭の事情を考えてそう言っているところもあると思いますが、その発言の裏には『どうせ自分なんて』という自分に対する自信の無さもあります。5年前に、ここにやってきた明子さん(仮名)もそうでした」
授業終わり、お母さんのお迎えが来るまで、木村さんから奨学金の種類を教えてもらう高校2年生の咲さん(仮名)。「こんなに奨学金の種類があるなんてしらなかった、返さなくていいのもあるの?」(咲さん)
「当時、明子さんは中学1年生。経済的な理由で学習塾に通わせることができないから、とお父さんがここを探し出して、明子さんを通わせるようになりました。
気になったのは、彼女の口癖が『すいません』だったこと。問題が解けても『すいません』、『ここはこうだよ』とアドバイスしたときも『すいません』と、いつも自信なさげに、うつむき加減で『すいません』という彼女。この口癖の背景には、自分を無意識的に卑下している感じがしました。
だから、私は明子さんに『謝る必要はない。はい、わかりました!って堂々と言えばいいんだよ。恥ずかしいことなんていないし、自分を卑下することもない』と言いました。すぐに変化があったわけではありませんが、時間をかけてゆっくりと彼女に自信をつけさせ、ほめるときは全力でほめて、そして『自分で考える癖』をつけさせたことで、少しずつですが明子さんは前向きになり、いつの間にか『すいません』という声も聞かなくなりました。
2年後、明子さんはずっと夢だった音楽学校の声楽科を受験しました。九州にある名門の音楽学校で、実技はもちろんのこと偏差値も高い学校でしたが、見事合格。
卒業の日に、ヴァパウスに来てみんなの前で歌声を披露してくれたのですが、初日に『すいません』とうつむきながら言っていた面影はなく、自信に満ちた顔で歌うその姿に思わず泣いてしまいました。
ヴァパウスに通う生徒の多くは、明子さんのように経済的な困難を抱えた家庭の子どもです。また、ここ2、3年でその割合も増えてきました。
経済的な理由から自信を無くし、将来の夢まで諦めてしまう『希望の格差』が生まれないように、ここが生徒たちにとって『自信をつける場所』になるよう、これからも支援を続けていきます」