「喋る」をふたつ重ねて 「喋喋(ちょうちょう)」。
希代のおしゃべり・古舘伊知郎さんが
ゲストを迎え、おしゃべりを重ねます。
マイク一本で観客を魅了する「ひとり喋り」の芸。
その舞台をライフワークとして続ける古舘さんが、
講談の世界に現れた新星・六代目神田伯山さんの
〝喋り〟の魅力に迫ります。
会話のセッションが始まりました。
古舘伊知郎さん
ふるたち・いちろう●1954年、東京都生まれ。大学卒業後、テレビ朝日にアナウンサーとして入社。84年に退社後も数々のテレビ番組で活躍。ネットテレビ局ABEMAで『For JAPAN -日本を経営せよ-』(金曜21時30分〜)の司会を務める。
神田伯山さん
かんだ・はくざん●1983年、東京都生まれ。2007年、講談師・三代目神田松鯉に入門し「松之丞」を名乗る。20年に真打昇進と同時に六代目神田伯山を襲名。TBSラジオで「問わず語りの神田伯山」(金曜21時30分~)レギュラー。
- 古舘
- 昨年12月に伯山さんの独演会を見せていただいたんですが、そのときにまくらでお父さんの話をされていました。小学生のときにお父さんが亡くなって、子どもながらに家族の中のただならぬ気配を感じていた……。
その日の演目は忠臣蔵「赤穂義士伝 南部坂雪の別れ」でした。大石内蔵助が吉良邸討ち入りの前に、亡き主君・浅野内匠頭の妻である瑤泉院に会いに行く。仇である吉良上野介を討つとは最後まで言わず、偽りの理由だけを述べて瑤泉院に別れを告げる内蔵助。聞きながら、伯山さんとの二人羽織で真っ白いキャンバスに別れの場面を描いているような不思議な気持ちになりました。
同時に、まくらで聞いていたお父さんとの「別れ」がラストの別れの場面につながり、悲しみが改めて胸にぐっと迫ってきて、泣きました。 - 伯山
- そう言っていただくと光栄です。僕の父は自死だったんですが、死ぬ前に自分の両親の墓参りに行ってるんです。それを聞いたとき、「墓の前で何を話したんだろう」って子どもながらに想像していました。あるいは、「ご迷惑をおかけしました」と書かれた遺書の震える文字を見たときのあの重さ。父は朝の5時くらいに自転車で家を出ていったんですが、まだ寝ていた僕や兄の寝顔を見ていたかもしれない。死ぬということは心に決めていただろうけど、何を考えていたんだろうと思いを巡らせたり。
小学生の頃はとても受け止めきれなかったそういう思いが、内蔵助の物語につながってくるんです。自分が皮膚感覚で受けたとてつもない感情を、内蔵助もこうだったんじゃないかと物語にぶつけることで、自分がなんとか立っていられる。だから、講談というのは僕の中で「薬」でもあるんです。 - 古舘
- 心理学でいう「投影」ですね。
- 伯山
- さっき話した「ピースが欠けている」と感じたあたりからずっと、自分を投影できるものを探していたような気がします。講談師になっていなかったら、とっくに死んでいるか引きこもっているかどちらかだと思う。ほかの職業に就くことは、ちょっと考えられない。
講談は伝統芸能と言っていますけど、突き詰めれば一人の人間が喋っているだけの芸なんですよね。私たちはその喋りにお金を払っていただいているわけですが、そこに価値があると信じられるのは、談志師匠や師匠・松鯉の高座を見て「すごい」と感じた経験があるからだと思います。伝統芸能は憧れの連鎖なので、「これが一番すごい」と感じた経験が根っこにないとダメなんでしょうね。もし僕が「映画のほうがすごい」と思いながら講談をやっていたら、まったく伝わらないと思います。本当はそういう経験を下の世代に与えられる側にならなきゃいけないんですが、まだまだそこまではいけていませんね。

- 古舘
- 伯山さんの講談を聞いていてすごいなあと思うのは、聞いている僕たちを読んでいる物語の中に連れていってくれることです。江戸時代の話なら江戸時代に、ふわっとタイムスリップさせてくれる。雨が降っている場面だったら、本当に雨が降ってきたような気がしてくるんです。しかも、それを「ひとり喋り」でやってしまうわけだから「喋るタイムマシン」なんですよ。
- 伯山
- 僕も先日、古舘さんのトークライブ「トーキングブルース」を聞かせていただきました。すごかった。2時間半、1摘の水も飲まずに喋り続けるパワーに感服しました。「オレの全盛期は今だ」と見せつけているようでした。
- 古舘
- 自分でも当然老いや衰えは感じるし、声のキーも昔より下がってます。だからこそ、何もない舞台に水だけ置いているのに意地でも飲まない。飲んでしまうと等身大の、69歳でヘロヘロな自分に戻ってしまいそうだから。水を飲まないことで、自分で自分を騙しているんだと思います。
- 伯山
- そういうところが、少し義太夫語りに似ていると思いました。講談や落語は、語り手が年を取れば口調をゆっくりにしたり、年を重ねたなりの芸に変わっていくんです。でも、義太夫はそうじゃない。いかに自分の最高の音を出し続けられるかが鍵で、常に全盛期の芸を目指す。「この高音が出なくなったら引退する」という方もいらっしゃいます。古舘さんからもそうした矜恃を感じました。
一方で、伝統芸能はすでに型が備わっている。ところが古舘さんは「実況」や「ひとり喋り」という芸を一から開拓されてきていて、本当に「道なき道」を歩んでおられる点をすごく尊敬しているんです。
お客さんを喜ばせたい一心で喋っていると、
記憶が改ざんされていく。
- 古舘
- 『絶滅危惧職、講談師を生きる』を読んでいてすごく面白かったのが、この本では伯山さんが自分の来し方を語っているんですが、聞き手である作家の杉江松恋さんが伯山さんの大親友に事実関係を確認してみると、言っていることが全然違っていたりする。
- 伯山
- 僕は中学生のとき、初恋の女の子に告白されたのに断ったことがあるんです。ずっとそう思っていたんですけど、これも別の友人の証言によれば、告白してくれたのはまったく別の女の子だったらしい。それを、自分の好きだった女の子に話を作り変えていた(笑)。
- 古舘
- 記憶というのはどんどん更新されて、改ざんされていくものです。まったく関係ない情景をあちこちから引っ張ってきて合体させて、面白く作り変えちゃったりもする。僕も伯山さんと同じ部類で、「記憶のパッチワーク」をよくやっているんです。
- 伯山
- 以前テレビ番組で、古舘さんがその場にいなかった事件のことを、まるで直接見ていたかのように話していたのを拝見しました。
- 古舘
- 1987年1月、熊本県のある旅館で、プロレスラーたちが泥酔して暴れ、部屋を破壊した事件があったんです。僕はその現場で起きた一部始終をいろんなところで話していたんだけど、スケジュールをきちんと確かめたら、別の場所にいて熊本にいるはずがなかった。その前後の宴会には出ていたし、その場にいたレスラーたちから話も聞いていたので、すっかり「いた」と思い込んでいたんです。本音では今でも「やっぱり俺、いたんじゃないか」と疑っている(笑)。
- 伯山
- 「講釈師見てきたような噓を言う」と言われますが、噓をついているつもりはなくて、本当にそう思い込んでいるんですね。
- 古舘
- 僕たちはただ、話を聞いてくれるお客さんを喜ばせたい一心なんです。どうしたら喜んでくれるかを考えた結果、記憶が改ざんされていく。

対談は4月9日にプーク人形劇場で行なった。
伯山さんは、忘れた長襦袢の代わりに「手ぬぐい」を襟元に添えられた。
- 伯山
- 最後に、古舘さんに聞いてみたいことがあるんです。古舘さんは12年間『報道ステーション』(テレビ朝日系)のキャスターを務められましたが、もともとはプロレス実況や歌番組の司会などで活躍されていました。世間的にはバラエティのイメージが強かったと思うんですが、その中で報道の分野に行かれたのはどうしてだったんでしょうか。もちろん、キャスターとしての活躍も素晴らしかったと思うんですが、あえて違うジャンルに飛び込んだ理由を聞いてみたかったんです。
- 古舘
- 1つは、「このまま同じことをしていたら下降線を辿っていくばかり」という自分の中のアラートが鳴ったことです。「自分自身の新陳代謝を図ろう」と考えたんです。さらに言えば、喋り手として当時のテレビ界全体を見たとき、報道の一角にぽっかりと穴が空いているように見えた。自分も報道は苦手で逃げていたけれど、報道をやらないと喋り手として、アナウンサーとしての人生がフィナーレを迎えられないんじゃないかと考えました。
- 伯山
- スポーツ中継やバラエティの世界を席巻されたからこそ、「王道」の報道でも認められたいという思いがおありだったのかなと思ったんですが。
- 古舘
- 言われてみると、そんな意識があったのかもしれない。やはり報道というのは一つの権威で、アナウンサーたる者そこに着手しないと終われないという欲動はあったような気がします。
でも今はもう、バラエティだとか報道だとかいうこだわりはないし、テレビでもラジオでもインターネットでも、とにかく喋る場があればそれでいいと思っています。 - 伯山
- インターネットといえば、古舘さんのYouTubeチャンネルを拝見しています。開設当初はご苦労されていたかと思いますが、若手のアドバイスにもきちんと耳を傾けられて、今ではもう40万人を超える方々に見られていらっしゃる。ゲスト対談などもありますが、古舘さんの「ひとり喋り」を味わえる新しい場所になっています。
- 古舘
- 伯山さんの講談もYouTubeで聞くことができるので、まだ聞いたことのない方はぜひ見ていただきたいです。そして可能であれば、生の高座をぜひ見ていただきたい。飛び散る汗も見えるくらいの距離で聞くことで、講談の面白さ、伯山さんの類いまれな才能が必ず伝わるはずです。

撮影/山口規子、
古舘さん/ヘアメイク:林達朗、スタイリスト:髙見佳明、衣装:ライダースジャケット¥159,500(チンクワンタ/ビームス エフ)、ニット¥28,600(フィリッポ デ ローレンティス)、パンツ¥59,400(ベルナール ザンス/ビームス エフ)、その他全てスタイリスト私物。
撮影協力/プーク人形劇場