お風呂文化が世界に広がってみんな一緒にお湯につかれば戦争は起きないはずです。

前編を読む

「喋る」を二つ重ねて「喋喋(ちょうちょう)」。
希代の喋り屋・古舘伊知郎さんが
ゲストを迎え、おしゃべりを重ねます。
古代ローマと現代日本が“お風呂”でつながる
漫画『テルマエ・ロマエ』で知られる
ヤマザキマリさんと、銭湯を舞台に
会話のセッションが始まりました。

お二人のプロフィール

古舘伊知郎さん

ふるたち・いちろう●1954年、東京都生まれ。大学卒業後、テレビ朝日にアナウンサーとして入社。84年に退社後も数々のテレビ番組で活躍。現在、ネットテレビ局ABEMAで『For JAPAN -日本を経営せよ-』(金曜21時30分〜)の司会を務める。

ヤマザキマリさん

やまざき・まり●1967年、東京都生まれ。84年、イタリアに留学し国立フィレンツェ・アカデミア美術学院で油絵と美術史を専攻。97年から漫画家として活動する。漫画以外の著書に『ヴィオラ母さん』(文藝春秋)など多数。

ヨーロッパ人より日本人のほうが
古代ローマ人の感覚に近かったんじゃないか。

古舘
ヤマザキさんの漫画でもう1つ、昨年完結した『プリニウス』も、古代ローマが舞台です。冒頭、イタリア南部ヴェスヴィオ山の噴火シーンから始まりますし、日本でも有名なポンペイの街が地震に襲われるシーンも細かく描写されていて、同じ火山国に住む身として恐怖を感じました。
ヤマザキ
『プリニウス』のテーマは「災害」です。日本と古代ローマには、地震や津波、火山噴火にたびたび襲われる「災害大国」という共通点があります。そうした環境によって象られる知恵や良識、倫理観はどこか似てくるのかもしれません。
古舘
国学者の本居宣長が『古事記』を読んでいて、いつの間にか「古事記の世界」に入り込んでいたことがあったと聞いたことがあります。古事記の時代の道を歩き人と話をした、と。僕も『プリニウス』を読みながらまったく同じ体験をしました。行ったことのない古代ローマの街並みを歩き、完全に行った気持ちになりましたから。
ヤマザキ
プリニウスは、ネロが皇帝だった時代にハイスペックな百科事典のような『博物誌』を記した人です。『博物誌』の中には妖怪や怪物といった非科学的な記述も含まれているため、現在のヨーロッパでは奇書として扱われています。海外メディアから「日本人がなぜプリニウスを描くのか?」と聞かれることがありますが、妖怪のような民間信仰も含め、いまのヨーロッパ人より日本人のほうがよほど古代ローマ人の感性に近かったんじゃないかと私は思っています。お風呂だけにとどまらない共通点があるんです。
古舘
僕は仏教が好きで、すぐに釈迦の教えを思い浮かべてしまうんですが、プリニウスの視点は非常に原始仏教的です。自然の摂理には抗えないという感覚、人間と動物にそれほど差異はないと考えているところ。現代の社会はヒューマニズムといえば聞こえがいいけれど、「人間至上主義」の塊みたいなところがあります。だから、家畜動物の死には見向きもしないのに、知能の高いクジラが迷い込んで死ぬと「かわいそう」と思う。釈迦はそうした考えを否定するんです。人間含めどの動物も自分の役目を一生懸命果たしているだけで、そこに「良い、悪い」はない。『プリニウス』を読んでいると「人間よ、何を思い上がっているんだ」と言われている気持ちになります。
ヤマザキ
プリニウスは、人間とその社会のあり方を、他の動物や昆虫を観察するのと同じように俯瞰で見ることができる人。人間なんて実はそれほどたいした生きものじゃないんだというプリニウスの声が『博物誌』を通じて聞こえてくるようでした。
古舘
だからなのか、プリニウスは天変地異を前にしてもどこか諦めているところがあります。仏教では「諦める」の語源は「明らかに見極める」だといわれています。人間もまた自然の一部に過ぎないんだとプリニウスも〝見極めて〟いたんじゃないでしょうか。
ヤマザキ
お正月に発生した能登の地震で現地に住んでいる知人に連絡をしてみたら「地球のことなんかわからない。大変だけど仕方ないじゃないですか」と毅然としていらっしゃった。
古舘
それこそまさにプリニウスのような方ですね。

破天荒でバイタリティの塊のようだった母は、
ハイエースそのものでした。

古舘
今回、ヤマザキさんとは初めてお会いするので、自分の脳内を「ヤマザキマリ」の世界に染め抜いてみようと思って、ヤマザキさんの描いた絵を切り貼りして「パッチワーク」をつくってみたんです(下写真参照)。

対談は2024年2月15日、東京蒲田の銭湯・改正湯で行なった。
ヤマザキさんの絵を並べた古舘さん自作のボードを見ながら話が弾む。

ヤマザキ
すごい! うれしい。
古舘
そしたら油絵の本格的な肖像画からキャラクターのようなイラスト、エッセイに添える挿絵、似顔絵、動物と絵柄に脈絡がない。ヤマザキさん、何人いるんだって思いました(笑)。
ヤマザキ
私の絵の一律性のなさはいつか誰かから指摘されるだろうと思っていたんですが、その誰かが古舘さんだったとは(笑)。私は自分を芸術に携わる人間よりも、人様に楽しんでもらえてなんぼの絵を描く、どちらかといえば絵師、職人みたいなものだと思っています。絵描きを目指していたイタリアでの留学時代は本当に貧しくて、模写で稼いでいたこともありました。知り合いから「ラファエロの『聖母子像』を家に飾りたいから描いて」と言われて模写する。そんなことをしているうちに、描きたいもののテーマによってテクニックそのものを使い分けるようになっていったんです。
古舘
すごく例えが悪いですが、たしかアドルフ・ヒトラーも同じですね。政治家になる以前、観光名所の絵はがきを描いて糊口をしのいでいた。
ヤマザキ
実は私、ヒトラーと誕生日が同じなんです。
古舘
なんと! ヒトラーは絵描きになれなかったコンプレックスを引きずって政治家になり、自分の思い描く世界をつくっていった。ヤマザキさんも絵を描く人になれなかったら……。
ヤマザキ
彼は方向性を完全に誤った人でしたし、できれば共通点は無いに越したことはないのですが。あの雄弁さから察することのできる、情熱の横溢は決して理解できなくもない(笑)。
古舘
ヤマザキさんは絵で「ヤマザキマリの世界」をつくれたわけで、本当によかった(笑)。ただその背景には、お母様から受けた影響も大きい?
ヤマザキ
そうですね。破天荒でバイタリティの塊のような人でした。どうしても音楽がやりたくて、親に勘当されてまで単身で北海道へ行ってオーケストラに入り、結婚をするも相手には早くに先立たれシングルマザーとして私と妹を育ててくれました。本当に苦労した人なので、私がどんなに悩んでいても「それっぽっちのこと。くだらない」で片付けられてしまう。戦中派で、人生に過度な期待や理想が無い。だから、生きているだけで何もかもが素晴らしいと思えていた人でした。
古舘
すべてを受け止めた上で、はつらつと生きた方だったんですね。
ヤマザキ
昨年亡くなったんですが、どういうわけか悲しくない。寂しい、というのはあっても、悲しみじゃないんです。母のヴァイオリンのお弟子さんたちが全国から集まって追悼コンサートを開いてくれたんですが、そのとき母との思い出をスピーチする人がみんな「先生といえば……ぷぷっ」という感じで笑い出してしまうんです。いい追悼だなあと感じましたし、こういう良質のエネルギーをみんなに残してくれる弔いっていいもんだなあ、と。最後に母のために演奏をしたのが「威風堂々」でしたから最強ですよ。
古舘
ヤマザキさんはどんなスピーチをされたんですか。
ヤマザキ
「威風堂々」の後で、気の利いたことを言おうと思ったんですけど、「母は30万キロ走ってドアが落下した愛車のハイエースそのものでした」と、涙ぐみつつ笑ってしまった。会場の人たちも笑ってました(笑)。
古舘
いいですね、泣き笑い。
ヤマザキ
はい。やっぱり人生、泣き笑いが大事です。漫画でも映画でも、心に残っているのは全部、泣きと笑いの要素が入っている。
古舘
今日は2人ともものすごい勢いで喋りましたが、まだまだ足りないですね。こうして喋っていられるのなら僕も湯船につかれると思うので、ヤマザキさん、今度は着衣で入れるお風呂で話しましょう。
ヤマザキ
(対談場所になった銭湯の)黒湯や、乳頭温泉や白骨温泉みたいな白濁した温泉なら混浴でも大丈夫そうですね(笑)。古代ローマ式の温泉対談、楽しみにしています。

撮影/山口規子、ヤマザキさん/アメイク:田光一恵(TRUE)、スタイリスト:平澤雅佐恵、衣装:ドレス¥138,600、パンツ¥68,200(共にワイズ/ワイズ プレスルーム)、ネックレス¥44,000、ゴールドダイヤモンド入りスクエアリング¥462,000、シルバーネイルモチーフリング¥25,300(以上 tmh.)
古舘さん/ヘアメイク:林達朗、スタイリスト:髙見佳明
撮影協力/女塚温泉 改正湯

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