こんなことを言っても、得することはないんですけども…

「通販生活」で連載中の「こんなことを言っても、得することはないんですけども・・・」。気鋭の小説家、中村文則さんが誰に忖度することなく書き記していく時事エッセイです。
今月は「第1回 悲観的な予測をすることは希望に繋がると思う。」を取り上げ、改めて憲法と日本の行く末を考えます。

第5回

初出:「通販生活」2022年春号

悲観的な予測をすることは
希望に繋がると思う。

 今の日本社会をよく表している、と僕が思う心理学の言葉に、「公正世界仮説」というものがある。

 これは「自分達の社会は、公正で安全であると思いたい」という人々の心理を指す。努力が報われる社会であって欲しいし、安全な社会であって欲しい。何も悪いことをしていないのに、突然不幸に襲われる社会は嫌なので、そうではないことを願う。

 とても普通の心理だけど、行き過ぎると、実は「被害者批判」に転じることがある。

 社会で何か被害が発生した時、社会のシステムのせいだと不安になるので、なるべく社会のせいにはしたくない。そこで、被害者に対し「あなたにも何か落ち度があったのでは?」と問いたくなる心理が発生する。

 社会問題に声を上げる人の声も、うっとうしく感じてしまう。「不安になることを言うな。社会は大丈夫。あれは被害者や弱者が悪いんだ」というように。

 そして現在の社会を問題はあるのに無理にでも肯定しようとしてしまう。面倒なことは考えたくない、という心理も作用する。被害者のせい、とすることで、考えなくて済むことにもなる。

 これだと、社会の改善には繋がらない。必然的に、社会は徐々に劣化/衰退に向かってしまう。でも劣化/衰退に向かっている、とも思いたくないので、悪循環に入る。

 なんということだろう。

 似た心理に「正常化バイアス」がある。主に災害時、大丈夫と思いたい心理から、悪い情報をシャットダウンし、避難が遅れる現象を指す。

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不思議な白い生物が泳いでる、と思ったら、ビニール袋でした。現実は味気ない。

 日本のお伽話や、ヒットする物語は、大体この「公正世界仮説」に沿ってつくられている。悪は罰せられ、正義は勝つ。最終的に、世界/社会は大丈夫なものとなる。人々は安心の感覚を手に入れる。

 お伽話で言えば、「浦島太郎」は、亀を助けたのに、最後は急に年を取ってしまう。これだと不条理で不安なので、物語は浦島太郎に「過失」を付け加える。

 つまり「浦島太郎は開けるなと言われた玉手箱を開けたから、ああなってしまったのだ」という結論。これには実は、とても残酷な面がある。玉手箱を開けたんだから、そうなるのは当然だ、という人々の冷酷さを喚起させる可能性を有する。「そうなったのは、悪いことをしたからだ」。人々が無意識下で望む「他者への懲罰願望」をも満足させてしまうというような。よくホラー映画で、最初に仲間を裏切った人が殺害される、というのもある。

 これと反対に、西洋のグリム童話などは、不条理な物語が多い。世界はまだ矛盾に満ちていることを、子供にもしっかり伝えようとするのかもしれない。

 現代の物語で、最も「公正世界仮説」に沿っている、と僕が感じたのは、大ヒットした映画『君の名は。』。身体が入れ替わり、時空を超え、過去に起こった大災害の被害をなかったことにする物語。これは、東日本大震災をなかったことにしたい、という人々の無意識の願望を、慰撫するものになった。優しい物語だけど、観終わった後はすっきりするので、解決した感じになり、まだ道半ばの被災地の復興には、中々思いはいき難い。公正世界仮説的な心理が、強化されるというような。

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はみ出した存在も、温かく育って欲しい。

私達は、安易に軍隊を出し
戦争に向かう側の一員になる。

 作家になって、今年で二十年になる(※編集部注 本稿は2022年掲載)。この数年で、社会は随分保守化したと感じる。これ以上保守化が進むと、元々保守的な人まで苦しくなる可能性がある。

 この先に何があるだろう。もしかしたら、こんな未来かもしれない。

 まず憲法の9条が変わると、文言はどうあれ、変わった、という印象が広がり、日本の自衛隊は、通常の軍隊になる。

 基本的に、日本はアメリカの言うことを断れない。これまでは、一応平和憲法があったので、アメリカの戦争に「そこまで」付き合わずに済んだ。でも憲法が変われば、そうではなくなる。自衛隊は、日本を守るというより、米軍の「二軍」のような扱いにされる可能性が高い。

 そうなると、どうなるだろう。否応なく、他国で自衛隊員の方が亡くなる、という現象に加え、自衛隊員の方々が、他国で人を殺害する、という事態が発生する。果たして、私達はそのような彼らを、どう迎えるだろう。

 英雄として迎える、と思う。しかし、他国では、軍隊の方々が戦争経験のため、精神的な問題を抱えてしまう事例が多発している。恐らく今の日本社会は、傷ついた自衛隊員の方々に対し、口では英雄と言いながら「彼らは自ら自衛隊に入ったのだから」という風に、そっと目を逸らすのではないだろうか。もしそうなったら、とても悲しい。

 さらに言えば、どのような戦争にも、背後には必ず醜い利権がある。そういう内幕が明らかになるのは、毎回戦争の後だ。歴史を見れば、全ての侵略戦争は、自衛の名で行われている。

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思いついたことは、忘れないうちにメモします。結果的に、脳の記憶の領域が、拡大したのと同じというか。

 私達は、自衛隊員の方々が、たとえばアメリカに協力する形で亡くなったり傷ついたりしている中で、恋愛や旅行や食事を楽しむことになるのかもしれない。紛争や争いの仲裁に国として必死に取り組むのではなく、安易に軍隊を出し戦争に向かう側の一員になる。

 つまり、三百万人以上が亡くなったあの戦争から学んだ全てを、私達はついに、ついに放棄する。

 悲観的な見方だろうか。でも、「公正世界仮説」から外れ、大丈夫と思わず、悲観的な予測をすることは、希望に繋がるのでは、と僕は思っている。未来はまだ、変えられるのだから。

 この原稿の最後に、黒人差別と闘った、キング牧師の言葉を紹介したい。

 「最大の悲劇は、悪人達の圧制や残酷さではなく、善人達の沈黙である」

 まだ間に合う、と思う。

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