「通販生活」で連載中の「こんなことを言っても、得することはないんですけども…」。気鋭の小説家、中村文則さんが誰に忖度することなく書き記していく時事エッセイです。今月は「第6回 戦争はいつも、自衛の名のもとに行われる。歴史は繰り返すとは、恐ろしい言葉だと思う。」を取り上げます。果たして、日本は過去の教訓をどのように活かしてきたのでしょうか。
第6回
初出:「通販生活」2023年夏号
戦争はいつも、
自衛の名のもとに行われる。
歴史は繰り返すとは、
恐ろしい言葉だと思う。
日本は防衛費を莫大に増やすことにしたので、他国との対立を煽る報道が(今でもそうだけど)、より一層増えてくると思う。
防衛費の正当化を得るために対立を助長するのは、歴史的にも、あらゆる国の常套手段だったりする。危機を煽ると一体感も得られ、政権の支持率向上や、選挙対策にもよく使われる。
日本の数々のマスコミは、残念ながらもうプライドを失ってしまい、政府の広報のようになってしまっている。対立を煽る報道の中で冷静を保つには、改めて、様々なことを思い起こさないといけなくなる。
例えば靖国神社。
靖国神社に政治家が参拝すると、中国や韓国などから抗議の声が上がる。それに対し政治家が、戦死者を慰霊するために参拝したと言い、ニュースが終わる。
これだけ見ると、慰霊してるだけなのに、中国や韓国は文句を言ってけしからん、となる。実は、ここで終わる報道は有害でしかない。なぜ中国や韓国などが抗議するか。そこを報道しないと、報道ではない。
靖国神社は、戦死した軍人達を英霊として顕彰していて、そこにA級戦犯が合祀されている。顕彰とは功績などを世間に知らせ、表彰するという意味になる。A級戦犯とは、日本が敗戦した後の国際裁判(東京裁判)で、戦争を指導したとして、国際的に裁かれた者達をいう。
中国や韓国などからすれば、戦争で日本に悲惨な目に遭わされたけど、それは戦争指導者達がやったことで、日本国民に罪はない、と無理やり飲み込み、国交の条約を結んだ。なのにその裁かれたA級戦犯を、まるで英雄視しているかのように見える宗教施設を、日本の政治家が参拝するとはどういうことかと抗議している。東京裁判を受け入れ日本は独立したのに、国家として裁判を否定するのかと。
東京裁判の全てが正しいと、僕は思っていない。でも国の政治家が靖国神社を参拝するなら、日本は東京裁判のやり直しを、国際社会に訴えないと筋が通らない(日本は孤立するだろう)。中国も韓国も、靖国神社には抗議していない。戦犯を英霊とするのも一つの思想だから。当然、全国戦没者追悼式にも抗議しない。あくまで、「日本の政治家が、あの戦争を指導した者達を英雄視すること」に抗議している。A級戦犯も含め、戦死者をただ慰霊したいだけなら、他の場所でもできるのだから。
なので靖国神社を参拝する政治家には、記者の方は、
「靖国神社の精神性に同意しているということか」
「A級戦犯を英雄と考えているのか」
「東京裁判を否定することになるが、政治家として大丈夫か」
と訊けばいい。
そう訊かないなら、ただの政治家の広報なので、その記者は残念ながら意味がない。むしろ、何も報道しない方がましだろう。
ボクたちがなぜ生きているかというと、
あの時日本が降伏したから。
そして以前にも少し書いたけど、尖閣諸島の問題がある。
それも、中国がちょっかい出してきてけしからん、の論調で報道は終わるけど、それだけを報じるなら意味がない。
当然、あれにも経緯がある。
国交正常化の交渉の時、諸説あるけど、あの島の解決は知恵のある未来の人達に決めてもらおう、みたいに中国側から言われていた。その問題の「棚上げ」に日本が同意したかどうかは諸説あるが、中国側も領土と主張してると知っているのだから、表向きには日本の領土と言っても、水面下では気を遣うのが外交の基本中の基本。なのに、日本が根回しもせず、あんな風にいきなり国有化すれば、問題が起こるに決まっている。中国側が、抗議しないと考える方がおかしい。
日中が対立した方が日本に兵器も売れるから、喜んでいる者達もいるかもしれない。
今の日本があるのは兵隊さん達が守ってくれたから、という論調も散見するようになった。でも僕や、この「通販生活」を読んでいる皆さんが今なぜ生きているかというと、あのとき日本が降伏したからになる。
軍人達の中には当然よくない人達もいたけど、立派な人達も大勢いた。懸命に戦った。でも無謀な戦いを強いられ、どうやっても日本を守れない戦争を政府にやらされていた。沖縄では地上戦にもなった。ほぼ全国の制空権も奪われ、各地を空爆された。あれは明らかに民間人の大量虐殺だった。さらに原爆まで落とされた。
当時の「一億玉砕」のスローガンが示す通り、もし昭和天皇が、『日本書紀』などに登場する武烈天皇のような苛烈な存在だったら、日本人は全滅するまで「美しく」戦ったと思われる。実際、当時の作戦には、日本を放棄して天皇を満州に移し、戦う作戦まであった。政府や財閥や軍部の一部は、莫大な満州利権のことばかり考えていた。でもソ連が満州に侵攻し、そのような彼らも諦めたのだった。
大人達が怒りの叫び声を上げる分だけ、
多くの子供達が死ぬことにもなる。
ウクライナに対し、外側から勇ましいことを言う人もいる。彼らが屈すれば民主主義の敗北になると。そうかもしれない。
しかしそれを当時の日本に置き換えれば、戦争勃発の理由はどうであれ、私達は人類史上最低の愚行、原子爆弾の投下という愚行に屈した形になり、不可侵条約を一方的に破ったソ連の侵攻に(実はあの条約は、日本も何度も破ろうとしていたけど)屈してしまった前例をつくったことになる。戦勝国は裁かれなかった。しかしあの二国がやったことは、紛れもなく戦争犯罪に違いなかった。
でも私達は降伏した。だから今、私達は生きている。そこから得た願いは、もう戦争はしない、ということだった。
だから平和憲法を持った。あの憲法には、当時の日本の人々の願い、そして戦争に傷ついたあの時の世界の祈りが入っている。あの精神を失えば、人類史もより下劣な方向へ後退することになる。
でも多くのマスコミは、戦時中に他国への敵対感情を煽り続けたことを、残念ながら繰り返そうとしている。大人達が怒りの叫び声を上げる分だけ、多くの子供達が死ぬことにもなる。戦争になれば社会は変わる。興奮し、熱くなる。もう誰も、平和などという言葉に耳を貸さなくなってしまう。だから、そうなる前が重要になる。
歴史は繰り返すとは、恐ろしい言葉だと思う。