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医療への攻撃が広がり、
ガザ地区に安全な場所は
どこにもないのです。

村田慎二郎
(国境なき医師団日本・事務局長)

むらた・しんじろう/外資系IT企業での営業職を経て2005年に国境なき医師団に参加。イラク、シリアなど紛争地で活動し、12年には日本人初の現地活動責任者に任命された。20年8月から現職。

私たち国境なき医師団は、10月7日のハマスによるイスラエルでの民間人への攻撃に対して非常に心を痛めています。あのような攻撃は決して許されるものではありません。

しかしイスラエル政府は、軍事作戦を開始した当初からガザ地区を完全に包囲し、人間が生きていく上で必要な水、食糧、燃料、医薬品などの搬入を禁止しているだけでなく、国際人道法で定められている人道援助団体の支援も制限しています。私たちはガザ地区に、もっと人を送りたいしもっと物資を送りたい。それができる団体であるのに、させてもらえないのです。

私たちは、ハマス、イスラエル双方、すべての紛争当事者に対して、「即時かつ持続的な停戦」と「ガザへの人道援助物資を適切に搬入できるようにすること」、この2つを求めています。

10月24日、ガザ北部のシファ病院。戦闘でケガを負った子どもたちが多数運ばれてくる。
10月24日、ガザ北部のシファ病院。
戦闘でケガを負った子どもたちが多数運ばれてくる。

激しい戦闘と爆撃が続き、
ガザ南部最大の医療施設も
機能停止に陥っています。

10月7日以降、私たちがガザ地区で経験したことの一部をお伝えします。

10月13 日には、北部のアル・アウダ病院に運んだ3週間分の医薬品を3日間で使い果たしました。17日には燃料や医薬品が絶対的に不足して、麻酔薬や鎮痛剤がない中で手術を実施せざるを得ない状況になりました。

11月10日には、ガザ地区最大の医療施設であるシファ病院が攻撃を受け始めました。4人の患者が院内で撃たれ、病院から逃げようとした人たちも銃撃されました。電力が喪失し保育器を動かせず、入院中の赤ちゃん2人が亡くなりました。集中治療室の患者も人工呼吸器が止まり亡くなりました。

11月29日、中部のアル・アクサ病院に入院した少女。彼女の家族は全員死亡した。
11月29日、中部のアル・アクサ病院に入院した少女。彼女の家族は全員死亡した。
11月29日、アル・アクサ病院。多くの患者が運び込まれ、廊下にもベッドがあふれる。
11月29日、アル・アクサ病院。
多くの患者が運び込まれ、
廊下にもベッドがあふれる。

11月14日から、中嶋医師を含めた海外派遣・現地スタッフのチーム15人がガザに入り、中部・南部の病院で活動していました。ですが1月6日、イスラエル軍から退避要求を受け、中部のアル・アクサ病院からの撤退を余儀なくされました。1月10日には、同病院近辺への空爆で40人が死亡、150人以上が負傷しました。南部最大の医療施設であるナセル病院周辺でも激しい戦闘と爆撃が続き、1月下旬には機能停止に陥っています。もう、ガザ地区に安全な場所はどこにもないのです。

こうした「医療への攻撃」は、戦闘で負傷した人たちだけでなく、妊婦の方や慢性疾患の方など広範囲に影響を及ぼしています。

人道援助には紛争を止める力
はありません。根本的に解決
できるのは政治だけです。

「私たちはできる限りのことをした」。MSFの現地スタッフであるマフムード・アブ・ヌジャイラ医師が10月20日に書き残した言葉です。

おそらくこの時点で、彼と彼のチームは自分の命の使い方を決め、この場所で最後まで治療を続けることを決意したのだと思います。約1ヵ月後、アル・アウダ病院はイスラエル軍によって攻撃され、マフムードを含む3人の医師が亡くなりました。

11月21日、北部のアル・アウダ病院。攻撃を受けて3人の医師が死亡した。
11月21日、北部のアル・アウダ病院。
攻撃を受けて3人の医師が死亡した。

彼らは限界を超え、「できることをすべてやった」と私は想像します。時が経ってこの紛争を振り返ったとき、私たちや日本政府、世界各国の政府は同じことを言えるでしょうか。

現在も現地の医師、スタッフを中心に、私たちも懸命の活動を継続しています。しかし、人道援助には紛争を止める力はありません。問題を根本的に解決できるのは政治だけです。

日本を含めた各国の政府は、持続的な停戦を推進するためのあらゆる影響力を行使していただきたい。そして、「通販生活」の読者のみなさまにも、ガザ地区でいま起きていることを忘れずにいていただきたいと願っています。

12月12日、南部のナセル病院で治療を続ける国境なき医師団のスタッフ。
12月12日、南部のナセル病院で治療を続ける
国境なき医師団のスタッフ。

写真提供/国境なき医師団(クレジットないものすべて)