各界で活躍する方たちに「これがないと困る!」という
「こだわり道具」をご紹介いただきます。
町田 康さん
作家
「これがないと作品が完成しないかも
しれないというほど、
今の僕には大切な存在です」
書見台
「前は海、後ろは山」という熱海の自宅で日々、原稿を書いています。15年ほど前、9匹の猫と伸び伸び暮せる場所を求めて行き着いたのがここで、築30年くらいの和風の家を暮しやすくリフォームして住んでいます。
都会に住んでいるとどうしても自然が恋しくなりますよね。山や川や海、水の流れる音や風の音、鳥の声……。そういう物に触れると誰でも心が安らぎます。でも田舎に住んでいると、「もうええわ、そんなもん。都会は刺激があって、いいな。ネオンがあって、いいな。楽しそうやな!」ってなるんです。人間、ないものねだりなんですよね。
最近、古事記を現代の関西弁で話しているように訳した『口訳 古事記』を出版しました。生命や自然のエネルギーが激しくぶつかるパワーみたいなものを表現したつもりです。僕の訳は面白く書いていますから、声を出して笑いながら読んでくれたらうれしいです。
「ルックスはいいけど、ちょっと仕事ができないドジな奴」
ここ10年ほど、古事記以外にもさまざまな古典の現代語訳を手掛けていますが、その際、どうしても手放せないのが「書見台(しょけんだい)」です。これがないと作品が完成しないかもしれないというほど、今の僕には大切な存在です。
想像してみてください。ノートパソコンを開いて文字を入力しつつ、その横に小さな文字がたくさん並んでいる本をぱたんと平置きします。何か調べたいときにその本をちらっと見るというのではありません。その本を訳すわけですから、ノートパソコンの画面と机の上の本を目と首が1日に何千往復もする。これはかなりしんどいですよね。
何かいい方法はないかな、と考えを巡らせました。すると、ちょうどいい物を持っていたんです。『宇治拾遺物語』と『今昔物語』の僕の現代語訳が収められている『日本文学全集』の刊行記念で出版社から贈られた書見台です。使ってみると、すこぶる調子がいい。パソコンの画面と本の位置がちょうど同じくらいの目の高さ。分厚い本を立て掛けるにはちょうどいい体裁で、しかも温もりが感じられる木製です。ただ、文庫本や薄い冊子を置くと、本が手前に倒れてきたり、ページがめくれてしまったりして、慌てて手で抑えなければならないという短所もありました。「ルックスはいいけど、ちょっと仕事ができないドジな奴」なのです。
昨年、ネットで探して買った新入り書見台もあります。こちらは、スチール製で「止め」が調節できる、1500円くらいの物です。薄い冊子や文庫本でもしっかり支えてくれるので、とても便利。「ルックスは悪いけど、かなり仕事ができる奴」です。とは言うものの、見た目もやっぱり気になる。でも、全員不細工なのはちょっと……ということで、怒られるかもしれませんが、二股をかけています(笑)。
どちらかを選べと言われたら、木製の方です。木や紙などの自然素材で出来た物の方が愛着が湧きますから、木製の棚やちゃぶ台、調度品に囲まれて暮しています。もし、今使っている書見台が壊れてしまったら、今度は木製で、止めを調節できる書見台を探します。やっぱりルックスは大事やから。まあ、本を置くと(書見台は)隠れてしまうんですけどね。
原稿で煮詰まったときは、とにかくいったん棚上げ。
1日を午前の部、午後の部、夜の部と3つの枠に分けて、そのうちの2枠で原稿を書きます。残りの1枠で、解説を書くための本を読んだり、文学賞の選考のために作品を読んだりしています。普通の人から見たら、遊んでいるようなもんですね。
ひとりでひたすら書いていると、煮詰まることもあります。小説にせよ随筆にせよ、「こういう結論にしたいな」というのはあって、でも書いていくうちに、「あれ、もしかしてここをこう行くと行き止まりになるかな」とか「この筋道で話を持って行きたいけど、ここを進むとその筋道は通らないな」とか。そんなときには、家の用事をやります。
拭き掃除をしたり、掃除機をかけたり、猫のトイレ掃除をしたり。思い詰めていたところから離れて、15分くらい無心になって何かをやると、仕事を再開したときに違う道のりが見えてくることがあります。
人間って、どうしても思い詰めちゃうんですよね。誰でもそうです。僕もそう。一つのことが気になりだすと、そのことばっかり考えてしまいます。でも、そうなればなるほど、物事は動かなくなる。そこで、一度、手を止めて全然違うことをやってみると、「こっちにも道はあるし、あっちにも道はあるやん。僕はなんで同じ道をうろうろしていたんやろ」と思う。とにかくいったん棚上げしてみましょう。
今は古典の現代語訳をいくつか並行して手がけています。どれもとても時間も手間もかかります。『義経記』をベースにした源義経の伝説の物語『ギケイキ』シリーズはすでに10年くらい取り組んでいます。雑誌『群像』の2023年7月号から始まった『口訳 太平記 ラブ&ピース 外道ジョンレノンを根絶せよ』も長くかかりそうです。生きているうちに、これらの作品はどうしても、終わせたいと思っています。まだまだ書見台には世話になりそうです。(談)
取材・構成/宮本由貴子
町田 康(まちだ・こう)
1962年、大阪府生まれ。作家、歌手、詩人として活躍。1996年に発表した小説『くっすん大黒』(文藝春秋)でドゥマゴ文学賞、野間文芸新人賞、2000年『きれぎれ』(同)で芥川賞を受賞。その後も2002年『権現の踊り子』(講談社)で川端康成文学賞、2005年『告白』(中央公論新社)で谷崎潤一郎賞など数多くの賞を受賞する。近著に『口訳 古事記』『ホサナ』(以上講談社)『ギケイキ 千年の流転』(河出書房新社)『リフォームの爆発』(幻冬舎)など。
口訳 古事記
講談社
税込2640円