各界で活躍する方たちに「これがないと困る!」という
「こだわり道具」をご紹介いただきます。
平野恵理子さん
イラストレーター・エッセイスト
製図用文鎮「今川君」と「シュウマイ」が
イラストを描くときに大活躍しています。
製図用文鎮
気がつけば「山の家」での暮しも7年目に入りました。父が亡くなって、一人になった母を支えていましたが、その母も亡くなってしまって。そうしたらショックを受けすぎて、何も手につかなくなり、出かけることもままならなくなりました。そこで、「一時避難」のつもりで、両親が山の家として使っていた八ヶ岳南麓(山梨県)で暮し始めたのです。最初は季節が一巡する間だけ住んでみようと思っていたのですが、1年目は環境に慣れるのに精一杯で、一番やりたかった庭仕事に手をつける余裕がなくて、「もうちょっと」「あと1年」と過ごしていたら、6年も経ってしまいました。山での暮しは都会に比べれば、やっぱり少し不便。でもだからこそ、季節の巡りが愛おしくて、山から降りられなくなっています。
朝起きて、食事をして、掃除、洗濯、植木鉢への水やりをしていると、あっという間にお昼になってしまいます。午後から夕方まで、集中してイラストを描いたり、文章を書いたりします。たまには「お残業」もして。本当は明るい朝の光の下で描けたらいいんでしょうが、いろいろなことがゆっくりになってしまって。でも、これが「今の自分」なんだと思って、あらがわずに身を任せています。
小さいのにずしりと重い「優等生」の文鎮や
本の「枕」になる文鎮などがあります。
愛用している道具はたくさんあるのですが、今回は文鎮をご紹介します。仕事机の上にたくさんの文鎮を置いていて、それぞれの役割に応じて、必要とあらば「出動」させるのです。
私は主に水彩紙や和紙に「顔彩」という絵の具でイラストを描いています。その紙を押さえる時に大活躍するのが、岡本製図器械製の「今川君」とウチダ製図器製の「シュウマイ」です(笑)。もちろん、私がつけたあだ名です。大きい方は今川焼きみたいなので「今川君」、小さい方は形が似ているので「シュウマイ」と呼んでいます。製図用の文鎮で、合金を柔らかい革で包んでいるので滑りにくく、しかも小さいのにずしりと重くて、紙をしっかりホールドするんです。さらに持ちやすい。美点ばかりで欠点のない優等生です。仕事を始めたての20代の頃、絵を額装してくれる額縁屋さんが、大きな作品に今川君をのせて、作品のサイズを計っているのを見て、かっこいいなと思ったんです。
今川君とシュウマイは紙の大小で使い分けています。例えば、小さなイラストを描くならシュウマイ、あるいは今川君を2個。新聞紙1枚くらいの大きさだと、今川君を右上、左上、そして真ん中にも置きます。厚い紙だと今川君とシュウマイを合わせて5、6個使っています。実は「何か足りないな」と思いつつ、「今川君2個、シュウマイ2個」という時代が長く続いていたのですが、ある時、ふと思い付いて今川君を2個増やして合計6個という体制にしたら完璧になりました。
みなさんの家にも、今川君やシュウマイがあると便利だと思います。例えば、刺繍の図案を布に当てるときや、書きかけの手紙を押さえておくとき、レシピ本を開いておきたいとき……。さまざまなシーンで活躍してくれると思います。それほど高価な物ではないし、たいていの文具店や画材店で売っているはず。ぜひ一度、使ってみてください。
本を読むときに「枕」になってくれるのが魚の形をした文鎮です。一人暮しを始めてうれしかったことの一つが、「ご飯の最中にも本が読める!」ということ。ただ、ぺたんとテーブルに置くとちょっと読みづらくて、本に角度をつけてくれる物がないかなとずっと探していました。これを見て、ピンときたんです。実際に魚の文鎮の上に本をのせてみたら、とても快適になりました。おとなしいけれど働き者なんです。
たくさんのお花が咲いているような愛らしいガラス製の文鎮は30年近く前に母に買ってもらった思い入れのある物。個展の時に著書にサインを求められることがあって、本の表紙をめくったところに、この文鎮を置いて、サインをさせていただきます。文鎮がつるっと滑るといけないので、裏側にゴムの滑り止めをつけて、割らないように気を付けて使っています。
心のふるさとハワイで一目惚れした
たたずまいのいい「切手濡らし器」。
実は私、20代の頃、「ハワイアン」だったんです(笑)。ハワイに日系人の街があるということをその頃に初めて知って、「明治時代に日本を離れてハワイへ行った人がいるんだ!」とびっくりしてしまって。「そんな街があるなら、行ってみたい」と思って行ってみたら、ハワイの魅力に耽溺してしまったんです。ハワイといっても、ホノルルのあるオアフ島ではなくて、ハワイ島の東海岸側にある「ヒロ」という日系人の街に、観光ビザの期限いっぱいの3ヵ月間滞在しては日本に帰るという暮しを8年間続けました。「もう一つの自分の居場所」ができたようで、とても幸せな時間でした。
ヒロのホテルで使われていた切手を濡らす道具を見て、「それ、いいですね」と言ったら、「あそこの文具店で売っているよ」と言われて、買いに走りました。「手紙っ書き」の自分には、なくてはならない道具で、私はひそかに「切手濡らし器」と呼んでいます。陶器製で、柔らかなフォルムでたたずまいもよく、他では見たことがないので、大事に使っています。でも、最近は切手もシール式が多くなってしまって活躍の機会が減り、寂しい限りです。
もうすぐ私の住む八ヶ岳南麓にも遅い春が訪れます。寒い地域の春はパワフルなんですよ。冬の間に抑え付けられていたものが一気に爆発するかのように、さまざまな花が一斉に咲くんです。サクラやコブシ、アケビ、フロックス、ツルニチニチソウ、キバナイカリソウ、ムスカリ……。冬枯れの景色の中、人間もじーっとしているから余計に感激が大きいんです。今は、どの花にどの植木鉢を使おうか、あれこれ思案中。この時間がとても楽しいです。
写真/平野恵理子 取材・構成/宮本由貴子
平野恵理子(ひらの・えりこ)
1961年、静岡県生まれ、横浜市育ち。山歩きや旅、歳時記に関するイラストやエッセイの作品が多数ある。主な著書に『六十一歳、免許をとって山暮らし』(亜紀書房)、『にっぽんの歳時記ずかん』(幻冬舎)、『手づくり二十四節気』(ハーパーコリンズ・ジャパン)、『平野恵理子の身辺雑貨』(中央公論新社)、『私の東京散歩術』(山と溪谷社)、『きもの、着ようよ!』(筑摩書房)など。