私のこだわり道具

各界で活躍する方たちに「これがないと困る!」という
「こだわり道具」をご紹介いただきます。

第10回

中村敦夫さん

俳優・作家

ジャーナリストの「制服」のような
カメラマンベスト。

カメラマンベスト

これまでに10着くらいは買ったが、今はこの2着に。「あげちゃったというか、取られちゃった(笑)。みんなが欲しがるんです、便利だからね。丈夫な作りだから、一生物ですよ」と中村さん。

カメラ、テープレコーダー、定規、ストップウオッチ、ペン、ノート、サングラス、そしてパスポートや財布。近年は放射能を測る線量計も。取材するときに必要なこれら全てをポケットに収められるのがカメラマンベストです。海外に行くと時々、警察や軍隊に「パスポートを見せろ」と言われます。あたふた探していたら、怪しまれてしまうので、いつでもサッと出せるように胸の裏側のポケットが定位置です。

このベストさえあれば、バッグを持たなくていいから両手が空く。戦場で取材する人はみんな着ています。何かあったときに、バッグをぶら下げて走るっていうわけにはいかないですからね。

カメラマンベストが取材現場の必需品となってから、もう40年以上が経ちます。主演を務めたテレビドラマ『木枯し紋次郎』がヒットして、1972年から10年は俳優業で多忙を極めました。が、だんだん俳優業に飽き足りなくなってしまって、海外を舞台にした小説を書くことにしたんです。その取材のために、最初タイに行くことにしました。3ヵ月ほど滞在して、さまざまな場所を見てこよう、いろいろな人に話を聞こう、と意気込んでいました。そんな時に釣り道具店を通り掛かり、「これは、いい!」となりました。なるべく手荷物は持ちたくないと考えていた僕にうってつけのアイテムでした。

芝居よりもドラマチックな現場を経験して
自分の視野が広がった。

小説の1作目『チェンマイの首 愛は死の匂い』がベストセラーになったので、結果的に3部作となりました。2作目『ジャカルタの目』はインドネシア、3作目『マニラの鼻』はフィリピンが舞台となり、それぞれ数ヵ月ずつ滞在したんです。どれも、きな臭いストーリーでしたから危険な現場にも行きました。カンボジアでは、ポルポト軍に抵抗して逃げている人たちが暮すキャンプで取材しました。あちこちでドンパチやっていたので、いつでも逃げる準備は万端でした。

カメラマンベストに必ず入れている物。ペン、小さいノート、線量計、スケール、パスポート、ストップウオッチ、小型カメラ。それぞれ、だいたい定位置がある。

これらの小説が評価されて、「中村敦夫の地球発22時」という報道番組のキャスターに抜擢されました。この番組は、それまでの予定調和の番組とは一線を画し、かなり危ない現場に僕が実際に行きました。例えば、メキシコからアメリカへマフィアが密入国しているという取材では、まず、マフィアに同行し、その翌日、今度は国境警備隊に同行してマフィアを迎え撃つということもありました。双方を取材するというのは、スリリングな体験でした。

日本の外に一歩出れば、完全に安全な場所なんてどこにもありません。わが身の安全を守り、迅速な動きを取れるようにするため、カメラマンベストはなくてはならない存在なのです。カメラマンベストはジャーナリストの「制服」のようなものですから、変な連中に囲まれても、手出しされないんですね。「あれを着ているやつには、むやみに手を出さない」という不文律があるようです。彼らは「味方ではないが、敵でもない。下手に手を出して、新聞や雑誌に書かれては大変だ」と思っているのでしょう。紛争には、どちらかが一方的に悪い、ということは少なくて、正しく報道してくれる方がいいわけですからね。

東南アジア各地を取材で訪れていた、今から40年ほど前の中村さん。カメラマンベストのポケットからノートとペンがのぞく。

芝居よりもドラマチックな現場をたくさん経験しました。当時、「危なくない?」とよく聞かれましたけれど、危なくないようなものを取材しても仕方がないと思っていました。僕個人としては、危ない現場に行くと刺激を受けて、自分の視野が広がっていく感覚がありました。そんな生き方が僕は好きなんです。

原発で誰が一番得をしているのか、
この視点を大事にしてほしい。

カメラマンベストが最近、大活躍したのは原発事故関連の取材です。福島県やチェルノブイリに行って現場を見て歩きました。それまでも原発の危険性を論じてきたし、小中学校時代を福島県で過ごした僕は、表現者としてダンマリを決め込むわけにはいかないと思いました。あまりにも膨大な情報が世の中に溢れ、一般の人たちが面食らったまま時間が過ぎていくのは、まずいのではないかと思い、複雑な情報を取捨選択し、原発の抱える問題と構造をわかりやすく伝えられる作品を書こうと決心しました。

何日も悩んで一行も書けないこともありましたし、単純な数値を探し当てるために何日もかかることもありました。3年がかりでようやく完成したのが朗読劇『線量計が鳴る』です。日本各地で100回近く上演しました。最近は、朗読劇を撮影したDVDを上演し、その後、僕が短いコメントをして全国行脚を続けています。

朗読劇『線量計が鳴る』で主人公を演じる中村さん。「自分のこととして捉えてもらうために、主人公になりきったり、一歩引いた演技をしたりして展開しています。ぜひ、多くの人に見てほしい」。

「原発マフィア」と呼ばれる一大勢力があって、あらゆる理論的武装をして言論戦争を仕掛けてきます。マフィアと言っても、政治家や官僚、電力会社、企業、御用学者、御用マスコミのことですが。彼らは「不幸にして事故は起きてしまったけれど、原発は安全」と力ずくで主張する。正確なデータは改ざんされ、ジャーナリストが書こうとすると潰されてしまいます。その勢力に負けないように問題を単純化し、「誰が得をしているのか」という視点を真ん中に据えて、そこから物事を一つひとつ見ていくと全体の構図が分かるんです。物事はそれほど複雑じゃない。「誰か」の利益のために、いろいろな物事が組み立てられているだけなんです。

今年の正月にも能登半島地震がありましたね。近くには原発があるんですから、5〜6メートル地殻変動が起きたら大変なことになっていました。この状況を容認するなんて、僕に言わせれば今の日本は「博打国家」です。皆さんは本当に、日本がそんな風になってしまっていいと思いますか。

DVD『線量計が鳴る』。全国各地での上映会の会場では、中村さんが30、40分コメントする。「初めて聞くことばかりで、とても驚いた」という感想が寄せられるという。

今後は、人間というものの正体に関する総括をする文章を書いていきたいと考えています。今は皆、あらゆることに関して、人間を中心に置いて考えてしまう。そうすると、何もかもがおかしなことになる。果たして人間は、あらゆることをおかしくさせるほど意味のある生き物なのか。どういう生き方がいいのか。生きている意義や生きがいとは何なのか。

年を取ると人間は賢くなって、いろいろなことが分かってくると思われているでしょう? 僕もそう思っていたんだけれど、そうじゃないですね。84歳になりましたが、分からないことがどんどん増えてくるんです。これは新しい発見でね、自分でもびっくりしています。人間の正体に関する本を書き上げられるか、あるいは途中で終わってしまうのか、際どい中で毎日が進んでいます。

取材・構成/宮本由貴子 写真/ご本人提供

中村敦夫(なかむら・あつお)

1940年、東京生まれ。俳優・作家・日本ペンクラブ理事、元参議院議員。東京外国語大学を中退し、俳優座養成所に入所。1972年、テレビドラマ『木枯し紋次郎』(フジテレビ系)で主役に抜擢され、空前のブームに。84年、テレビ情報番組『地球発22時』のキャスターに。98年、参議院議員。2000年、「さきがけ」(旧・新党さきがけ)の代表に就任。17年、朗読劇『線量計が鳴る』(而立書房)を執筆し、全国ツアーを展開。他に、国際小説『チェンマイの首』(講談社文庫)や、環境ミステリー小説『ごみを喰う男』(徳間書店)なども執筆。