世界の現場から1

イエメン

2015年から続く内戦により、貧困や深刻な食料危機で人口の7割にあたる人々が援助を必要としている。部分的にでも稼働している医療施設は5割以下にとどまる。国境なき医師団は、紛争の負傷者の治療や心のケア、栄養失調児の治療、妊産婦と新生児のケアなどの医療援助を展開している。

© MSF/Majd Aljunaid

内戦による負傷で
体の一部が
吹き飛ばされている患者も。
治療は手探りの連続です。

© Agnes Varraine-Leca/MSF

滝上隆一(外科医)

沖縄県の離島の病院に勤務しながら、国境なき医師団に参加。16年から8回にわたり派遣される。

主な活動歴 17年2月~3月 イラク
20年6月~7月 イエメン

 もともとは建築学部の学生でした。でも、国境なき医師団の活動報告会に参加してどうしても加わりたくなり、医学部に入り直して外科医になりました。図面と向き合うよりも、直接人に寄り添う仕事のほうが性に合っていると思ったんです。
 ただ、昨今の医療は部門や臓器別に高度に細分化していて、専門外の治療技術を習得しにくい。それでは、さまざまな外傷手術に対応する必要のある国境なき医師団の医師にはなれません。考えた末に、都内の病院から石垣島の公立病院に移りました。医療資源が乏しい離島の病院では一人の外科医がさまざまな手術を担当しますから。
 初派遣は2016年、イエメンでした。当時は内戦が最も激しい頃で、ひどい外傷を負った患者が大勢担ぎ込まれてきました。昼夜なく睡眠もとれずに一人で日に20件前後の手術をこなす期間が4日続いて、もう倒れると思ったこともありました。
 いちばん戸惑ったのは、日本ではほぼ見ることのない銃創や爆傷です。体の一部が吹き飛ばされて残っていないこともあります。点滴用チューブを血管として一時的に代用したり、手探りの連続でした。
 この派遣以来、国境なき医師団には毎年参加しています。イエメンとイラクに複数回行っていますが、活動の進展や人の成長が見えて感慨深いです。昨年の6月から8月までイエメンに派遣された際、私の名前を覚えていてくれたスタッフがいて、嬉しかったですね。
 国境なき医師団に参加するときは、有給休暇ではまったく足りないので、勤務先の病院を一度退職し帰国するとまた雇用してもらっています。私のわがままを聞き入れ、快く送り出してくれる病院には本当に感謝しかありません。
 今後も海外派遣に応じるつもりです。そのために外科医になったのですから。私にとって国境なき医師団は医師としての原点なんです。