大人たちの戦争で満足に治療を受けられない子どもたちに1口2,000円のカンパを。

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「ドイツ国際平和村」は、自国で十分な治療を受けられない子どもたちをドイツに連れてきて治療し、
治ったら母国へ帰す「援助飛行」という活動を50年にわたり続けています。

平和村を支援してくださる読者へのメッセージ

平和村の子どもたちは、自分たちを傷つけた相手に「報復したい」とは絶対に言いません。ドイツで治療を重ね、仲間と生活を共にするうちに、そんな気持ちも消えてしまうんです。-トーマス・ヤコブス

安全保障関連法が国会を通過し、日本も「戦争ができる国」に変わってしまった今、平和村の活動に永年たずさわってきたお三方に、戦争が子どもたちに何をもたらすかを聞きました。(司会・編集部)

みなさんは、ドイツ平和村とどのように関わり始めたのですか。

トーマス平和村と出合ってから、もう34年になります。大学で教育について学んでいて、インターンシップ(研修)で平和村に来たのが最初でした。当時、いや今もですが(笑)、平和村は財政的に厳しい状況にありました。そのなかで、5年だけ働こうと思って始めたら、いつの間にか30年以上も経っていました(笑)。

『通販生活』の読者のみなさんなら覚えていらっしゃるでしょうが、2009年に前代表のロナルド・ゲーゲンフルトナーが亡くなり、その後を引き継ぐ形で代表になりました。今年で6年目になります。

私は1999年にテレビ番組『世界ウルルン滞在記』(TBS系)の取材で初めてドイツ平和村を訪れました。平和村のことは知らなかったんですが、当時はボランティア先進国であるドイツという国に興味があったんです。 戦争で傷ついた子どもたちが来ている村と聞いて、ある程度わかったつもりでドイツへ向かいましたが、私のちっぽけな想像なんて何の役にも立ちませんでした。平和村の子どもたちは、私に「いつ帰るの?」と聞いてきました。ボランティアで来た人間はいつか帰っていくことを知っているんですね。そして「私たちのこと、忘れていいからね」って言うんです。忘れないよと返しても、「いいのよ、忘れることが人生なんだから」と。でも帰る間際になると、「やっぱり忘れないで」と抱きついてきました。いったいこの子たちはどんな経験をしてきたのか、私の想像力ではわかりませんでした。

最初に行ったとき、内戦が続いていたジョージア(グルジア)から来ていたシーラという当時11歳の女の子に、「私はあなたになりたい」と言われたんです。それがどういう意味なのか、帰国する飛行機に乗ってからも、日本に戻ってお芝居の台本を読んでいるときも忘れることができませんでした。 これは一過性で終わらせてはいけない、日本にいて、平和村の子どもたちのためにできることをやらなくてはと思い、募金を集める活動を始めました。そして日本の、特に若い人たちが平和村に関わっていく仕組みをつくりたいと思ったんです。幸いなことに『ウルルン』をたくさんの方が見てくれて、平和村で長期の住み込みボランティアをした日本人は228人(15年11月現在)にもなりました。亡くなったゲーゲンフルトナーさんもトーマスさんもよく「日本のボランティアなしでは平和村は成立しない」とおっしゃるほどです。

矢倉北海道富良野市で整形外科医をしている矢倉です。私が医師を目指した原点は、ケガや障がいを負ってしまった子どもたちでも、子どもらしく元気に楽しく遊べるようになっていく、そんなお手伝いがしたいと思ったことでした。

ドイツ平和村のことは、東さんの『ウルルン』で知り、そこに自分の原点があると感じて、2007年10月に

初めて平和村を訪れました。その頃は医師になって18年くらい経っていて、どんなケガの患者を見ても驚くことはないと思っていましたが……とにかくショックでした。なんでこんなにたくさんの子どもたちが、こんな状態になるまで治療を受けられなかったんだって。日本に帰っても平和村の光景が頭から離れない、もう1回行こうと翌年また行きました。子どもたちは替わっていますが、状況は同じでした。私は東さんのように募金を集めることはできないけれど、子どもたちの治療のお手伝いならできる。そこで平和村のセミナーを受けて登録ボランティアになり、4年前からは毎年4回(アフガニスタンと周辺国2回、アンゴラ2回)ある援助飛行ごとにドイツへ行き、お手伝いをしています。

矢倉さんは平和村のボランティアを優先するために、勤務していた病院を「常勤」から「非常勤」にわざわざ変わられたんですよね。ご家族も大変ですね。

矢倉年に4回、3〜4週間も長期休暇を取ると、常勤医は務まりません。もちろん、日本にいるときは他の先生方に負けないだけの仕事はしていますが、ドイツまでの旅費や治療に使う器具の一部も自費でまかなっているので、家族の理解には本当に感謝しています。

トーマス私たちに共通しているのは、気がついたら長いこと平和村に関わっているということですね。でもこれは私たち3人だけでなく、平和村に関わる多くの人に言えることなんです。私も含めて、はじめは子どもたちを助けたいと思って平和村の活動に関わります。しかし実際は、私たちが子どもたちに心を癒され、元気をわけてもらっている。

そうなんです。子どもたちの笑顔を見ると私も笑顔になってしまう。まるで恋愛するみたいにハマっちゃって、リピートするボランティアさんもたくさんいます。

矢倉子どもたちを見ていると、医療の本来の姿を実感します。医師である私たちが治すわけではなく、子どもたちは自分の“生きる力”で治っていく。私たちは、そのお手伝いをするだけです。それでも「ボクの足、また診に来てよ」なんて言われると、また次も行かなきゃって思ってしまう。

アフガニスタンの医療状況は壊滅的です。多くの人は初期治療すら満足に受けられません。トーマス・ヤコブスさん

「どうして大人のケンカで僕たちがケガをしなくちゃいけないの?」

平和村にはアフガニスタンをはじめとして、いくつもの紛争国から子どもたちがやってきます。昨年(14年)の9月に、イスラエルの攻撃にあったパレスチナ「ガザ地区」の子どもたち42人を初めて受け入れましたね。

トーマス現在も1人だけ平和村に残っています。早くガザに帰せるよう試みてはいるのですが、国境付近の治安が悪化してしまい難航しています。

病院はどうなってるのですか?

トーマスガザ市内には、大きな病院が公立のもので13、私立のもので5つあります。そのうち3つは完全に破壊されて、それ以外の病院もひどい損傷を受けています。物資が入ってこないので、医薬品なども不足しています。病院はあっても治療ができないという状態が続いているのです。

矢倉ガザ地区から来た子どもたちは、平和村に来る他の地域の子どもたちと比べるとかなりレベルの高い初期治療を受けていました。でも、途中で治療が継続できずに平和村にやってきたという子が多かったですね。

今年(15年)6月に平和村に行ったとき、ちょうどガザの子どもたちが帰国するところでしたけど、その雰囲気がいつもとぜんぜん違うんです。トーマスさんたちスタッフが、「イスラエル人を見ても抵抗しない。手は黙って膝の上に置いておく」などととても厳しい顔で子どもたちに説明を繰り返していました。

トーマスエジプトからガザ地区へ入るルートの治安が悪いので、テルアビブの空港からイスラエル国内を通ってガザ地区へ戻ることにしたんです。イスラエルの攻撃で傷ついた子どもたちが、イスラエル人に囲まれた場所を通る。しかし、そこで抵抗したら暴力の連鎖につながってしまいます。

パレスチナとイスラエルの問題は、彼らだけの問題ではありません。世界中の人たちが「自分たちの問題」として解決のために動かなければいけません。シリアの内戦もそうですが、武力で解決するのではなく、平和的な解決を目指さなければ、暴力の連鎖が続いていくだけです。

日本人の多くもそう思っています。でも、戦地から遠く離れていると勘違いしちゃうんですね、戦地にも安全な場所があるとか、後方支援なら大丈夫だろうって。とんでもない。援助飛行で内戦中のアンゴラに行ったとき、安全と言われたけど、戦地の「安全」はまったく別です。私は広島出身で戦争教育を受けてきたつもりだったけど、戦争の現実をまったく知らなかったんだなと思い知らされました。

現在も戦闘が続いているアフガニスタンの様子はどうですか。

トーマス一般市民の医療状況は、壊滅的と言っていいほどひどい状況です。高度な医療を受けられる施設もできていますが、それは裕福な人たちだけのもの。普通の人は初期治療すら満足に受けられない状態です。さらに状況を難しくしているのが医師不足です。医師の給与が低く、タクシーの運転手や外国語の通訳として働かないと生計を立てられないのです。

国際社会からの援助は入ってくるんだけど、権力が腐敗してそのお金がうまく回らず、逆に貧富の差ができてしまう。それは他の紛争国も同じですね。

矢倉アフガニスタンでは、首都のカブールから離れると医療施設そのものがありません。ケガをした子どもの親は、親戚中からお金を借りて、家族総出でカブールまでやってきて、病院の庭で生活を始めます。それでも医薬品は圧倒的に不足していますから、適切な初期治療ができない。結局、骨や身体中に細菌が入って慢性の化膿性骨髄炎になってしまう子が多いのです。

「お金しか送れないけど」って言う方がいますが、平和村が一番困っているのはお金なんです。東ちづるさん

最近ドイツ平和村へ来る子どもに、先天的な疾患が増えているとも聞きました。

矢倉生まれつきの障がいや疾患は、世界中どこでも一定の割合で起こります。それでも私が整形外科医として特に多いと感じるのは、手足の奇形です。まったく同じ奇形の手をしている兄弟もいました。これは、その地域に何か、親の遺伝子を傷つける理由が存在する可能性が高いと思います。

トーマス平和村でも、どの地域の子どもたちがどんな症状を持っているかは関心を持って見ています。たとえば、ジョージアやアルメニアなどのコーカサス地方から来ている子どもには生殖器や泌尿器系の先天性疾患が多く見られます。一方で、ウズベキスタンやタジキスタン、キルギスなどの中央アジアの子どもの場合、手や足の奇形が多い。

どんな子どもが平和村にやってくるかは、毎回の援助飛行ごとに変わってきます。先天性の疾患が多いこともあれば、直接的な戦争被害を受けた子どもが多いときもある。いずれにしても、直接であれ間接であれ、戦争の結果としてのケガや病気であるということに変わりはありません。

矢倉ガザ地区から来た子どもが、「どうして大人のケンカで僕たちがケガをしなくちゃいけないの?」と言っていたのがとても印象に残っています。ガザ以外の地域もそうですが、結局戦争をしているのは大人です。その被害が子どもたちに降りかかっているのです。

トーマスそのとおりです。人間は何千年ものあいだ戦争を続けていて、戦争のない世界を一度も実現できていません。一方で、平和村に来る子どもたちは、人間の良い面や可能性を見せてくれていると思います。アフガニスタンからやってきた子はアンゴラの子が話すポルトガル語を覚え、逆にアンゴラの子どもたちはアフガニスタンのダリー語を覚えます。そしてすべての子どもたちは、「平和村的ドイツ語」を覚えます(笑)。大きな子どもたちは小さな子を助け、ケガの重い子どもが困っていれば、比較的症状の軽い子が手を差し伸べる。

子どもたちが母国に帰ったとき、そうした平和村での生活を思い出して、母国の状況を変えてくれるかもしれない。その夢がかなったならば、平和村の活動の成果はとても大きなものになるのではないかと思います。平和村の子どもたちは、「報復したい」とは絶対に言いません。ドイツで治療を重ね、平和村で仲間たちと生活を共にするうちに、そんな気持ちも消えてしまうんです。

国籍や肌の色や宗教はぜんぜん違うけれど、今、一緒にいる仲間と仲良くすること。やられてもやり返さないこと。すごく簡単なことだけど、そんな平和村の教えを知って母国に帰っていくんです。 「私はあなたになりたい」と言ったシーラが、このまえ平和村に行ったとき会いにきてくれたんです。今は故郷のジョージアで、平和村を支援するスタッフになっています。こういう連鎖が、本当に草の根的だけど、平和を紡ぐことなんだと思います。

難民への支援に寄付金が集まり、平和村への寄付が減少しました。

子どもたちの治療はドイツの病院が無償でやってくれるそうですが、それ以外は食事代から医薬品代まですべて寄付だけの運営です。最近の財政状態を教えてください。

トーマス2008年のリーマン・ショックは平和村にも大きく影響を与えました。ドイツの人たちが経済的に不安を感じることが起こると寄付の減少につながります。みなさんよくご存知だと思いますが、今まさにヨーロッパは大きな問題を抱えています。ドイツにはシリアを中心とした中近東からのたくさんの難民が入ってきており、2015年だけで移民・難民はおよそ80万人に達すると言われています。

ドイツ国内ではさまざまな団体が難民支援の募金活動を行なっているので、15年6月以降、平和村への寄付が減少しました。それでも、ドイツが難民を受け入れることは正しい政策だと思っています(下コラム参照)

難民をほとんど受け入れない日本の国民としては耳が痛いなぁ。お金についても、日本の方はよく「お金を送ることしかできないけど」っておっしゃるのですが、平和村が一番困っているのはお金です。子どもたちを運ぶ飛行機のチャーター代や義足や薬を買う費用。スタッフにも家族がいますから、私から見たら今だって十分じゃないと思うけれど、お給料も必要です。「お金だけしか送ってこない」なんて思うスタッフはいませんよ。カンパで寄せられたお金が、そのままカンパしてくれた人の心の優しさだと思っています。

平和村は、いつか平和村が必要ない世界になることが目標ですけど、まだ当分は必要とされる存在なので、お金という「便利な道具」を善意の方向にうまく回せるといいなと思います。

適切な初期治療が受けられず、細菌が身体に入り化膿性骨髄炎になる子が多いのです。矢倉幸久さん

矢倉日本人は熱しやすく冷めやすい部分もあると思うので、継続していただくことも大事です。

自動的に引き落としてくれたらいいのにね。毎月1コイン(500円)くらいでも、集まればけっこうな金額になるでしょう。

『通販生活』でも「1年支援」という、毎月500円か1000円を選んで自動的に引き落としするシステムがあります
(詳しくはこちら)

それ、声を大にして宣伝しましょうよ。

矢倉寄付金を使う側として私たちが気をつけているのは、できるだけものを無駄にしないことです。薬や医療用具は高いですから、医療用のテープも1回で上手に貼れるよう練習しようとボランティアの方にも声をかけています。

トーマス日本からは、厳しい経済事情のときでも多くの寄付をいただいて、私たちは本当に助けられています。改めて『通販生活』の読者の方々にお礼を申し上げます。「アリガトウゴザイマス」。

しかし先ほどお話ししたとおり、ドイツ国内では難民への支援に寄付金が集まる状況はしばらく続くでしょう。日本からの支援なくしては、平和村の活動が成り立たなくなります。毎年寄付をお願いするのは心苦しいのですが、ご支援をよろしくお願いいたします。

(2015年10月・カタログハウスにて)

カンパの方法と活動報告

「ドイツ国際平和村」は、自国で十分な治療を受けられない子どもたちをドイツに連れてきて治療し、 治ったら母国へ帰す「援助飛行」という活動を50年にわたり続けています。

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