大人たちの戦争で満足に治療を受けられない子どもたちに1口2,000円のカンパを。

「ドイツ国際平和村」は、自国で十分な治療を受けられない子どもたちをドイツに連れてきて治療し、
治ったら母国へ帰す「援助飛行」という活動を50年にわたり続けています。

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ドイツ平和村の子どもたちにカンパを

栄養失調で昏睡状態になった3歳のファティマちゃん。医師によれば「もって数日の命」だという。
写真/安井浩美

「ドイツ国際平和村」は、自国で十分な治療を受けられない子どもたちをドイツに連れてきて治療し、治ったら母国へ帰す「援助飛行」という活動を半世紀にわたり続けています。
 昨年、米軍が撤退してタリバンが政権を取ったアフガニスタンでは、深刻な食料危機とともに医療崩壊も起きています。アフガニスタンへの「援助飛行」継続のためにも、ドイツ平和村へのご支援をよろしくお願いいたします。

「通販生活」編集部

混迷するアフガニスタンの現在

子どもたちがこの1年を生き延びるためには、国外からの支援が必要不可欠。それがこの国の現状です。

写真・文 安井浩美(ジャーナリスト)

 目の前のベッドには女の子が横たわっていました。顔色は黒みを帯びた土気色で、鼻には栄養チューブがつながれています。この状態で、もう何日も意識を失ったまま。再び目を覚ますことは、恐らくありません。
 3歳の女の子、ファティマちゃん。数日前に首都カブールにあるインディラガンジー子ども病院に栄養失調で運び込まれたときには、すでに昏睡状態でした。祖父母と暮していましたが、食べ物といえばわずかばかりのナン(主食用のパン)とお茶だけという日が続いていたそうです。栄養不足のためか、そのわずかなナンすら食べなくなって、ファティマちゃんは動けなくなりました。
 アフガニスタンの多くの人は、家族がギリギリの状態になるまで病院へ行こうとしません。病院に行けばお金がかかるからです。祖父がファティマちゃんを病院へ運んできたのも、ファティマちゃんが意識を失ってからでした。
「もって数日だろう」。医師からは、そう伝えられています。

ベッドも不足しているので、ひとつのベッドに2人の未熟児を寝かせている。

今年中に320万人の子どもたちが命にかかわる栄養失調になる。

 21年8月15日、首都カブールがイスラム主義組織タリバンの手に落ち、アフガニスタン・イスラム共和国は崩壊しました。と同時に、経済も破綻しました。公務員の給料は何ヵ月も支払われず、ほとんどの公共事業も停止していて、一般市民の生活はかなり苦しくなっています。
 ここ最近、カブール市内の路上では、カップや皿といった食器から絨毯、ベッドまでを並べて売っている人をよく目にするようになりました。これまでごく普通に生活していた人が、家財道具を売らなければ現金を手にできなくなっているのです。
 売る物もなくなれば、できることは限られています。生活のために片方の腎臓を売ったり、きょうだいを救うためにそのうちの1人を子どものいない家庭などに売り渡す親も後を絶ちません。貧困が蔓延しているアフガニスタンの経済は最悪な状況なのです。

 タイミングの悪いことに、昨年は過去数十年で最悪の干ばつもありました。FAO(国連食糧農業機関)によると、昨年の小麦の収穫量は、一昨年と比べて25%減少しました。ただでさえ不足していたのに、タリバンの暫定政権が始まってからは食糧難が深刻化するばかりです。主食のナンをつくるための小麦粉の価格は、タリバン政権以前の1.5倍くらいになっています。WFP(国連世界食糧計画)の報告にあるように、「国民の95%が十分な食料を得られていない」のです。アフガニスタンの人々は、まさに生命を脅かす危機の中にいるのです。
 WFPは、国民の55%、2280万人が深刻な飢餓状態にあり、そのうち870万人が「飢きん」に直面するとも警告しています。飢きんとは、「子どもの3割が深刻な栄養失調で、かつ人口1万人につき毎日2人が死亡している状態」のことです。
 ユニセフ(国連児童基金)は、今年中に5歳未満の子どもの2人に1人、320万人が命にかかわる急性栄養失調になると推定しています。冒頭のファティマちゃんが入院していたインディラガンジー子ども病院では、栄養失調の子どもが通常の3倍に増えたそうです。ベッドが足りないのでしょう。2、3人の子どもが一緒に寝かされているベッドがいくつもありました。母親が栄養不足になると早産しやすくなります。カブールのマラライ産科病院では、そんな未熟児を本当に多く見ました。
 ただ、カブールはまだましかもしれません。地方の食料不足はカブールよりも深刻ですし、医療現場では、医療器具や薬が底をつく病院が少なくありませんでした。南部のカンダハルの病院では、今年に入ってからの2週間で少なくとも75人の子どもが栄養失調で亡くなったという痛ましいニュースがありました。

母体が栄養不足のために早産で生まれた未熟児がとても多くなっている。左の母親の子は内臓障害もあった。

暖かくなって戦闘が始まったら、食料も薬もさらになくなる。

 タリバンの統治が始まってからの半年で、海外からの資金援助はすっかり滞ってしまいました、国外に脱出する医師も少なくありません。そのために、国内にある2300ヵ所の医療施設のうち2000ヵ所以上が閉鎖されているとも言われています。
 治安はいまのところ悪くありませんが、暖かくなれば、冬の間は鳴りを潜めていた反抗勢力が大攻勢をかけるかもしれません。内戦状態になれば、とばっちりを受けるのは子どもたちです。ただでさえ足りない食料、病院、薬が、さらに不足してしまいます。
 たとえ内戦にならなくても、タリバン政府が国をうまく動かせるとは考えづらく、国内の混乱は続くでしょう。“世界最悪の人道危機”のまっただ中にいるアフガニスタンの子どもたちにとって、この1年を生き延びるためには、国外からの食料と医療の支援が必要不可欠なのです。

雪がぬかるむ路上で靴磨きの客を待つ6歳のアスナちゃん(右)と、ボールペンを売る10歳のオスナちゃん(左)の姉妹。
右/WFPが配給している食料を受け取るための長蛇の列。女性と男性は別々の列に並ぶ。これは男性の列。
左/「イスラム国」のテロを警戒するタリバンの自爆部隊「バドリ」の兵士。テロリストが来たら、内ポケットの手榴弾で自爆するという。

やすい・ひろみ/1963年、大阪府生まれ。2001年にアフガニスタンに移住。共同通信社カブール通信員として働く傍ら、現地の女性や子どもの支援活動にも取り組む。写真は、21年8月に混乱するカブールから自衛隊機で退避する際のもの。


「次回の援助飛行では、アフガンで傷ついた子ども90人をドイツへ連れてくることができます」

ビルギット・シュティフターさん(ドイツ国際平和村代表)

 タリバンが首都カブールを制圧してからの混乱で、アフガニスタンにおけるドイツ平和村の活動は大きく制限されました。
 21年8月末に予定していた援助飛行は、カブールの空港に着陸できる航空会社が見つからず実施できませんでした。1日も早くアフガニスタンで待っている子どもたちをドイツに連れてこなければいけないのに、9月、10月と延期せざるをえず……。子どもたちとその親がどれだけ援助飛行を待ち望んでいるかを考えるとジリジリする思いでしたが、ようやく11月5日、チャーター機がカブール国際空港に降り立つことができました。
 今回、チャーター機が空港に滞在するのはわずか1時間でした。飛行機のドアが開く前からタラップの下に子どもたちが待機してすぐに乗り込むという慌ただしさでしたが、27人の子どもたちは無事にドイツへ到着。新型コロナウイルスの世界的な流行の影響もあり、1年9ヵ月ぶりに新たな子どもたちを平和村に迎え入れることができました。
 子どもたちに多い症状は、本来であれば抗生物質の服用でほぼ悪化が防げるために「貧困の病」とも呼ばれる骨髄炎の子です。他には、まぶたが閉じられないほど重度のやけどを負った子や、腕を切断し左脚の傷口から骨が見えるほどのケガを負った子など。どの子も来たばかりのときは不安と緊張が入り混じったこわばった表情ですが、2、3週間もすると友だちもできて笑顔も見せてくれるようになります。
 また、この援助飛行では治療を受けた8人の子が帰国しています。アフガニスタンの現状はどの子も聞き知っていましたから、家族に会える期待と同時に不安を持っていたでしょう。

6000世帯の家族に渡すことができた680トンの食料支援。

 現在、アフガニスタンの食料事情は壊滅的です。そこで昨年12月と今年の2月には、アフガニスタンのパートナー団体である「アフガニスタン赤新月社(イスラム教国の赤十字)」と協力して、困窮している家族への食料支援を行ないました。
 小麦粉、米、乾燥豆類、砂糖、食用油、お茶、塩、砂糖を合わせて113.5キロ分で1セット。5人家族なら約2ヵ月分になりますが、この食糧セットをカブール州で2000セット、近隣の4つの州でそれぞれ1000セット配布しました。
 2月には、ドイツでの治療を望む子どもたちと面会するためにドイツ平和村のスタッフが現地に入っています。国内の治安が比較的安定していた今回は、アフガン全土から2000人の傷ついた子どもたちが集まりました。このうち90人が、3月の援助飛行でドイツ平和村にやって来ます。
 最後に、『通販生活』読者のみなさんからいただいた多大なご支援のおかげで、ドイツ平和村の「メディカル・リハビリセンター(平和村手術室)」が完成し、昨年7月に第1回目の手術が行なわれました。これまでに、骨髄炎治療のために埋めたプレートの除去手術、引きつれの切開手術など25件の手術をしています。ここ数年で、ドイツ国内の協力病院による無償治療は減っていますが、平和村手術室では医師たちがボランティアで手術をしてくれています。
 ウクライナの状況は、ドイツにいる私たちも大変心配しています。ただ、アフガニスタンにもみなさんの協力を必要としている子どもたちがたくさんいます。引き続き、ドイツ平和村へのご支援をお願いいたします。

22年2月、ドイツにて

ドイツ平和村の活動


21年11月、1年9ヵ月ぶりの渡独便

8月に渡独する予定だった27人が、3ヵ月遅れでカブール国際空港から出国。チャーター機の滞在時間が短いなか、タラップから急いで飛行機に乗り込む子どもたち。

左/アミア・アリくん(8歳)感電によるケガで右腕を切断。左脚もアフガニスタンでの面会時は骨が見えている状態だった。
右/モハマド・ユソフくん(9歳)左脚に重度の骨髄炎を抱え、空港から直接病院へ入院。5回手術を受けた。

22年2月、アフガニスタンでの面会

国内の治安が比較的安定したことで、アフガニスタン全土から傷ついた子どもたち約2000人が集まった。

左/11歳の男の子は、コーランを開いた瞬間に、それが爆発して大ケガを負った。ドイツで治療を受けられると聞き、輝くような笑顔を見せた。
右/現地で協力してくださるマルーフ医師とともに面会をして、ドイツで回復する症状かどうかを判断する。

6000世帯への食料援助

赤いベストを着たアフガニスタン赤新月社のスタッフと協力して、緊急に食料が必要な人たちに配布した。

始動した平和村手術室

手術は外科や整形外科の医師がボランティアで行なう。敷地内にあるので、手術後も平和村の友だちがすぐお見舞いに来てくれる。

カンパの方法と活動報告

「ドイツ国際平和村」は、自国で十分な治療を受けられない子どもたちをドイツに連れてきて治療し、 治ったら母国へ帰す「援助飛行」という活動を50年にわたり続けています。

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