大人たちの戦争で満足に治療を受けられない子どもたちに1口2,000円のカンパを。

「ドイツ国際平和村」は、自国で十分な治療を受けられない子どもたちをドイツに連れてきて治療し、
治ったら母国へ帰す「援助飛行」という活動を50年にわたり続けています。
平和村の活動内容とこれまでの読者カンパについては、下記の通販生活2023年春号の記事をご覧ください。

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ドイツ平和村の子どもたちにカンパを

2歳の時に熱湯を浴びたビビ・アイシャちゃん(6歳)。背中の皮膚がまだただれていて痛々しい。

「ドイツ国際平和村」は、自国で十分な治療を受けられない子どもたちをドイツに連れてきて治療し、治ったら母国へ帰す「援助飛行」という活動を半世紀にわたり続けています。
 米軍が撤退し、タリバン政権となって1年以上。アフガニスタンでは市民の生活環境が大幅に悪化、食べる物にも事欠く毎日です。大人たちすら生活の糧を得られない状況で、子どもたちはどのように日々を過ごしているのでしょうか。ジャーナリストの西谷文和さんの現地レポートをお読みください。
 そして今年も、ドイツ平和村の子どもたちへ、1口2,000円の「お年玉」をよろしくお願いいたします。

「通販生活」編集部


アフガニスタン現地レポート

子どもたちがこの1年を生き延びるためには、国外からの支援が必要不可欠。それがこの国の現状です。

取材・文 西谷文和(ジャーナリスト)

 2022年2月、タリバン政権下の首都カブールに入った。空港を出て国道を走る。「えっ? 人が歩いてないやん」驚く私に通訳のアブドラが説明する。「女性は外出をためらっている。男性の多くは失業したので、外に出てくる必要がないんだよ」
 寒々とした街に目立つのはタリバン兵と物乞いの子どもたち。交差点で停車すると、ワッと子どもが寄って来る。「お金ちょうだい」窓を叩きながら、手を口にあてて何か食べる仕草。かなり飢えているようだ。
ガニ政権時代も物乞いの子どもはいたが、タリバン政権になって急増している。
 そんなカブールの下町に「インディラ・ガンディー小児病院」がある。バイダーちゃん(1歳)、ビビちゃん(8ヵ月)は熱湯を浴びてこの病院に来た。イクバル君(7ヵ月)は栄養失調で危篤状態だった。
 戦争による貧困が新たな悲劇を生み出している。日本からの支援金で医薬品と粉ミルクを配る。「なんとか生き延びてほしい」祈りながらカブールを後にする。

7ヵ月のイクバル君は栄養失調で危篤状態に。

8歳の娘を3万円で金持ちに売った。

 8月、半年ぶりにカブールに戻り、東部の街ジャララバードへ。米軍撤退からちょうど1年、「盛大な祭りでもするのかな」と思ったが街はいたって静か。タリバン政府は「人が集まるとテロが起きるから」と説明していたが、実際には「誰も祝おうとしていないから」だった。
「みんなタリバンを嫌っている。仕事も自由も食料もない。年老いた両親がいなけりゃ、俺だって亡命したさ」アブドラがつぶやく。
 ジャララバード郊外、コギアニ地区のアリ・ラフマンさん(56歳)を訪ねた。ラフマンさんは13人家族で、妻と11人の子どもがいる。内訳は娘が10 人、息子が1人。娘のうち3人が障害を持っている。さっそく聞きにくいことを聞かなければならない。
――あなたは子どもを売ったのですか?
「はい。タリバン政権になってすぐ」
――いくらで? 誰を?
「8番目の娘ハフサー(8歳)を、近所の金持ちに。2万アフガニーで」
 2万アフガニーは約3万円。タリバン政権下、女性は働くことができないアフガニスタン。
20歳の長女を筆頭に19歳の次女、18歳の三女、17歳の四女……。一番下の子、つまり11番目が唯一の息子で、彼だけが外で仕事ができるが、まだ幼児だ。
 年老いたラフマンさん(アフガニスタンでの56歳はかなりの年長者)は日雇い労働で糊口をしのいでいたが、タリバン政権になって失業。売られた娘は、しばらくはその金持ち宅で家事をさせられ、やがて年頃になるとその男の妻になる。
「娘さんたち、何か言いたいことはない?」とマイクを向ける。女性がカメラの前で話すのはかなり勇気のいることだ。長女がブルカの下から訴える。
「年老いた父と、弟が1人だけ。これでどうやって生活するの?1年分の家賃5000アフガニー(約7500円)を払わないとダメなの」
 娘たちの訴えを聞きながらラフマンさんに尋ねる。
――この状態が続けば、もう1人売るの?
「はい。それしか道はありません」

ラフマンさん一家。八女のハフサーちゃんは身売りされてここにはいない。

野菜や肉は、もう長い間食べていない。

 絶望感に打ちひしがれながら、街の中心部へ戻る。道中、食料の配給を待つ人々の群れ。カメラを向けてインタビューを始めるとたちまち群集に取り囲まれた。人々は怒りの表情で叫び始める。「食べ物がないんだ」「俺たちに仕事を!」
 ニシ、危ないぞ。早く退散しよう。アブドラに促され、逃げるように立ち去る。カメラと所持金を奪われても不思議はなかった。それくらい人々は飢えている。「近々、やるかもしれないな」私のつぶやきにアブドラが答える。「アップライジング(民衆蜂起)。年内か年明けにも……」「でもそれをすれば?」「撃ち殺されるだろう」
 何もしなければ飢え死に。立ち上がれば銃殺。このまま支援の手が差しのべられなければ、人々は究極の選択を迫られるかもしれない。
 首都カブールに戻り、チャライカンバーレ避難民キャンプを訪問する。人々は泥をこねて「家」を建てている。氷点下20度まで下がる冬のカブール。風雪をしのぐための泥壁は命綱だ。
 そんな人々の中にマリアンさん(12歳)がいた。彼女がボウルを持ってくる。「食堂から食べ残しをもらっているの」ナンを水につけて食べている。「野菜は?肉は?」「もう、長い間食べていない」。前政権の時代には辛うじて豆やジャガイモがあった。今はナンだけ。
 この20年間で13回アフガニスタンを取材してきたが、人々は今までで一番困窮している。このままでは冬を越せない人々が続出するだろう。確かに、タリバン政権は女性や少数民族を弾圧している。だからといって人道支援をやめてしまえば、圧倒的多数の貧困層が死に直面する。アフガニスタンは今、大ピンチを迎えている。

食料の配給を待つ人々にカメラを向けると、たちまち囲まれて大パニックに。
食堂の客が食べ残したナンを水につけて食べる。

アフガニスタン取材をまとめた映像

首都カブールは今

2022年8月 タリバン政権下のアフガニスタン

ジャララバード編

2022年8月 タリバン政権下のアフガニスタン


にしたに・ふみかず/1960年、京都府生まれ。「イラクの子どもを救う会」代表。紛争地での取材に基づいてテレビ、ラジオで戦争の悲惨さを伝える。著書に『西谷流地球の歩き方(上・下)』(かもがわ出版)など。


援助飛行のリアル アフガニスタン編

ドイツで治療をしなければ、子どもたちは地獄の日々を過ごすことになる。

西谷文和(ジャーナリスト)

 カブール中心部から北西に約10キロ、かつてのアフガン政府軍基地が今やタリバンの基地になっている。そこからさらに車で5分ほど行けば平和村の現地パートナー、赤新月社本部がある。その講堂にたくさんの子どもたちが集まっていた。戦争や貧困で傷ついた子どもたちである。平和村のスタッフが診察して約50人に絞り込み、11月の援助飛行でドイツへ連れて行く。その人選が今から始まるのだ。
 ムジムラ君(9歳、❶)は3歳の時にタンドールに落ちた。タンドールとはアフガニスタンの主食、ナンを焼くための大きな窯。貧困家庭ではタンドールを地面に埋めてナンを焼くのだが、これが危ない。アフガニスタンの冬は寒い。幼児が暖を求めてタンドールに近づいていく。そして……頭から落ちるのだ。
 ムジムラ君は窯の中で両手をついて踏ん張った、生き延びるために。3歳の小さな両手指は溶け落ち、骨が癒合した。希望はドイツ。平和村の病院で彼の足の小指か薬指を切り取り、両手に移植すれば物をつかむことができる。そうなれば文字も書けるし、介助なしで食事もできる。

❶3歳のときに負ったやけどのために、両手が不自由なムジムラ君。

コロナで長らく待たされた子どもたち。

 ビビ・アイシャちゃん(6歳)は2歳の時に熱湯を浴びた。やはり地面に掘った穴に薪をくべて、ヤカンで湯を沸かす。寒い冬、ヤカンに近づいて……。4年が経過しているというのに、まだ背中の皮膚がただれていて、赤いヤケドの傷跡が痛々しい。
 ディワラー君(11歳、❷)は7歳の時に骨が変形し始めた。アフガニスタンでは小さなケガが命取りになる。傷から細菌が入り骨髄炎になった。廊下へ出て歩いてもらう。変形した足でゆっくり、ぎこちなく歩むディワラー君。7歳までは普通に歩いて小学校に通えていたのだ。

❷小さな傷から骨髄炎を患い、足の骨が変形してしまったディワラー君。

100人を超える子どもたちの診察が終了。この中から50人がドイツでの治療を受けられることになった。ドイツへの援助飛行はコロナで一時中断を余儀なくされていた。長らく待たされていた子どもたち、喜ぶ父親と平和村のスタッフ。最後にこの笑顔に救われた。

ドイツでの治療が決まって喜ぶ父親と子ども、現地スタッフ

援助飛行のリアル ドイツ編

渡独した89人のうち14人が平和村手術室で手術を受けました。

ビルギット・シュティフター(ドイツ国際平和村代表)

 読者のみなさんからいただいた多大なご支援のおかげで完成した平和村のメディカル・リハビリセンター(平和村手術室)では、2021年7月に1回目の手術を行なってからこれまでに68回の手術を実施しました。22年3月にアフガニスタンから渡独した子どもたち89人のうち14人もここで手術を受けました(22年11月時点)。
 子どもたちにとっても、平和村の敷地内という慣れた環境での手術であるため、外の病院まで行かなければならない移動の疲れや1人で入院する寂しさがありません。あるボランティア医師は、手術を受けた子どもを他の子どもたちが回復室で元気づけている様子に感動したと言っていました。
 ドイツ国内の病院の協力を得づらい状況が続いているのは問題ですが、施設内での手術によって治療支援できる子どもたちの数は増えており、ドイツでの受け入れの幅が広がったと言えます。

右/回復室でリハビリセンター所属の登録ボランティアの女性に見守られるアハマッドセイアー君(12歳)。昨年7月にやけどによる左手の拘縮の治療手術を受け、リハビリ後の11月にアフガニスタンに帰国。左/渡独前、アフガニスタンでの面会時の手の状態。

ウクライナ侵攻の影響で、寄付が減少するおそれ。

 ドイツでは、ロシアによるウクライナ侵攻以降、人々は生活や将来を心配し、消費を必要なもののみに抑えようとしています。平和村では子どもたちの通院のためのガソリン代や、施設の暖房費などに影響が出始めていますが、今後、寄付は減少するだろうと心配しています。
 残念ながら、アフガニスタンの人道危機が改善するという展望は近い将来には見えません。食料支援など、現地パートナー団体からは支援要請が続いています。
 人々が必要としている活動を続けるにはまず、資金が必要です。大変な状況が続いていますが、それでも、実現可能な形の支援を探し出し、継続していきたいと考えています。

右/渡独前の様子。爆発物で両手を損傷、現地で切断された。左/8月に行なった手術で物を挟めるようになり、絵を描くミヤバイス君(11歳)。

カンパの方法と活動報告

「ドイツ国際平和村」は、自国で十分な治療を受けられない子どもたちをドイツに連れてきて治療し、 治ったら母国へ帰す「援助飛行」という活動を50年にわたり続けています。

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