大人たちの戦争で満足に治療を受けられない子どもたちに1口2,000円のカンパを。
「ドイツ国際平和村」は、自国で十分な治療を受けられない子どもたちをドイツに連れてきて治療し、
治ったら母国へ帰す「援助飛行」という活動を50年にわたり続けています。
アシナちゃん(10歳)ロケット弾の破片が頭部に突き刺さっていた。
写真/西谷文和

中村哲さんの偉業とドイツ平和村の活動こそ「積極的平和主義」と言えるのではないだろうか。
取材・文 西谷文和(
ジャーナリスト)
2020年10月、アフガニスタン東部の街ジャララバードに入った。車を飛ばすこと約1時間、川をそれて石ころだらけの荒涼とした大地を進む。ガンベリー砂漠と呼ばれる荒れ果てた大地、ジープが小高い丘を駆け上った時……、「あれがナカムラパークだよ」。通訳の指差す方向に、巨大な森が現れた。
森の中をマルワリード(現地語で真珠)と呼ばれる用水路が走っている。現地の人は「命の水」に感謝し、その周囲の森を「中村公園」と呼んでいるのだった。
医師でペシャワール会現地代表の中村哲さんと出会ったのは10年前のこと。中村さんの案内でこの壮大な事業を取材させてもらった。この時は用水路が貫通する直前で、周囲は草木一本も生えていない不毛の大地。現地の人たちがスコップで小さな水路を掘り進んでいた写真❶。
「あと2~3年もすれば、ここは畑になりますよ」。ボソボソっと語る中村さん。その予言通り10年の時を経て、この地は緑あふれる耕作地になっている写真❷。
「無駄な戦争するよりね、水で戻してやればいいんですよ。食料があれば争わない。ご覧なさい、彼らはみんな難民だったんですよ」
中村さんの姿に気がついた「作業員」たちが笑顔になり手を振っている。まさかこの9年後に、大事な大事な人を失うことになろうとは。「中村公園」の中心に記念塔が建っていて、そこに肖像画が描かれている。その優しい眼差しは用水路と人びとの暮しを見守っている写真❸。

アフガニスタンでは19人に1人が1歳の誕生日を迎えられない。

ジャララバードから車で4時間、首都のカブールに戻り、郊外の避難民キャンプを訪問する。アフガニスタン南部ではタリバンとアフガニスタン軍の激しい戦闘が続いている。家を焼かれ、故郷を破壊されて逃げてきた人たちが泥をこねて「家」を作っている。土壁はできたが屋根はない。着の身着のまま逃げてきたので家財道具もなく、子どもたちは裸同然。カブールの冬は寒い。氷点下20度まで下がる雪と氷の中で、多くの子どもたちが命を落とす。
アフガニスタンでは19人に1人が1歳の誕生日を迎えられないのだ。「せめて食料を」。キャンプ責任者の求めに応じて緊急に30家族分の食料を購入して配布した。大変喜ばれたが、「食べたら終わり」。私の支援は根本的解決になっていない。乾いた大地に水を引き込んで農業で生活できるようにする。中村さんの用水路は人びとを自立させ、希望を与えてくれる。改めて偉大な事業だと思う。
カブールの中心、米国大使館を守るコンクリート壁にも中村さんの肖像画が描かれている。この大使館から車でわずか5分のところに「インディラガンディー子ども病院」がある。
特別に許可をもらって、まずは乳児病棟へ。栄養失調の子どもが多数、ベッドに横たわっている。双子で生まれてきたウスマン君(8ヵ月)写真❹は、痩せた母親の胸にしがみつくのだが乳が出ない。なぜこんな状態まで放っておいたのか? それは「カブールまでの交通費」。広いアフガニスタンで子ども専用の病院はここだけ。飢えた母親はカブールまでのバス代を調達することができなかったのだ。
やけど病棟へ。マルディヤちゃん(2歳)写真❺はパン焼き釜に頭から落ちた。落下した時に両手で踏ん張ったのだろう、両手の指は切断されている。なぜパン焼き釜に? それは台所の構造。アフガンの貧困家庭には机もガス調理器もなく、地面に穴を掘って薪で煮炊きする。夜は寒いので、乳幼児が暖を求めて釜に近づいてくる。忙しい母親はその危機を気づかない。そして……、悲鳴に気がついた時はすでに子どもは炎の中。そんな悲劇が後を絶たない。
ラズッラー君(12歳)写真❻はその日、自宅で身を隠していた。銃声が聞こえる。タリバンとアフガニスタン軍の戦闘が始まったのだ。家族と一緒に震えながら戦闘が終わるのを祈っていたその時、爆音とともにロケット弾が飛び込んできた。意識はここで途切れる。気が付いた時はこの病院のベッドの上だった。両親と兄弟を失い、5回の手術を受けた。全身大火傷を負ったが12歳の生命力が上回った。
アシナちゃん(10歳)TOP写真もロケット弾の流れ弾による大火傷。彼女の頭部にロケット弾の破片が突き刺さっていて、頭蓋骨を開けて破片を取り出したばかり。「一晩寝ないで手術したんだ。見ろよ、こんな状態だったんだぜ」。ポケットからスマホを取り出した医師が頭部切開と脳の中から破片を取り出す様子を見せてくれる。今後、果たしてこの少女は言葉を喋れるのだろうか?

「平和村を紹介してくれないか」とアフガンの医師は言う。
手術用の防護ガウンを着て手術室へ。全身麻酔を施された赤ちゃんがベッドに横たわっている写真❼。「これを見ろ」と医師が赤ちゃんの背中を見せる。「テラトーマ(奇形腫)」。怒りを含んだ医師の声が手術室に響く。「これは、もしかして米軍の……」「そうだ。劣化ウラン弾による放射能被害だと思う」。
イラクと同じくアフガニスタンでも米軍は大量の劣化ウラン弾を使用している。「1日に5人、この腫瘍を取り除く手術をしたことがある。戦争前までこんな症状はなかった。俺は劣化ウラン弾が原因だと思うよ」。
もちろんこの疾病と劣化ウラン弾の因果関係は不明。だから調査を行なうべきなのだが、肝心のアフガニスタン政府が米国に支配されているため、調査どころか病院として正式に告発することもできない。
「ピースヴィレッジ(平和村)を紹介してくれないか……」。医師は「アフガニスタンでは無理なので、ドイツ国際平和村で受け入れてほしい」と言う。
電気メスを持った医師が腫瘍を焼きながら切断していく。狭い病室内に肉を焦がす異臭が充満する。絶望から希望へ。中村哲さんの偉業とドイツ国際平和村の活動こそ「積極的平和主義」と言えるのではないだろうか。
にしたに・ふみかず●1960年、京都府生まれ。「イラクの子どもを救う会」代表。テレビ、ラジオで紛争地での取材に基づいて戦争の悲惨さを伝える。『西谷流地球の歩き方(上・下)』( かもがわ出版)など著書多数。
「現在、新たな子どもの受け入れはできませんが、平和村の子どもたちは、みんなで支え合い一緒にコロナ禍を乗り切ろうとしています」

世界的な新型コロナウイルスの感染拡大は、ドイツ平和村の活動にも大きな影響を与えています。
20年3月以降、予定されていた手術のキャンセルや延期が多くなりました。新型コロナウイルス感染者のために病院のベッドを確保しておくようドイツ政府の指示があったためです。コロナ以前からドイツ各地の多くの病院で人手不足が問題となっていましたが、コロナによってますます子どもたちの無償治療の受け入れは減少しています。このような困難な状況でも継続して協力してくれている病院には、大変感謝しています。
9月には治療を終えた子どもたちを家族のもとに帰すことができました。
アフガニスタンやアンゴラへの援助飛行も、3月以降思うようにできず、5月に予定していたアンゴラへの援助飛行は中止せざるを得ませんでした。この決定は私たちにとってとても苦しい決断でした。現地で子どもたちやその家族が支援を待っているのはわかっています。しかし現地の入国制限や防疫状況、移動制限などから、新たに治療の必要な子どもたちをドイツへ連れてくることができませんでした。
それでも9月には、治療を終えたアフガニスタンの子どもたち56人を家族のもとに帰すことができました。5月に帰国予定だったアンゴラの子どもたち39人も11月に無事母国へ送り届け、以前ドイツで治療を受けたことのある14人に限り、再治療のためにドイツへ迎え入れることができました。これまで通りの援助飛行がいつ再開できるのか、現時点ではわかりません。今はいつでも再開できるよう準備を整えています。
平和村手術室が間もなく完成し、12月末には1回目の手術が行なわれます。
暗い話が続きましたが、一つ、通販生活読者の方々にうれしいお知らせがあります。みなさんから多大なご支援をいただき平和村敷地内に建設していた「メディカル・リハビリセンター(平和村手術室)」が間もなく完成します。12月末には、1回目の手術が行なわれる予定です。ドイツ国内での協力病院の減少を、この手術室を中心に補っていきたいと考えています。
20年11月時点で、平和村には、協力病院に入院中の子、通院中の子、母国に戻れない子ら全部で86人の子どもたちがいます。平和村の施設では手洗いや消毒を徹底し、外部との接触も避けていますので、現在までのところ感染は発生していません。子どもたちには新型コロナウイルスの現状について話をし、援助飛行が通常どおりできないので母国へ帰るのが遅れるかもしれないことも伝えました。子どもたちはみんなで支え合い一緒にこの辛い時期を乗り切ろうとしています。
日本でも新型コロナウイルスの影響で生活が苦しい子どもたちが増えていて、通販生活読者のみなさんが多くのカンパをしたと伺いました。素晴らしい行動に心から敬意を表します。平和村にもみなさんの協力を必要とする子どもたちが多くいます。
今後平和村の活動を継続させていくためにも、本年もご支援をよろしくお願いいたします。
20年11月、ドイツにて
コロナ禍でのドイツ平和村の活動
アフガニスタンへ帰国

❶骨髄炎で右腕が動かなかったザキラちゃん(10歳、1列目左から2人目、19年盛夏号掲載)。8回の手術とリハビリを経て笑顔で帰国。
❷以前ドイツで治療した子どもたちのための医薬品、包帯類など計4,700キロを帰国便に乗せ現地に届けた。
❸左下肢の血行性骨髄炎で2度手術を受けたムラッドくん(4歳)。チャーター機が離陸後、「他の国の子どもたちが家族のもとに帰れないことが悲しい」と泣き出してしまう。
平和村でのリハビリ

❹エアファヌラくん(11歳、アフガニスタン)ガス爆発で右下腕を損傷した。右大腿部に骨髄炎と偽関節があり、自分の脚で歩けるようリハビリ中。
❺オイシャちゃん(写真右、8歳、タジキスタン)右ひざの関節組織を損傷。ビー玉を使っての自主練習に励む。左のルツィナイデちゃん(9歳、アンゴラ)は腰部に血行性骨髄炎を発症していたが、11月に無事帰国した。
❻
❼手を洗う子どもたち。食堂はスタッフが念入りに消毒を行なう。
平和村手術室が12月に完成予定
(メディカル・リハビリセンター)

構想から4年、現在は内部の設備を整えているが、12月末に最初の手術が行なわれる。
現地プロジェクト

カンボジア(写真)、タジキスタンでは、平和村が資金援助をして食料品と衛生用品を配布。アンゴラ、ウズベキスタン、ジョージアにも以前平和村で受け入れた子どもたちのため医薬品などを送った。