紛争地からドイツ平和村へやって来る子どもたちに1口2,000円のお年玉を。

「ドイツ国際平和村」は、自国で十分な治療を受けられない子どもたちをドイツに連れてきて治療し、
治ったら母国へ帰す「援助飛行」という活動を50年にわたり続けています。
平和村の活動内容とこれまでの読者カンパについては、下記の通販生活2024年春号の記事をご覧ください。

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ドイツ平和村の子どもたちにカンパを

骨髄炎の治療のため、2023年11月の援助飛行でアフガニスタンからドイツに到着したシャブナツちゃん(9歳)。(写真/André Hirtz)

「ドイツ国際平和村」は、自国で十分な治療を受けられない子どもたちをドイツに連れてきて治療し、治ったら母国へ帰す「援助飛行」という活動を半世紀にわたり続けています。
 米軍が撤退し2年以上が経つアフガニスタン。タリバン政権下、国際社会からの支援がなくなり、深刻な食糧危機とともに医療崩壊も起きています。
 そのような中、追い打ちをかけるように2023年10月、この地をマグニチュード6.3の大地震が4回襲いました。窮乏の上に重なる自然災害に、市民の生活は困窮の一途をたどっています。
 今年も、ドイツ平和村の子どもたちへ、1口2,000円の「お年玉」をよろしくお願いいたします。

「通販生活」編集部

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日独平和希求対談

ウクライナ、パレスチナ、世界で子どもたちの悲劇が続きますが……

アフガニスタンの子どもたちにとって
平和村は、絶望が
希望に変わっていく場所です。

2019年から平和村の代表を務めるビルギット・シュティフターさんが、
23年8月末に初めて来日しました。
アフガニスタン、ドイツ、両方の現場を取材した西谷文和さんと、
平和村に来る子どもたちについて話していただきました。

撮影/吉﨑貴幸

お二人のプロフィール

西谷文和さん

にしたに・ふみかず●1960年、京都府生まれ。「イラクの子どもを救う会」代表。テレビ、ラジオで紛争地での取材に基づいて戦争の悲惨さを伝える。著書に『西谷流地球の歩き方(上・下)』(かもがわ出版)など。

ビルギット・シュティフターさん

Birgit Stifter●1970年生まれ。2000年から平和村に勤務、04年から海外での現地プロジェクト活動と寄付・基金関連の部署を統括。19年から代表として現地プロジェクトのほか、寄付物資管理や平和教育を担当。

シュティフター
私がドイツ国際平和村に関わるようになったのは、大学で社会学を学ぶうちに、子どもを支援する活動をしたいと思うようになったからです。平和村は大きな団体ではないので、子どもたち一人ひとりに向き合えると思いました。さらに、非政府組織なので政府や国といった背景に束縛されず、宗教にも左右されることなく、純粋に子どもを支援できると考えたのです。
 2000年に平和村に勤め始めてからしばらくして、爆撃による頭蓋骨損傷のために義眼にヘルメット、鼻水は垂れて口は閉じられない、複雑な症状を持った子どもと出会いました。でも、その子はとても子どもらしくて、「遊びたい、一緒に遊んで!」という気持ちがあふれ出ていました。子どもはどんな症状があっても子どもなんだ、子どもが子どもらしく生きられる場所を提供したい。その思いが今も平和村を続けている力になっています。
西谷
私は、アフガニスタンのインディラ・ガンディー小児病院を取材したとき、医師から子どもたちをドイツに連れていってくれと頼まれて、なぜドイツなのかと尋ねて平和村のことを知りました。その後2013年に「通販生活」から取材を依頼されて、平和村の実際の活動を見ることになったんです。

わずかな支援でも続けないと、最低限の医療を保てない。

西谷
21年8月に米軍が撤退してタリバン政権になってから、女性は外で働くことが禁じられ、国際社会からの支援もなくなって、難民だけでなくカブール市内の普通の人々の生活もかなり困窮しています。22年8月に取材したとき、米軍撤退1周年の記念集会でもあるかと思いましたが、まったくお祝いムードはありませんでした。人々はみなタリバンを怖がって、ただ耐えているという状況です。
シュティフター
過去40年以上、戦争や内戦が繰り返されてきた上に、米軍撤退を前にガニ前大統領は国民を置いて国外に逃亡してしまった。「またタリバンか」と、人々はもはや自分たちの気持ちを伝えよう、自分たちが動こうという気力がなくなってしまったように感じます。

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子どもたちの生きたいという力は、
私たちが想像する以上のものです。
シュティフター

西谷
国際社会の側も、アフガニスタンの話題はすでに風化して昨年はウクライナ、いまはガザに関心が集中している。ウクライナ、ガザももちろん大変ですが、アフガニスタンは電気もなく、きれいな水も食べるものもない。こうした現実があるのに、世界はそれに慣れてしまったようです。
シュティフター
平和村に来る子どもたちを見ていると、9.11のあと数年は銃撃や地雷などによる直接被害が多かったのですが、最近増えているのは骨に細菌が感染する骨髄炎です。貧困のために免疫力が落ちて、治癒する力が備わっていない子どもたちが多くなっています。
西谷
アフガニスタンのマラライ産婦人科病院で院長から、栄養失調で出産時に赤ちゃんだけでなくお母さんも亡くなってしまうという話を聞きました。まだ体が小さい13歳くらいの少女が結婚させられて毎年赤ちゃんを産まされるので、そもそも危険な上、栄養不足のために早産で未熟児が多い。
シュティフター
去年私たちが訪問した国営の病院は、医師や看護師がいても物資がなくて機能していませんでした。私たちが支援物資を持っていっても、絶対量が足りていないので本当にわずかな支援にしかなりません。でも、そのわずかでも続けていかないと、最低限の医療を保てない状態なんです。
 平和村の最終的な目標は子どもたちが安心して暮していくこと。そのための活動も現地で行なっています。たとえばアフガニスタンでは、現地パートナーである赤新月社とともに「マラストゥーン(「平和のための共同体」という意味)」という施設を5ヵ所で運営しています。孤児や、1人で子育てをしている母親、障害を抱えた子どもの親、精神的に問題を抱えた大人など、社会的に弱い立場の人たちのための施設です。そして、その中の3ヵ所では井戸の構築をしています。
西谷
医師の中村哲さんもアフガニスタンで井戸を掘ることから始めて、03年から用水路建設に切り替えました。アフガニスタンでは、民族衣装を着て現地の人のふりをしないと危険な地域がありますが、中村さんの用水路がある地域はそういうことはありません。水があれば生活が豊かになり、平和な暮しになっているからです。

アフガニスタンの現在

病院で治療中の子どもたち。地面に掘られたパン焼き窯に落ちて大やけどを負ったマルディヤちゃん(20年、当時2歳)。

母親が困窮し、栄養失調となったウスマンちゃん(20年、当時8ヵ月)。

21年前、中村哲さん指揮のもと用水路工事が始まり、10年当時も人々がスコップで作業をしていた。

自動車が止まると物乞いの子どもたちが一斉に寄ってくる。

撮影/西谷文和

平和村の子どもたち

爆発事故で頭部に破片が残り、右脚の骨も見える状態になってしまったサイッド君(10歳)。平和村で手術後、リハビリを続けている。

アフガニスタンで骨折の治療後に、骨髄炎で周辺の骨が溶解したビビカズマちゃん(8歳)。平和村で7回の手術に耐え、立つことができるようになった。

テラカーン君(11歳)は骨折で右脚が変形、骨髄炎も発症し、23年3月に渡独。平和村で3回手術を受けリハビリ中。

アフガニスタンでの活動

23年10月、アフガニスタン東部を大地震が襲った。最初の地震が発生した3日後、ヘラート州の赤新月社に平和村からのヘルス・キット(医療支援物資)が届けられた。

マラストゥーンの子どもたち。奥の建物で生活を送っている。

国際社会が真剣に目を向けていないことが最大の問題です。

シュティフター
コロナ禍に続いてウクライナ戦争があり、平和村も経済的な影響を大きく受けて、寄付が一時的に激減しました。しかし前向きになれたのは、どんな状況でもずっと支援し続けてくれる人がいる、忘れないでいてくれる人がいると気づけたためです。
西谷
たとえば援助飛行でも、石油価格がとても上がりましたが、どれぐらい経費が掛かっているんですか。
シュティフター
チャーター機に関しては往復1機につき7万ユーロ(約1050万円)増えて、25万ユーロ(約3750万円)です(23年、1ユーロ=150円換算)。これが倍にでもなったら、と思うと大変です。
 一方、よいニュースは、「通販生活」の読者のみなさんのご支援のおかげで、21年にメディカル・リハビリセンター(平和村手術室)が完成したことです。ドイツで子どもたちを受け入れてくれる病院を探すのが難しくなっていますが、手術室のおかげで子どもたちを待たせることなく治療に専念できるようになりました。現在は月に2、3回、1回に2、3人の手術をしています。この1年で140名の手術を行ないました。

報道も支援もなくなり、アフガニスタンは
今が一番の危機だと思います。
西谷

西谷
地雷を踏んだり、仕掛け爆弾で負傷した足が腐ってハエがたかっていた……そんな子どもたちが、平和村で再会したときには歩けるようになっていたり、車椅子の練習をしっかりしていて、ここまで回復するのかと驚きましたね。
シュティフター
子どもたちの生きたいという力は、私たちが想像する以上のものです。アフガニスタンから平和村に来て〝生きていけるチャンスをもらえた〟ということを、私たちが考えているよりも、子どもたちはもっときちんと理解しています。
西谷
子どもたちがアフガニスタンに帰ると、空港で待ち構えていた家族が子どもの上に花やお札をまくんですよ。家族や本人すら絶望している状態から、ちゃんと歩けたり、物をつかめるようになったり……。平和村が「絶望から希望に変わっていく場所」なんだということを実感しました。
 それでもやはり、アフガニスタンには心配なことがたくさん残っています。麻薬中毒が増えているし、貧困のために娘を売ったり、腎臓を売ったりする人も後を絶ちません。本当にこの20年で今が一番の危機だと思います。
シュティフター
そうした問題に国際社会が真剣に目を向けていない、関心を持っていないことが最大の問題です。日本の皆さんにぜひともお伝えしたいのは、アフガニスタンに住む子どもたちのことを忘れないでくださいということです。
西谷
現地で出会った人たちもみんな口をそろえて言うのはそのことです。報道も減っているし、支援もなくなっているんです。
シュティフター
嫌なことを忘れるのは人間の特性ですが、世界中どこに行っても苦しんでいる子どもがいます。その子どものために、できることはわずかであっても活動を続ける必要があります。「通販生活」の読者のみなさんもどうか、平和村へのご支援をお願いいたします。

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平和村ではたくさんの日本人スタッフが活躍しています

平和村の子どものことが大好きすぎて、
ここを離れるタイミングが考えられません。

寺脇知絵さん(子どもたちの施設スタッフ、35歳)

 子どもの時にみたテレビ番組がきっかけで平和村を知りました。子どもと関わる仕事をしたいという憧れをずっと持っていたので、2021年から平和村に住み込みボランティアとして参加しました。その後幸運にも正規で働かないかと声をかけていただき、今は施設スタッフとして勤務しています。

担当している2歳から5歳くらいまでの子どもたちとお散歩へ。

 私の仕事は、子どもたちの日常生活をサポートすることです。子どもたちが朝起きてから夜寝るまで一日のお世話をしています。
 私は、平和村の子どもたちのことが本当に大好きなんです。好きすぎて正直、ここを離れるタイミングがあるのかも考えられません。看護師資格を持っているのでドイツの看護士免許に切り替えたら、ドイツ語で医療についてもっと勉強しようと思っています。平和村の子どもたちに少しでも多く関わっていけるよう方法を探していくのが私の目標なんです。

両手と左足のやけどを治療中のジョード君(8歳)の経過をみる。(写真/André Hirtz)

母国に帰ってからの生活を想定して
子どもたちと一緒にリハビリをしています。

中奥みのりさん(作業療法士、38歳)

 大阪府出身です。2016年から平和村の正規職員として、リハビリ部門で作業療法士をしています。その前は、13年から1年間、ボランティアで参加していました。
 私の仕事は治療を終えて退院した子どもたちのリハビリと、子どもたちが母国に帰ってからの生活を支える装具などの準備です。
 理学療法士は治療段階から患者さんの運動機能のリハビリをサポートする役割で、作業療法士はその先の、患者さんがその人らしい日常生活を送れるような動作のリハビリを行ないます。子どもたちが母国に帰ってからの生活を想定して一緒にリハビリをしていると、作業療法士になってよかったなと思います。

骨髄炎の治療を待つラビウラ君(4歳)。渡独翌日に右膝下の患部を確認。

 平和村に来てから、子どもたちの母国のことを知るようになって世界情勢にも視野が広がったと思います。残念ながら、現地の医療状況がもっともっと充実しないと、子どもたちが安心して元気に過ごすのは難しいと感じています。
 世界で起きていることに対して私ひとりができることは少ないですが、平和村の子どもたちがリハビリで元気になって、その子どもたちが世界をより良くしてくれるといいなという思いをこめて仕事をしています。

骨髄炎の治療を受けたラーマヌラ君(4歳)。退院後のリハビリ方針を確認する。(写真/André Hirtz)

カンパの方法と活動報告

「ドイツ国際平和村」は、自国で十分な治療を受けられない子どもたちをドイツに連れてきて治療し、 治ったら母国へ帰す「援助飛行」という活動を50年にわたり続けています。

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