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介護に振り回された7年間は
自分の老後を考えるきっかけに 【前編】

10代からモデルやタレントで多忙なリサさんを支えてくれていた母が認知症に。在宅介護のさなか偶然見てしまった日記をきっかけに、母の施設入居を真剣に考えるようになりました。徘徊が止まらない母への複雑な思い、介護に立ち向かう葛藤の日々を伺いました。

わたしの介護年表

2009年
母82歳

母、同棲を解消して東京の家に戻る。通帳紛失の妄想、万引き、無銭飲食が始まる。認知症と老人性うつ病との診断。

2010年
母83歳

要介護1。週3でデイケアを利用。在宅介護始まる。粗相、徘徊がひどくなり、半年で要介護3に。ショートステイも利用。

2011年
母84歳

50代後半から20数年にわたる日記をリサさんが読んでしまう。在宅介護の限界を感じ、施設入居を決意。介護付き有料老人ホームに入所。

2013年
母86歳

特別養護老人ホームに入所。家族のことがわからなくなる。

2016年

家族と親しい人に見守られながら永眠(享年89)。

※年号・歳の一部は目安です。

「通帳がない、盗まれた!?」
母の異変に不安がよぎる

2005年、長男がアメリカの大学に留学中で、長女も大学入学が決まったと思ったら、当時、同居していた母が突然、「これで私も御用済み、あとは自由にさせていただきます」と。78歳の母に、82歳のカレシがいて「一緒に暮らす」と言うのです。

それからは、夏は河口湖(山梨県)の別荘、冬は彼の伊豆高原(静岡県)の別荘の2カ所で暮らしていましたが、3年半で同棲を解消。母はそのまま河口湖の別荘に残りました。半年ほどたった頃、真夜中に電話がかかってきて「私の通帳知らない?」と言うんです。

「こんな時間に何? 知るわけないじゃない」

すると翌日、母は東京の家に戻ってきて、部屋を探し回ってぐちゃぐちゃにしたまま帰りました。

翌朝もまた母が現れて「通帳がないの! 盗まれたのかも。部屋も荒らされている! 泥棒よ」と騒ぎ出して。

「もしや認知症の初期症状では?」

不安がよぎりました。でも、好き放題に生きてきた母が認知症になるはずない、なられたらたまらない。認めたくない気持ちもあって、少し様子を見ていました。

とりあえず、河口湖の家がどうなっているか行ってみるとすでにゴミ屋敷、冷蔵庫の中も腐った食材がいっぱいでひどい状態でした。

早く母を東京の家に戻さないと大変なことになると直感して、迎えに行く日取りを決めました。でも、母は勝手にタクシーで帰ってきました。しかも、無賃乗車で。

東京の家に戻ってしばらくすると、今度は近所の商店街での万引きや無銭飲食が発覚しました。お店の皆さんは、母がちょっとおかしいと薄々気づいていたらしいんです。母の行きつけの店を訪ねてみると「じつはうちも」と。何軒かに迷惑をかけていたことがわかって、慌てて私の連絡先を書いた紙を、母の行きそうな店に置いて「認知症かもしれないので」と説明して周りました。

家の向かいの電気屋の奧さんが、たまたまケアマネジャーの資格を持っていて、介護関連のことをいろいろ教えてもらいました。母の異変をご近所に隠さずオープンにしてよかったです。

介護申請のために受診したお医者さんの診断は、認知症と老人性うつ病。そういえば、母は60代の頃、うつ病の傾向があって治療をしていました。でも、薬も通院も途中でやめてしまった。治ってはいなかったんですね。

お医者さんからは、「これから家族は振り回されることが多くなる、目が離せなくなるから大変だよ」と言われ、ケアマネさんからも「介護サービスを利用して、できるだけ家族の負担を減らして」とアドバイスされました。

でもこの時は、その大変さがよくわかってなかったんです。要介護1の認定を受けた母は、週3回のデイケア(通所リハビリテーション)が利用できることになり、娘と施設見学に行ってみました。母は「何ここは? 年寄りの幼稚園みたい」と明らかに嫌そう。

すかさず娘が「おばあちゃん、英語が話せるからみんなに教えてあげれば?」と機転を利かせて、母の自尊心をくすぐる作戦に。母はまんざらでもなさそうに「そうねえ、お手伝いしましょうか」と、通うことをオーケーしました。

徘徊が止まらない。
「帰ってこなくていい」と思う

認知症は思った以上に早く進行して、82歳の2月に要介護1だったのが、わずか半年で3に。デイケア利用は週5日に増えたものの、毎日が事件の連続。出かけて転んで顔じゅう絆創膏だらけ。翌日デイケアに行けば私が虐待したと疑われそうで、たまったもんじゃありませんよ。

通販で買い物したことを忘れて何度も注文する、河口湖に帰ろうとバスの切符を買う、便のお漏らしもしょっちゅう。でもそれを飼い犬のチェリーのせいにする(笑)。

チェリーは元保護犬です。母が認知症になるといつもそばに寄り添っていました。外でしかトイレができないために1日に2回散歩するのが母の日課。散歩のおかげで足腰がとても丈夫なばあさんができあがりました(笑)。チェリーと散歩に出ると、何時間たっても帰ってこないことが多くなり、ご近所さん、犬友、おまわりさんも出動して大捜索です。

徘徊は昼間だけでなく夜も起きました。物音に気づいてすぐに動けるよう、ベッドに入ることもできず、パジャマも着ずに、安眠なんてとてもできない状態。徘徊の最長記録は17時間です。おまわりさんが「私たちが探しますから、寝ててください」って。ありがたかったですが、心配を通り越して「もうどうにでもなれ! 帰ってこなくていい」って。

もちろん、勝手に出て行かないように、ドアの鍵を変えたり、いくつもつけたりしました。でもなぜか開ける方法は分かるんです。最近は靴にGPS(位置情報表示システム)を埋め込んだものがあるでしょう。当時はそんなものないし、住所と名前を書いた布を洋服の内側に貼って、保護されても分かるようにしていました。徘徊しないようにずっと監視するわけにもいかない。家のローンも学費ローンも残っている、仕事はしなきゃいけない。私はいつもイライラ、母に対してつい怒ってしまって。

娘からは「きつい言い方をするとおばあちゃんも反抗するよ。私が見ているから、気晴らししてきて」と。ありがたくて泣きそうになりました。

徘徊の最長記録は17時間。
心配を通り越して
「もうどうにでもなれ!」でした

次回(1月13日公開)に続く

取材・文/小泉まみ イラスト/タムラフキコ 写真/島崎信一 協力/株式会社Miyanse
月刊益軒さん 2023年9月号』(カタログハウス刊)の掲載記事を転載。

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