元気で聡明なキャラクターで人気の安藤和津さんですが、5年ほど前までうつの症状に悩まされていました。お母さんの介護を発端にうつを発症しましたが、その症状は、お母さんを看取った後も続いたそうです。介護うつ、介護後うつを抜けた、安藤さんの体験を聞きました。
わたしの介護年表
1996年
母73歳
安藤さん48歳
同じマンションの違う階に住み、子育てや家事を協力してくれた母の異常な行動が始まる。
1999年
母76歳
安藤さん51歳
母の病名が脳腫瘍だとわかる。在宅介護が始まる。その後、うつ病と認知症とも診断される。
2003年
母80歳
安藤さん55歳
母が寝たきりに。以前より頻繁にヘルパーを頼む。安藤さんは介護、仕事、家族の世話など忙しく過ごす。
2004年
母81歳
安藤さん56歳
知人から「介護うつなの」と聞いて、自分もそうだと気づく。うつが原因の心身の不調に悩まされる。
2006年
母83歳
安藤さん58歳
母が逝去。介護うつが治るのかと思ったら、燃え尽き症候群から介護後うつになる。
2017年
安藤さん69歳
うつを自覚してから13年後、うつ抜けをする。身体も心も元気を取り戻す。
母は、2006 年に83歳で亡くなりました。家族揃って見送ることができ、幸せな最期だったと思います。介護が終わったら、私の介護うつも治ると思っていましたが、燃えつき症候群からくる介護後うつに。それまで母中心の毎日だったので、生きる意欲を失くしたのです。同じ頃、義母、晩年の母の世話をしてくれた昔馴染みの方、愛犬と、立て続けに大切な人や家族を亡くし、喪失感が深くなり、うつを助長させました。
家族がテレビを見て笑っていても、私には全然おもしろくない。ご飯を食べても、おいしくない。友達と桜を見に行っても、灰色にしか見えない。でも、話を合わせるために「きれいね」と言っていました。身体が重くて、肩こりもひどい。薬を飲んでも眠れない。そんな体も心も最悪な状況でした。
その頃は、「元の私はここで何をしていた?」と想像して、どうにか仕事や生活をこなしていました。通常よりも1~2秒遅れて、笑ったり驚いたりしていたはずです。
介護が終わっても
体と心は不調のままです。
介護後うつに悩まされました
でも、そんな介護後うつも抜けるときが訪れたのです。母が亡くなって、11年ほどたった頃、たまたまついていたテレビで漫才を見たら、思わず吹き出してしまって。その時、体の中から黒い塊がポンと飛び出したのがはっきり見えました。本当です!(笑)。その瞬間、モノクロだった周囲の風景はカラフルになりました。「私、今、うつから抜けた」と思いました。
うつの症状が少しでも
軽くなることを見つけて。
精神科の先生が「みなさん、うつの入口は曖昧だけれど、出口はわかるんですよ」とおっしゃっていました。私もそのような経験をしたので、出口は必ずあると思います。ただ、渦中にいるときは、明るい気持ちになるのが難しいことは、痛いほどわかります。きっと世の中に、ご家族の介護で知らない間に「介護うつ」になっている方もいるはずです。少しでも気持ちが軽くなることを積み重ねていくことが、出口へつながるのではないかと思います。
介護をしていると、身体が前屈みになって首が前に出る、いわゆる「介護首」(首下がり)になる人も多いそうです。私も友人から指摘され、初めて自分がそうだと気がつきました。そこで、壁に後頭部、肩、お尻、かかとをつけて真っ直ぐ立つよう練習したところ、今では大分良くなってきました。
あとおすすめは、深呼吸。お風呂に入ったとき、湯船の中で、肺一杯に息を吸って、10秒くらい止め、ゆっくり吐きます。日常で深呼吸をすることがなかなかないので、入浴時に意識してやります。
それから、気晴らしになればと、ライブハウスで開かれた友人の誕生会に参加したことがありました。青春時代に聴いた曲に合わせて踊ったら、気分がスッキリ。踊ることが好きだったことを思い出し、自宅でテレビの音楽番組を見ながら、1人で踊ったりもしました。
今では孫2人の存在も大きく、愛おしく思います。ある日、次女の孫の足の親指が、母にそっくりなことに気づき、母から私、娘、そして孫に命が受け継がれていくと感じられ、生きる力を与えてくれました。
介護の後悔は
落ち込まずに生かして。
私は全力で介護をしてしまったけれど、今、介護をしている人には「自分だけで抱え込まないで」とお伝えしたいです。ヘルパーさんにお願いしたり、施設に預けるのは悪いことではありません。明るい顔で、楽しい会話ができるような介護をするのが一番。介護中に美容院に行ってもいいし、映画を見に行ってもいいんです。
頑張りすぎた介護で、母に申し訳なかったと後悔していることがあります。それは、長生きしてほしいからと、体にいいものを食べさせ、食べたいものを制限したこと。母の病気が発覚した年齢に近づいた今ならば、「食いしん坊の母には辛かっただろうな」とわかります。私なら、命が短くなっても食べたいものを食べたい。娘たちにもそう伝えています。
でも、後悔はしているけど、母が私に教えてくれたのだと思い、落ち込まずにそれを生かしていきたいです。だから、元気なうちに、どうなったら施設に入りたいのか、お葬式やお墓はどうするかなどのエンディングを、自分で決めています。それを娘たちに書き残し、気持ちが変わったときは、必ずアップデートしているんですよ。
一生つき合うかもと思っていたうつは、治りました。喜怒哀楽の感情も戻り、歳を重ねたのにも関わらず、以前よりずっと元気です。「あの婆さん、また旅行に行っているよ」と呆れられるくらい、残りの人生は楽しみたいです。
取材・文・編集協力/大橋史子(ペンギン企画室) イラスト/タムラフキコ 撮影/島崎信一 編集協力/株式会社Miyanse
『月刊益軒さん 2023年4月号』(カタログハウス刊)の掲載記事を転載。
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あんどう・かず
エッセイスト・コメンテーター。1948年生まれ。TV・ラジオなど多数の番組に出演。教育問題、食、自身の介護体験などをテーマにした講演会もおこなう。夫は俳優・映画監督の奥田瑛二、長女は映画監督の安藤桃子、次女は俳優の安藤サクラ。
『“介護後”うつ
「透明な箱」脱出までの13年間』
安藤和津
(光文社・税込1,430円)
「食と笑いで養生する」をテーマにした月刊誌。「わたしの介護」のほかに、ウェブ通販生活でもおなじみの「老いるショック」や「巻頭インタビュー 今月の益軒さん」などの読み物記事や、脳トレドリルなどを掲載。“健康寿命”に貢献できる養生食品も販売している。雑誌名の「益軒さん」は、江戸の儒学者、貝原益軒の名に由来。