元気いっぱいのトークでテレビやラジオで活躍するハリーさんは、仕事もこれから、という27歳の時に最愛の父親がパーキンソン病と認知症を併発。孤独な在宅介護を経て父に寄り添った10年の日々を振り返ります。
わたしの介護年表
2012年
父73歳
首が傾き姿勢が悪くなり、歩きづらくなる。パーキンソン病を発症。
2013年
父74歳
ガスの消し忘れやトイレに閉じ込められたり、深夜に仕事に出かけようとする。レビー小体型認知症の診断。在宅での生活サポートが始まる。
2014年
父75歳
東京都・区立の「特養」(特別養護老人施設)でデイケアやショートステイを利用する。
2016年
父77歳
そのまま特養に入所。ケアを受けながら、共著やインタビューによる書籍を出版。
2020年
父81歳
コロナ禍による面会制限によって、家族でのケアができなくなる。
2022年
父83歳
誤嚥性肺炎により救急搬送。3週間入院したのち特養に戻り静養。4月17日、家族に見守られ永眠。
「特養」の利用を決心してやっと家族に
笑顔が戻る。
2014年頃には、母方の祖母がお世話になっていたケアマネージャーに相談をして、家から歩いて5分ほどのところにある区立の特養(特別養護老人ホーム)でのデイケアやショートステイを利用するようになりました。祖母の縁で、家の事情をよくわかっているケアマネージャーにつながったことは本当にラッキーでした。母も僕も少し気持ちにゆとりができましたが、父の症状が良くなることはありませんでした。
1年ほどこの生活をつづけましたが、僕も母も日々のストレスから体調を崩すようになり、もう限界かもしれないと感じて、父をそのまま同じ施設に入所させてもらうことにしました。最初の頃の父は、自分がどこにいるのか理解している時もあったり、よくわからない時もあったり、と波がありました。「ハリー、私は頭がおかしくなってしまったよ。自分がどこにいるのか、何をやっているのかもわからない。でも、それも悪くないよ、そんな人生もまたおもしろい」と話してくれたとき、僕は父に悟られないように泣いてしまいました。人生の終盤にあってもこのユーモア! この精神力! あらためて父の偉大さを感じました。
母は、施設でも生活のペースが崩れないようにと、毎日同じ時間に父の部屋を訪ねて、それまでの日課だった「新聞を読む」という役目を与えていました。
認知症で施設にいても、
仕事はでき
るんだということを
父自身が示してくれました
僕も週3、4回は父に会いに行っていました。趣味のサッカーやランニングで得た知識で、マッサージをしてあげたり、リハビリに付き合ったり。父にも笑顔が戻り、僕自身、母にも優しくなれて、家族にやっと穏やかな時間が戻ってきたような気がしました。
それ以前は、父が弱っていくことを認められなかったけれど、老いていくことはナチュラルなこと、できなくなることが増えても、それは恥ずかしいことでも隠すことでもなかったんだと思えるようになりました。
ある日、父が好きなことを書き出してみたことがあります。「仕事」「ロック音楽」「スポーツ観戦」……「そうだ、父を喜ばせることはこんなにあるんだ、まだ出来ることがある」と気づきました。
父の体調がいい時には、ライブを観に行ったりサッカー観戦をしたり、日本外国特派員協会のダイニングバーでお酒を飲んだり、レストランでビールやステーキを食べたこともありました。そんなときの父はとても楽しそうで僕も久しぶりに幸せな気持ちになりました。家の中に閉じこもるのではなく、外の空気を吸って刺激を受けることがお互いに必要だったんですね。
施設では介護のプロの方々から適切なケアを受けていたおかげで、症状も安定した父は、インタビューを元にした本を出版することもできました。認知症で施設にいても、仕事はできるんだということを父自身が示してくれたのです。
父からのエールを胸に「介護」をテーマに語る。
晩年の父は、パーキンソン病の症状なのか加齢が原因なのかはっきりわかりませんが、耳も聞こえなくなっていたので、筆談でコミュニケーションをしていました。認知症になると視野が狭くなるため、目の前にボードを置いて会話するのですが、その前に刺激を与えることが必要でした。音楽を聴かせたりマッサージをしたり歩かせたあとにボードに文章を書くと、「目の前に息子がいる」とわかるんです。
しかし、コロナ禍に面接を制限され、久しぶりに会った時にはすっかり弱々しくなっていて、本当に悔しかったことを思い出します。
父との思い出で大切にしていることがあります。2014年、父が特養のショートステイなどを利用していた時期、思い切ってイギリスの実家に父と里帰りしたことがありました。その時、家の裏庭で「ハリー、お前はやりたいことをやれ。それが俺の望みだ」と言われたんです。その言葉は父から僕への「エール」だと思い、ずっと大切にしています。
父が晩年の姿を通して僕に託したものは「介護」というテーマです。超高齢化社会を迎え、多くの人が介護を必要とする時が来ます。知識がなかったために「精神論」で乗り越えようとして失敗したかつての僕のようにならないよう、若い時に「老い」について学んだり、家族間で介護について話しあっておくべきだと思います。
長い間、父を支えてくれた介護従事者の皆さんには感謝してもしきれません。体験した僕だからこそできる形で、介護や認知症のことをこれからも積極的に話していこうと思っています。
取材・文・編集協力/小泉まみ イラスト/タムラフキコ 撮影/藤田政明 編集協力/株式会社Miyanse
『月刊益軒さん 2022年12月号』(カタログハウス刊)の掲載記事を転載。
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