作家の荻野アンナさんは、約15年間、父と母を介護しました。その間に自身の大腸がんも発覚し、手術と治療をすることに。できないことが増えてわがままになる両親と、時にはぶつかりながらも、相手の気持ちに寄り添った介護を心がけたと言います。
わたしの介護年表

父の介護
2000年
父85歳
悪性リンパ腫で手術入院。続けて、翌年腸閉塞になり手術入院をする。その後5年ほど元気に。
2006年
父91歳
心不全で入院し、リハビリ病院を経て、自宅介護。その後、有料老人ホームへ入居する。
2010年
父95歳
入退院を繰り返すが、老人ホームで4年間過ごす。医師の見立てより半年も長生きし、天寿を全う。

母の介護
2000年
母77歳
バスのドアにぶつけて右腕を骨折。腰椎滑り症で腰が曲がっていて、夫の介護はできない。
2006年
母83歳
ヘルペスで入院。徐々に体調を崩していく。自宅のトイレで動けなくなり、救急車を呼ぶ。
2012年
母89歳
アンナさんが大腸がんになる。要介護4の母と一緒に入院。のちに、母は肺の扁平上皮がんで入院。
2013年
母90歳
退院して家で24時間介護に。家が施設になる。絵の制作は続け、秋に展覧会に出品する。
2015年
母91歳
前年にペースメーカーを入れて、命をつなぐ。1月12日に亡くなる。
※年号・歳の一部は目安です。
「父を殺して私も死のう」
切羽詰まって爆発した
両親の介護は、2000年に始まりました。父はフランス系アメリカ人で、現役時代は世界100カ国以上回った船長です。日本に60年近く住んでいますが、日本語は全く話せません。母は画家で自宅をアトリエにし、亡くなる直前まで創作活動をしていました。
年の初めに母が画家にとって命の右腕を骨折。徐々に治って夏には絵の制作ができるようになったら、今度は父。悪性リンパ腫、さらに翌年に腸閉塞になりました。母は重度の腰椎滑り症と気管支炎の持病もあったので、自分のことで精一杯。私は2人が暮らす家と近所の仕事場の2拠点生活をしながら、ほぼ毎日様子を見に行きました。
しばらくは落ち着いていましたが、5年ほどたった頃、90歳の父はお酒の飲み過ぎから、心不全を発症して入院。父の趣味は散歩と読書とお酒だったのですが、目と足が悪くなってお酒に走ってしまったのです。アルコールによるせん妄状態になり、私の腕をガシッとつかんでひねり、「アイキャントオープン」と言うんです。要するに、人の腕を酒瓶だと思っている。その後、私の顔を見て「外国人のような方ですね」と。「そりゃそうだよ。あなたの娘ですから」と返しました。それでもどうにか、せん妄も心不全も徐々に良くなって10日ほどで退院しました。
でも、入院で足腰が弱って歩けません。母は腰が曲がっているし、私は仕事があるので介護できません。近所の医者に入院できる病院を紹介してもらい、その間にリハビリ病院を探して転院しました。
父はなぜ入院しているか理解できず、「元気なのに閉じ込められている」と定期的に爆発します。英語で叫ぶので病院でも困って、その度に呼び出されました。
そんなことが続き、あるとき担当医から「もう出ていって欲しい」と電話がありました。なんとか原稿を仕上げて、病院に向かう途中、駅前のコンビニで、無意識のうちに缶チューハイとカッターナイフを購入。缶チューハイは、病院に着く前に飲んでしまいました。
「爆発しないように」と父を説得したら鼻であしらわれ、今度は私が爆発。父に飛びかかろうとしたのを、看護師さんに取り押さえられました。「父を殺して、私も死のう」がその時の心境です。さすがにカッターナイフは出さなかったけど、切羽詰まっていました。でも、こちらの逼迫度が病院に伝わり、父は追い出されずにすみました。
父の在宅介護で
「誰が倒れるか」の状況に
翌年に父が退院。開業したばかりの有料老人ホームを見つけたのですが、父は「入りたくない」と言います。在宅介護は難しいと思いましたが、とにかく父の意向通りにしようと決め、介護保険を使ってヘルパーさんやデイサービスを利用しました。すぐにヘルパーさんが、英語しかわからない、骨格がしっかりしていて持ち上げるのが大変な父に音を上げ、母も家に他人が入るのが嫌がり、さらに私も仕事中に頻繁に連絡がくることに参ってしまいました。
「誰が先に倒れるか」と、当時のメモに書いてありました。結局父は、自宅での介護が成り立たないとわかり、老人ホームに入ることを納得してくれたのです。
本人の意向を尊重したほうが結局は上手くいくと思ったのは、父の知人で同じホームに入っていた方から話を聞いたからでした。その方はホームに入ることを承諾したものの、実際に入ったら「1カ月間も暴れた」とのこと。本人が心から納得しないと難しいのだと、父には「好きなようにしていいよ」と言いました。
5月に退院して7月にホームに入ったので、在宅介護は2カ月ほどでした。介護認定をいつ受けたかは思い出せませんが、このとき、父は要介護4、母は要介護3でした。


父の在宅介護は難しいと
思ったけれど、まずは
本人の意向を尊重しました
父が老人ホームに入居して落ち着いた頃、母が徐々に体調を崩していきました。母は絵を制作するときに、他人がいると集中できないこともあり、ヘルパーさんをなかなか受け入れられませんでした。とにかくご飯だけでもと思い、朝、大学へ出勤する前に母の夕食を作り保存容器に詰め、実家に寄って冷蔵庫に入れておく。でも、食欲のない母はそれを食べずに、お粥に卵を落としたものばかり食べていました。
私が作ったお惣菜は、冷蔵庫の奥でカビていました。食材を無駄にしてしまった上に、私の手間も報われないと思って、落ち込む日々…。でも、あるとき「これは宇宙へのお供えもの」だと切り替え、無駄になるのを覚悟して作り続けていました。
その後、母は風邪薬の副作用で肝臓を悪くして入院。その時、同時に偏った食事の栄養不足が原因の低タンパク血症と診断されました。血中のタンパク質量が普通の人の半分以下しかないそう。コレステロール値は高いのに、その後も、卵をかけたうどんばかり食べるなど、改善されない母の栄養不足は、悩みの種でした。
次回(2月17日公開)に続く
取材・文/大橋史子(ペンギン企画室) イラスト/タムラフキコ 撮影/島崎信一 協力/株式会社Miyanse
『月刊益軒さん 2023年10月号』(カタログハウス刊)の掲載記事を転載。
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