エッセイストの岸本葉子さんは、お父さんが住むマンションに、お兄さん、お姉さんと共にローテーションを組んで通って介護をしました。約5年間、ほぼ在宅でのチーム介護がうまくいったコツを教えていただきます。
わたしの介護年表
2008年
父85歳
きょうだいで介護できるマンションを購入するも、コミュニケーションの不足で半年ほど空き家に。
2009年
父86歳
チーム介護スタート。父が新マンションと兄宅を行き来する。移動が難しくなり、新マンションだけの生活に。
2010年
父87歳
甥2人がチーム介護のメンバーに。ローテーションはやや変化したが、岸本さんの土日担当は変わらない。
2011年
父88歳
介護保険を申請。要介護3と認定される。ケアマネージャーさんのプロのノウハウに救われる。
2013年
父90歳
症状が進み、訪問看護師さんを依頼。プロの手に委ねることを検討、施設の資料を取り寄せ始める。
2014年
父90歳
誤嚥性肺炎で、救急車で病院に運ばれて入院。その後、91歳の誕生日を迎える前に亡くなる。
介護に時間を割いている
人の意見を尊重。
介護のやり方はもちろん、家事や部屋の片づけなど、きょうだいでの考え方ややり方の違いは色々ありました。例えば、私は介護保険の申請を早くして、サービスを利用したかったのですが、兄や姉は外の人に入ってもらうのは気がすすまなかったよう。介護に一番長い時間を割いている兄と姉の意見を優先させるべきだと、2人の意見を尊重しました。
しばらくして、兄が信頼できる人から「ヘルパーさんのプロの介護が良い」と聞いて利用を前向きに。介護保険の申請は、介護を始めて2年ほど経ってからでした。
看護や介護の知識がないから、とくに介護保険を申請する前は、“ヒヤリハット(事故にはならなかったが、「ヒヤッ」「ハッ」としたこと)”は、ありました。例えば、誤嚥は気にしていたのですが、栄養をとってほしいので、お粥に卵を混ぜてフワッとして食べさせていました。食後に薬を飲ませようとしたら、卵の塊が喉の奥に残っていて。あんなに柔らかい卵も飲み込めないのだと、驚きました。どんどん食べさせていたら、喉に詰まっていたかもしれません。似たような体験は他の2人もしていたので、口頭で報告し合いました。
情報共有で役に立ったのは、何時頃に何を食べたか、どの薬を飲んだかなどを書いた、「申し送りノート」です。これは元々、父の脳トレのため食べたものを書いてもらうつもりでしたが、父が自分では書けなくなり、介護している人が代わりに書いていたら、いつの間にか「申し送りノート」に。偶然の産物ですが、ダイニングテーブルに常備しておきました。
介護はワンチーム
トータルで考えればいい。
よく「仲間割れしませんでしたか?」と聞かれますが、介護を一つのチームとすると、色々なタイプの人がいて、トータルでうまくいけばいい。役割分担をしてそれぞれが自分のできることをすればいい。話し合ったわけではないけれど、自然にそうなりました。
私は仕事をしているので、家は用意できるけれど、時間はあまり提供できない。姉は平日に来て多くの時間を提供してくれた。兄は平日の夜の時間を提供し、役所などの申請もしてくれた。私のできないことを2人がしてくれたので、ありがたいなと思っていました。
チーム介護がうまく回った大きな要因の一つは、介護に参加していない時間に、どこで何をしているかをお互いに聞かなかったことだと思います。私は土日当番でしたが、出張が入ってどうしても行けないときは、カレンダーに「用事あり」などと書いておきます。それを見て姉と兄の都合がつくほうが交代してくれました。
兄や姉も同様で、都合が悪くなったときは誰かが助っ人しました。カレンダーを見て2人から「何があるの?」と聞かれたことはありません。仕事でも趣味でも、その人にとって大切なことなら尊重しようという雰囲気は、気持ちをラクにしてくれました。
父を喜ばせると
介護がラクになる。
介護中に、父が喜んでいるなと感じたことが二つありました。一つは、介護する人が笑顔で楽しそうにしていること。認知症の人は感受性が鋭くなるのか、介護する人が暗い気持ちでいると、なんとなく不安定に。私たちが楽しそうにしていると、状態も安定して介護がしやすくなります。
そこで、父と私が楽しくなる“自慢話をする方法”を生み出しました。例えば、お気に入りのブラウスを着て、父に「このブラウス、柄が素敵でしょう?」と私の気分が良くなる話をするのです。父は内容を理解していませんが、笑顔で聞いてくれました。認知症のすぐに忘れてしまう特性を逆手にとって、何回も同じ話を(笑)。
二つ目は、寝る前に愛情を通わせること。ベッドで落ち着いた体勢になったとき、「おやすみなさい」とにこやかに目を見つめるようにしていました。日中に少し嫌な態度をとってしまっても、父の中で浄化されるように感じ、私自身も救われました。同じ話を子育て中のお母さんもしていたので、共通点があるのかもしれません。
まだ外に出られる頃は、散歩に連れ出すとうれしそうでした。公園や喫茶店に同じような高齢者がいて、なぜか会話が成立しているよう。その夜は、寝つきも良いので、私も助かりました。
振り返ってみると、介護が家族を再結集させてくれたようです。成人した甥2人とも、介護がなければ付き合うことはなかったはず。姉から息子に書いた申し送りノートに、「音楽を聴くのはいいけど、ラップはおじいちゃんが呪文みたいだと怖がるからやめて」とあって、思わず笑ったことも。介護はやはり大変なことも多いですが、こんなふうに時々面白い出来事もあり、それを発見するのも大切だと感じました。
約5年間チーム介護をし、父は2014年に90歳で亡くなりました。その後、きょうだいで連絡を取り合ったり、時々みんなでごはんを食べることも。介護が、家族をつないでくれています。
取材・文・編集協力/大橋史子(ペンギン企画室) イラスト/タムラフキコ 編集協力/株式会社Miyanse
『月刊益軒さん 2023年1月号』(カタログハウス刊)の掲載記事を転載。
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