わたしの介護

33

認知症の父と向き合うために
哲学が役に立ちました 【前編】

ノンフィクション作家の髙橋秀実さんは、認知症の父親とかみ合わない会話を繰り返すうちに、「これは哲学に通じる」と考えるように。父親と親友のような関係で向き合うことができました。常識にとらわれない、「笑える介護」の極意をお話しいただきます。

わたしの介護年表

2018年12月
父87歳

母が急性大動脈解離で亡くなり、父がひとりでは日常生活を送れない人であることが明らかに。髙橋さん夫婦との同居が始まる。

2019年2月
父87歳

介護度認定を受け、要介護3となる。

2019年3月
父87歳

同居をやめ、「定期巡回・随時対応型訪問介護看護」サービスを活用しながら遠隔介護で支えることに。

2019年7月
父87歳

トイレの失敗をするようになり、リハビリパンツをはき始める。

2020年1月
父88歳

正月の家族との集まりで、食欲がなくぼんやりしていた。数日後に体調が悪化して救急搬送。CT検査により「末期の胃がん」と告げられる。

2020年2月
父88歳

髙橋さんの妻に手を取られて体操をし、「最高」とつぶやいたのを最後に「傾眠(意識が混濁する)」状態になり、2日後に永眠。

※年号・歳の一部は目安です。

母がいなくなって発覚した
「家父長制型認知症」

一般的に認知症って、「様子がおかしくなった」「人格が変わったようだ」というふうに、“以前との差”に気づくことで始まりますよね。しっかりしていた人ほど落差が大きいので、家族はショックを受けるんだと思います。でもうちの場合、おやじは元々とぼけたことばかり言う人でした。だから認知症になる前と後でのギャップがあまりなかったんです。

いっぽう母はしっかりした人で、「大丈夫」が口癖でした。子どもたちに迷惑をかけたくないという気持ちがあったのでしょう。「お父さん、変じゃない?」と言っても、「大丈夫、大丈夫」と取り合いませんでした。

その母が5年前に急性大動脈解離で倒れ、あっという間に亡くなってしまいまして。ひとり残されたおやじは、どう見ても「大丈夫じゃない」状態。身の回りのことはすべて母にやってもらっていたので、何もできない人になっていました。食事とはテーブルに座ることだと思っている、自分の飲むべき薬もわからない、お金の管理もできない。本人は片付けているつもりでしょうが、冷蔵庫に新聞や軍手を入れるなど、とんでもないことをしてしまう……。

しかし夫婦ふたりで暮らしているときは、何も問題はなかったのです。そういう意味では、おやじの認知症は母の死によって発症したものであり、「家父長制型認知症」(髙橋さんの造語)といえます。そんなおやじをひとりで放っておくわけにもいかず、妻と私が同居することになったんです。

取り急ぎ介護保険のサービスを受けるため、区役所に要介護認定を依頼。調査員の方の「今日の朝ごはんは?」という質問に父は、「ふかふかふかっと、ふっくら炊きあがった白いごはん。それに、あったかい豆腐のお味噌汁。それと焼いた鮭、ほうれん草のおひたしもいただきました」とスラスラと答えました。身振り手振りを交えながらの説明でしたが、全くのでたらめ。実際にはトーストと目玉焼きでした。きっと、「こう答えたほうが喜んでもらえるんじゃないか」というおやじの思いから出た言葉だったのでしょう。しかしこうした言動は「取り繕い反応」と呼ばれ、典型的な認知症の症状だそうです。

ほかにも、アルツハイマー型認知症の特徴である「ニコニコと協力的で幸せそうな様子」「答えにつまると近くの家族に向かって同意を求める様子(頭部振り返り現象)」も確認され、おやじは「要介護3」と認定されました。

認知症の父親を
哲学で理解しようと試みた

同居した当初はとにかくストレスが溜まりました。おやじは数秒前のことも覚えていないし、言い間違いが非常に多い。ボケているのか、とぼけているのかよくわからない物言いにも苛立ちましたね。不平不満を妻に愚痴っていたら、「メモしてないの?」と指摘されて。「そうか、メモすればいいのか」と思ったんです。職業柄、いつもやっていることですからね。おやじの言葉を一字一句正確に書き留める。自分の言ったことをすぐ忘れてしまうので、後で再確認できない。その場で確実に記録しなければいけないので、おのずと真剣に耳を澄ますようになるわけです。

インタビューのつもりで
おやじの言葉を記録する
ことで、冷静になれました

そのうち、おやじのトンチンカンな言葉にも「一理あるな」とか、「もしかしたら、本質的なことを言っているのでは」と感じるようになりました。そして「これは大学時代に学んだあの哲学じゃないか!」と気がついたんです。私は認知症のおやじを哲学によって理解しようと考え、哲学書を読み返してみることにしました。

たとえば、おやじはしょっちゅう「あれはどうしたかな?」「おかしいな」と探しものをしていました。これも認知症の症状だそうです。同じ場所を何度も探そうとするおやじに「(そこには)ないよ」と言うと、「俺に言わせりゃ、どっかにある」と反論してきました。「ある」「ない」で揉めたんですが、これって古代ギリシャの哲学者パルメニデス以来の存在論でしょ。ドイツの哲学者ヘーゲルが、「有と無とは同じものである」と言っていたように「ある」から「ない」、「ない」から「ある」わけで対立することじゃないんです。

また、見当識(自分の置かれている状況を把握する能力のこと)を試す質問で、「ここはどこ?」と質問してみたことがあります。するとおやじは「どこが?」と問い返してきました。「だからここ」と言うと、「ここってどこだ?」とおやじ。考えてみると「ここ」という言葉は空間だけでなく時間を表す場合もあります。私が訊いた「ここ」は場所ですが、おやじの「ここ」は概念の所在。つまり哲学的問いなんですね。

こうしてインタビューするつもりでおやじに接することで、冷静になることができました。たとえば、おやじは気に入らないことがあると「うるせぇー!」と暴れだしたりするんですが、こっちはメモを取ることに追われているんで、怒るヒマがないんです(笑)。

生まれたばかりの秀実さんを抱く父。(写真は髙橋さん提供)

次回(6月19日公開)に続く

取材・文・編集協力/臼井美伸(ペンギン企画室) イラスト/松元まり子 撮影/吉崎貴幸
月刊益軒さん 2024年2月号』(カタログハウス刊)の掲載記事を転載。

〈編集部より〉
髙橋秀実さんは、このインタビューの取材後、2024年11月13日にご逝去されました。
謹んでお悔やみ申し上げます。

もくじ