作家・篠田節子さんのお母さんの言動に異変が起きたのは20年前。そばで見守る介護生活を経て介護施設への入居が決まった途端、篠田さん自らが乳がんに。介護優先で後回しにしがちな介護する側の検診や治療の大切さを語ります
わたしの介護年表
1998年
母74歳
妄想からくる激昂の症状が激化。頭部MRI検査では「認知症」の診断は出ず。
2005年
母81歳
原因不明の腹痛で救急搬送。外部とのやりとりに支障が出る。もの取られ妄想も顕著に。
2008年
母84歳
かかりつけ医を地域拠点病院に変える。処方された抗認知症薬が合わず別の薬に変更。
2013年
母89歳
慢性硬膜下血腫の手術。自宅療養に移り、独自のリハビリで左半身麻痺を克服。
2017年
母93歳
イレウスの疑いで入院。認知症の症状が悪化し、そのまま病院内の老健に入居。
2018年
母94歳
篠田さんに乳がんが発覚し、切除手術と乳房再建手術を行う。
2019年
母95歳
妄想からくる激昂の症状が激化老健を退去し、グループホームを経て、病院の認知症病棟に転院。
「なるべく手を貸さない」半身麻痺から復活。
介護者がメンタルをやられる辛い作業が「シモの世話」ですが、母の場合は認知症がかなり進んでも必要ありませんでした。色々怪しくなった時期に自分で用を足せるように工夫したのが役立ったようです。たとえばトイレの位置に迷うので、もよおしたらトイレまで案内します。そのままドアを開け放して私とおしゃべりしながら、機嫌よく用を足してもらう。終わったらトイレットペーパーを自分で取ってお尻を拭いて水まで流してもらいます。レバーなどに迷っていたら、その都度、指示します。夜はピカッと照明を点けてトイレのドアを開け放しておきます。こうすれば寝室から出てすぐ便器を見つけられるので、安心して用を足し、また寝てくれます。たとえちょっと粗相しても、雑巾で拭けばいいこと。床にはマットなど敷かず、便器はいつもピカピカに磨いておきました。おむつで排泄物の交換をするよりも、ここまで自分でしてくれるほうがよほど介護者も楽ですよね。
「なるべく手は貸さない」は徹底していました。介護者がやってあげてしまう理由の1つは可愛そうだから、もう1つは失敗された時に面倒だから。でも、失敗は想定内。その時はその時で対応すればいいのです。母はよく「手を貸せ」と怒っていたけれど、そのうちに手を繋ぐのも煩わしいとなり、足も鍛えられて杖もいらなくなりました。知人の医師から、「ふつうは寝たきりコースだよ、よく復活させた」と褒められました。
ところが翌年、父が交通事故で亡くなってから、混乱がひどくなります。三年後にイレウス(腸閉塞)の疑いで入院したとき、ついに担当医から「自宅で介護するのはもう無理」と言われます。病棟から病院併設の老健に入所、そしてグループホームへ、さらに病院の認知症病棟へ移りました。
介護者も自分のケアをしやすい仕組みが必要。
母が老健に入居したタイミングで、やっと自分の健康を気に掛ける時間ができました。5年ほど前に検査で甲状腺腫瘍を指摘されていましたが、母を連れては精密検査に行けず、紹介状をそのまま放っておきました。ようやく受診したら「経過観察、1ヵ月後に再検査」です。不安な思いで過ごしていると、右乳首の乳頭から小さな出血を発見しました。「これってもしや?」とすぐに乳腺クリニックを受診し検査をすると、乳がんが発覚。ステージ1と2の間の浸潤がんでした。初期なので治療すれば大丈夫と先生がおっしゃったのですが、検査の結果温存手術は無理。切除となりました。
病院から指示する形で、
半ば強引でも被介護者を一時的に
介護者から離すことも必要です
認知症家族の介護者でがんになる人は多いような印象を、私のまわりを見ていると受けます。そのストレスを考えれば当然でしょう。こうして自分が介護中に病気になったことで、介護者が検査や治療に必要な時間を確保するための実効性のある仕組みが必要だと痛感します。実際のところ、ショートステイなどの預かり施設は、当人が嫌だと言えば預かってはくれません。「わたし検査が必要なの、お母さんちょっとショートステイ行って」「分かった」なんて通じ合えれば苦労しませんよ。たとえ当人が嫌だと言っても意志に関わらず、一時預け入れを実行するにはどんな方法があるか――思うに、頼りになるのは、かかりつけ医などの「白衣の権威」です。いつも自分を診ている先生が「検査入院しなさい」と言って、従わない患者はほとんどいません。病院から指示する形で、半ば強引にでも被介護者を一時的に介護者から離す。これは息抜きなんて甘いものではありません。命に関わることですから。「本人の同意が必要」とすぐに持ち出す専門家がいますが、それは理想論、融通性が必要です。
「どうやって仕事と介護を両立させていたのですか?」とよく聞かれますが、私は一人っ子ですし、他に頼れる人がいません。介護も仕事と割り切ってはいましたが、母が老健に入るまではとにかく早く(介護が)終わってくれ、たぶんこちらが先に病気で死ぬだろうという気持ちになることも。そんなときは、学生時代からの友人同士で親の悪口大会、母からの携帯電話に対応しながら仲間と集まって趣味のチェロを弾く時間も有難かったです。「この一瞬を楽しむ」「終わったら即切り替える」という芸当も身につけました。
このコロナ禍でまる1年、母とは面会できませんが、一時衰えた食欲がまた出てきたとのことで少しホッとしています。この8月でみごと98歳を迎えました。
〈編集部追記〉篠田さんのお母さまは、このインタビューの取材後、2022年9月10日にご逝去されました。謹んでお悔やみ申し上げます。
取材・文・編集協力/小泉まみ イラスト/タムラフキコ 撮影/片柳沙織 編集協力/株式会社Miyanse
『月刊益軒さん 2022年10月号』(カタログハウス刊)の掲載記事を転載。
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