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この先を考えれば不安も。
まず「今日、明日」で考えています 【前編】

鞭を片手にSMの女王様の衣装で登場、実体験をネタにした漫談で人気を博した芸人にしおかすみこさん。コロナ禍、久しぶりに帰省すると、家の中の様子がおかしい! ? 初期の認知症を発症していた母、そして父、姉との同居に戻った今とこれからを語ります。

わたしの介護年表

2020年
母80歳

家の中がゴミだらけ。人格が変わったようにぼんやりとしたり、激情的になる。会話の内容を忘れる。精神科での診断は初期の認知症。

2021年
母81歳

脱水症状で倒れる。「地域包括支援センター」の訪問を受けるが、「要見守り」と判断。

2023年
母83歳

会話の内容を忘れる時間が短くなり、同じ話を繰り返す。記憶がすり替わることも多くなる。

※年号・歳の一部は目安です。

「頭かち割って
死んでやる!」と憤慨

2020年、コロナ禍で仕事が減り、家賃の安い家に引っ越そうと物件を決めたタイミングで、久しぶりに実家に帰りました。

玄関を開けると、なんか空気が澱んでいるというか臭いというか。「ただいま~」と言っても返事がない。居間はカーテンで閉め切られていて薄暗い様子がぼんやり見えてきました。ローテーブルの上には、食べたあとのカップ麺や缶詰の残骸、お惣菜の入っていたプラスチック容器、真っ黒なバナナの皮……ちょっとしたゴミ屋敷みたい。

その中で座椅子に座っている母がいて。振り向いた顔はなんだか生気がなくて。数秒、間があってから、びっくりしたように「ヒィィィ~」と。

「どうしたの? 散らかってるし臭いよ」と言っても、「何もしたくないだけだよ」と。

母も80歳、年と共にいろいろなことが面倒になるのはわかるけれど、これまで掃除は普通にしていたはず。とりあえず換気しようと窓に向かうと、足元は砂か埃かでジャリジャリしていました。

部屋の状態も母の様子も何かおかしいなと思いながら、「カーペットを買い替えようよ」と言ったら、母は突然「余計なことするんじゃないよっ! 偉そうに、何様なんだよ~! うわああああ!」と叫んだんです。「もう嫌だ嫌だ嫌だ~! 上等じゃねえか! 頭かち割って死んでやる!」と2階に上がったかと思うと、布団に入って寝てしまいました。

元々、威勢のいい母ではあったんです。でも、「死ぬ」というネガティブな言葉を使ったり、理不尽に怒ったりするようなことはなかった。初めて見る母でした。涙が溢れて呆然としていたら、どこにいたのか、父が「頭かち割って死ぬって最近よく言うんだよ。口癖なんだろうなあ」って。母のSOSを口癖ってなんだ! と腹が立ちました。

81歳の父は超酒好きの「酔っ払い」。人の言うことを聞いていないマイペース型です。47歳の姉はダウン症でとても優しい。母は元看護師でしっかり者。これまで姉や私を育てあげ、生活費のやりくりをしながら、一家の大黒柱としてずっと頑張ってくれていました。だから余計に私は、目の前の母に戸惑ったし、びっくりと心配と、感情もごちゃごちゃで。引っ越しして一人暮らしを続けている場合じゃないと、部屋の契約をキャンセルして、20数年ぶりに実家に戻りました。

診断は初期の認知症
介護認定は受けず見守りへ

家に戻って気付いたのは、母が1時間くらい前に話したことを繰り返すこと。友達に話したら「認知症じゃない?」と言われて、はっとしました。いや、でも心のどこかに「やっぱり」みたいな気持ちもあったかなあ。

「お医者さんに行こうよ」と母に言っても「そんな必要ない」と拒絶されました。本当は自分でもおかしいと思っていたのかもしれません。認知症と診断されたら怖いとか、不安な気持ちがあったのかもしれないですよねえ。何回「行こうよ」と言っても「うん」とはならなかったのでもう諦めていました。そうしたらある日、「行ってやらあ、煮るなり焼くなり好きにしたらいいさあ! そこで腹かっさばいて死んでやる」って。言葉はネガティブですけど、「あ、行くって言ってるんだ」と。

「今ならチャンスかも」と、精神科に連れて行きました。診断結果は脳の萎縮が見られる初期の認知症でした。とは言え、母は寝たきりでもない、徘徊もない、元気です。でも私は疲れていました。「姉や父も合わせて3人背負うのか。どうやって?」みたいな先々の想像でぐったりしていたのもあったと思います。でも、「じゃあ今は?具体的に何に困ってるの? 介護ではなく家事にいっぱいいっぱいになっているだけ?」もう何もかも「わからない」で、考えることすら放棄していた気がします。

実家に戻った年の暮れ、姉が粗相をしてしまったことがありました。姉は汚れた床を拭き掃除するんですが、かえって汚物が広がってしまいます。それがもとで夫婦ゲンカに。母は怒りながら姉の汚れたパンツを振り回す。父は「換気したらいいんだろ?」と片付ける発想すらありません。

何もかも嫌になって家を飛び出しました。夜遅く帰ると、私の部屋のドアにメモが貼ってあって「すみへ わすれてることも わすれたり、言ったことも わすれたり 来年は、もっと、もっとひどくなるかもと思います! それでも お姉ちゃんが生きてる間は生きててやろうと思ってるので、かんべんしてちょうだい。めいわくかけます。ごめんなさい! ママより」と書いてありました。ベッドで泣きました。

久しぶりの同居生活、
何に困って何が不安なのか
わからない状態でした

そんな時に「地域包括支援センター」の存在を教えてくれたのが「認知症じゃない?」と言ってくれた友達です。地域によっては要介護認定は時間がかかるから早めに申請した方がいいとアドバイスしてくれました。その時、要支援か要介護かによって受けられる介護サービス内容や利用限度額が違うことを初めて知りました。

ある時、庭先で洗濯物を干していた母が脱水症状で倒れたことがあって。すぐ回復はしたんですが、地域包括支援センターのことを思い出して電話をしたら、後日、職員さんが様子を見に来てくれることに。母に認知症の面談だと言えば拒否するだろうなと思っていたら、職員さんが「みんなの健康状態チェックだよ」という感じで伝えるのはどうかと教えてくださいました。結果は「要支援1、介護認定が取れない可能性もあります」と。認定を受けるには、さらに調査員の訪問が必要だと知り、たったこれだけの出来事で私は疲れて、これ以上、母を説得する気力がなくなり、介護申請はそのまま保留にしました。

保育園時代、4歳の頃のにしおかさん。足を捻挫中。

次回(3月20日公開)に続く

取材・文/小泉まみ イラスト/タムラフキコ 写真/島崎信一 写真提供(幼少時代)/にしおかすみこさん 協力/株式会社Miyanse
月刊益軒さん 2023年11月号』(カタログハウス刊)の掲載記事を転載。

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