わたしの介護

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介護には客観的な視点が重要。
いいケアマネさんに出会えました 【前編】

父亡きあと母と同居して約20年。物忘れが増え、毎晩、悪夢にうなされる母。まさかこれが認知症の始まりとは思いもしなかったという入江さん。自分だけでなく家族が壊れる寸前で介護付き有料老人ホームへの入居に踏み切るも、今なお心は揺れると言います。

わたしの介護年表

2004年
母74歳

父が亡くなり、喜和さんのマンションで同居を始める。

2011年
母81歳

一人になる不安が激しくなる。物忘れが多くなり、火の始末や戸締りも忘れがちに。就寝時のいびき、悪夢にうなされ寝言がひどくなる。

2015年
母85歳

うつ病を疑い、心療内科を受診する。性格がいじけたようになる。幻視が起こる。

2018年
母88歳

レビー小体型、アルツハイマー型との混合型の認知症と診断。要介護2によりケアマネがつき、デイサービス、次いでショートステイを利用。便秘症状が悪化。訪問看護を導入し、摘便の処置。

2022年
母92歳

実の妹と共に介護付き有料老人ホームに入居。

2023年
母93歳

コロナ禍を経て、月1回の面会が可能に。やや認知症は進行。

※年号・歳の一部は目安です。

家に一人でいられない母
物忘れが増えて趣味も中断

父は料理人で、東京・池袋で小料理屋を開き、その後は千葉・銚子で新たに飲食店を経営。晩年は長野・軽井沢の社員寮で賄いの仕事につき、もう一度、自分の店を持つという夢を叶えて、夫婦で軽井沢暮らしを楽しんでいました。

母は父だけが頼りだった人。父ががんに倒れて入院すると軽井沢に一人暮らしさせるのも心配で、東京の私の住まいに呼び寄せました。

72歳で父が亡くなると「一人でこれからどうしたらいいの?」と不安がりました。母は当時74歳、まだ元気でしたが、そのまま同居へ踏み切りました。

私は一人っ子です。小さい頃から「両親に何かあったら頼れる人はいない」と思っていました。夫には、親の面倒を見るから結婚はできないと言ったら、「いっしょに見ればいい」と。それなら、と結婚したのに、実際は仕事仕事でやっぱり戦力外ですかね(笑)。

うちはメゾネット式(住居内に階段があり1階、2階で一戸とする)マンションで、1階は同業の夫が仕事場として使い、母は2階のリビングで日中を過ごす日々。同じ階で仕事をする私とは、ほぼ1日いっしょにいるような生活です。

当時小学生だった娘は、塾に送り迎えしてくれるおばあちゃんを慕っていたし、私が苦手な洗濯は母にお願いしたり。10年ほどは家事の多くで戦力になってくれて、本当に助かっていました。

ところが、80歳を過ぎた頃から、物忘れが頻繁に起こるようになりました。さらに困ったのは、一人きりでいられないこと。四六時中、誰かといないと不安がるのです。母は父について各地を転々としてきたため、友達もいませんでした。

ちょうどその頃、夫の両親も次々と病に倒れ、看病のために私が泊まり込みになることも。そうなると母はとたんに弱気に。火の始末や戸締りも覚束なくなって、母と仲の良かった実の妹にたびたび泊まりに来てもらいました。

母は隣町の教会の聖歌隊のメンバーに入っていて、讃美歌を歌うのが好きでした。それが、ある時から行きたくないと言い出して。歳のせいかな、おかしいなと思い始めてはいました。

性格が変わり幻視も!?
家族全員がイライラ

それから5年ほど経った頃、さらにおかしいと感じることが。寝ている時に、今までの母にはなかった轟音のいびき、それが「かっ」と止まって無呼吸になる。耳鼻科で検査してもらいましたが、特に異常なし。そのうち、悪夢を見るのか寝言がひどくなって、「助けて~っ」と叫んだり、訳のわからないことを言う。ほぼ毎晩でした。

娘も大学生になっておばあちゃん離れして、私も仕事で忙しい。みんなから放っておかれてうつ病にでもなったんじゃないかと心療内科に連れていきました。でも、睡眠薬ぐらいしか対処のしようがないと言われて。

足元がふらついて転倒されても困るので、睡眠薬は飲ませずにいましたが、悪夢はおさまりません。それまで穏やかで明るかった性格も、いじけたようになりました。日中もおかしなことを言うんです。

「誰かに見られているからカーテンを閉めて」
「あそこにゴリラが隠れてて、こっちを見てるよ」

よく見たらオートバイなんです。今思えば「幻視」だったんですね。

私は仕事の締切りもあるのに、母のおかげで熟睡できず、毎日が睡眠不足でイライラ。母がわけのわからないことを言ったりすると、夫や娘もつい声を荒げてしまうようになってしまいました。

母にしてみれば、「なんでみんな怒っているの?」です。私たちは自己嫌悪になるし。世間によくある「介護殺人」も人ごとではないと思うようになって、とにかく娘には距離を取らせようと、一人暮らしをしてもらいました。

見えるはずのないものが見えて、怯えるのも認知症の症状。
『みっしょん!!』(第2話 私はどんな人間だった?)より

認知症専門医のネット記事で
母と同じ症状を発見!

その頃、ネットを読んでいて、たまたまある記事が目に止まりました。レビー小体型認知症の専門医が書いていたもので、症状が母とまったく同じ。

すぐに母をその先生のクリニックに連れて行きました。検査の結果、レビー小体型とアルツハイマー型の混合型認知症と診断され、地域包括センターにすぐ連絡をして、ケアマネジャーをつけて、デイサービスにも行かせた方がいいとアドバイスされました。

これが母に対して初めて受けた「外部の声」です。母がなんかおかしいなと思い始めて5、6年は経っていましたね。それまで親しい友人に母のことを話すことはありませんでした。だって、せっかくたまに会うのに、楽しくない話をしたくないじゃないですか。

認知症専門医の記事で、
毎晩悩まされたいびきや
寝言の原因がわかりました

時には誰かに頼りたいなと思っても仕事は忙しいし、どこに相談していいのかもわからない。私が頑張ればいいんだと、ずっと一人で思い込んでいたんです。

地域包括センターに初めて相談して、ようやく外部の介護のプロにつながりました。介護というと、寝たきりや車椅子というイメージがずっとあったので「母は長年、店に立っていたから足腰は丈夫、介護度は低いだろう」と思っていましたが、判定を受けるとすでに要介護2。驚きました。

次回(5月22日公開)に続く

取材・文/小泉まみ 漫画転載協力/講談社『BE・LOVE』編集部 写真/島崎信一 協力/株式会社Miyanse
月刊益軒さん 2024年1月号』(カタログハウス刊)の掲載記事を転載。

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