評論家の川本三郎さんによる、山田太一ドラマの魅力に迫る連載。今回は笠智衆三部作の最終作『今朝の秋』です。不治の病を患った一人息子のためにできることは何かと苦悩する老齢の男性を笠智衆が演じます。家族というものをあらためて考えさせてくれる山田ドラマの神髄を、川本さんに解き明かしていただきました。
今朝の秋
前編
- 作品:
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今朝の秋
1987年11月(全1回)NHK - 脚本:
- 山田太一
- 演出:
- 深町幸男
- 音楽:
- 武満徹
- 出演:
- 笠智衆、杉村春子、杉浦直樹、倍賞美津子、樹木希林、加藤嘉、名古屋章、沼田曜一、貴倉良子ほか
夏の避暑地・蓼科を舞台にした物語。
「逆縁」という言葉がある。親よりも先に子が死ぬこと。
笠智衆が老人を演じる三部作の最終作『今朝の秋』は「逆縁」の物語。一九八七年の十一月にNHKで放映された(全一回)。
当時、八十三歳になる笠智衆の健康を考慮して、撮影は夏の避暑地、長野県茅野市の蓼科(たてしな)で行われた。
蓼科は、小津安二郎監督をはじめ、小津作品の数々の脚本を書いた脚本家野田高梧(こうご)の別荘があったことで知られる。
はじめにこの地に来たのは野田高梧。すっかり気に入り、昭和三十年ごろ、笠智衆も誘った。笠は、以前、旅館の離れだったという古い一軒家を買い、老齢になってから毎年、夏はここで過ごすようになった。山田太一は、笠智衆が夏は蓼科で過ごすことを知って、蓼科を舞台に『今朝の秋』を書いたという。
このドラマの主人公、笠智衆演じる鉱造は、笠同様、夏を過ごすことにしている。撮影に使われた別荘は、野田高梧の娘と結婚した脚本家、山内久(ひさし)の別荘だという。
余命わずかとなった一人息子。
夏の蓼科。笠智衆演じる鉱造は、その夏も別荘で暮らしている。別荘といっても洋館ではなく古い日本家屋。縁側や雨戸もある。林のなかの一軒家。いかにも涼しそうだ。
妻はいない。あとで分かってくるが、妻は若い頃、他の男性と家を出たらしい。
一人の暮しながら、食事の支度から、家事や庭仕事も自分でする。今日も洗濯をして、洗濯物を庭に干している。まだまだ元気な老人である。
林のなかを一台のタクシーがやってくる。降り立ったのは、息子の嫁の悦子。一人暮しの義父を気づかってやってきた。演じるのは倍賞美津子。
料理の材料を町で買いこんできて、「何か作りましょう」と台所に立つと、食事を作りはじめる。
その様子を見て、鉱造は不審に思う。悦子は東京にブティックを持ち、店を切りまわしている。ふだんは仕事が忙しく、蓼科に義父を訪ねてきて、かいがいしく働くのは珍しい。
鉱造は不審に思い、悦子に聞く。
「何があった?」
それを聞いて悦子は、抑えていたものが切れたように思い切って打ち明ける。
夫の隆一が入院した。末期癌で、先は長くないと医者にいわれた。
鉱造はそれを聞いて愕然とする。
息子の隆一はまだ五十歳。自分よりも三十歳も若い。働き盛りで会社の仕事が激務だったのだろうか。それにしても余命がわずかだとは。隆一にはまだ大学生の娘もいる。それなのに、人生が終わってしまうとは。
山田太一はこれまで親の死は何度か描いてきたが「逆縁」を描くのは珍しい。
別れた妻との何十年ぶりかの再会。
息子のことが心配になった鉱造は、別荘を閉めて、急いで東京へと向かう。真夏だが、きちんと夏服を着て行く。傘をステッキがわりにしている。笠智衆の姿勢がいいのに驚く。
病院に息子を見舞う。息子の隆一を演じているのは杉浦直樹。杉浦直樹は、山田太一ドラマでは高倉健と共演した「チロルの挽歌」(92年)が印象に残る。
鉱造はベッドで寝たきりの息子のやつれた姿に一瞬、言葉を失なうが、息子の前で不安な顔を見せるわけにはゆかない。つとめて明るく振る舞う。
東京では息子のマンションに泊まるが、夜、思いがけないことが起こる。
女性が訪ねてくる。誰かと思ってドアを開けると、意外なことに何年も前に別れたタキだった。やはり息子の病気のことを知って、心配になって駆けつけた。
タキを演じているのは、名優、杉村春子。笠智衆より二歳年下だから、このとき八十一歳。
笠智衆とはこれまで映画では、小津作品『晩春』(49年)『東京物語』(53年)『お早う』(59年)で共演している。会津若松を舞台にした大庭秀雄監督の『命美わし』(51年)では夫婦を演じている。

イラスト/オカヤイヅミ
元妻をいまだに許せない気持ち。
何十年ぶりかで会うタキに鉱造は冷ややかに応じる。勝手に家を出ていったタキのことをいまだに許していない。
お前とは口をききたくない、いまさら母親づらするな、と怒りを隠さない。
笠智衆がこれほど険しい顔をするのは珍しい。怒るだけの元気がまだあるということだろうか。
タキは、いまは目蒲線沿線の町で小料理屋を開いている。一緒にいた男性とは死別したのか。まだ店に出て、酒の肴をこしらえ、客の相手もするのだから元気だ。
店では、美代という女性がタキを手伝っている。娘のような存在。それでいてタキは、あの子は、自分が死んだら店をもらおうと思っているのよ、と憎まれ口を叩いたりする。こういういかにもリアルなセリフも山田太一ならでは。
それでも、美代は樹木希林が演じているためか、気のいい女性に見える。タキが病院に隆一の見舞いに行くときには、親切に付き添っている。
上京した鉱造が見たバブル景気。
隆一と悦子は、実はこのところ夫婦仲がうまくいっていなかった。隆一は会社の仕事が第一で、家のことをかまっていられない。悦子にはブティックの仕事がある。子どもも大きくなっている。悦子のほうが離婚したいと思っている。その気持ちは隆一に伝えている。
ところが、入院した隆一を病院に見舞った悦子は、離婚はやめようといいだす。
それを聞いて隆一は、ほっとするが、同時に病人の勘が働く。
このところ、蓼科から父親が見舞いに来た。何年ぶりかで会う母親のタキまで何度も見舞いに来る。そして今度は妻の悦子が離婚はやめようと言い出した。
隆一は、これだけふだんと違うことが続けば、オレは長くないんだ、と思う。悦子は、笑って話題を変えるしかない。
東京に出てきた鉱造は、この機会だからとかつての同僚の木原を訪ねる。木原の家は、一戸建てだが、周辺の家はブルドーザーで取り壊されている。
木原は訪ねてきた鉱造に「ビルばかり建ちやがって」と嘆く。
このドラマが放映された一九八七年といえばバブル景気のさなか。「地上げ」という言葉がいわれるようになったことでわかるように、東京の随所で古い建物や家が取り壊され、そのあとにビルが次々に建てられていった。まさに「ビルばかり建てやがって」の時代だった。
※以下、中編に続く(7月16日公開)。
川本三郎(かわもと・さぶろう)
1944年、東京・代々木生まれ。東京大学法学部卒業後、朝日新聞記者を経て、映画や文芸、都市論などを中心とした評論活動に入る。主な著書に『大正幻影』(91年・サントリー学芸賞)、『荷風と東京「断腸亭日乗」私註』(97年・読売文学賞)、03年『林芙美子の昭和』(03年・毎日出版文化賞)、12年『白秋望景』(伊藤整文学賞)がある。その他、『マイ・バック・ページ ある60年代の物語』、近著に『映画の木洩れ日』(キネマ旬報社)、『遠い声/浜辺のパラソル』(ベルリブロ)、『陽だまりの昭和』(白水社)、『荷風の昭和』(新潮社)がある。