イラスト/瀬藤優

評論家の川本三郎さんによる、山田太一ドラマの魅力に迫る連載。今回は、『ふぞろいの林檎たち』のパート1と2の間に放映された『輝きたいの』です。女子プロレスのスターを夢見る5人の若い女性たちの奮闘ぶりが描かれ、大きな感動を呼ぶ本作ですが、川本さんは、主役の女性たちのひとり一人の気持ちに寄り添いながら、このドラマの見どころを解き明かしていきます。

39

輝きたいの
後編

作品:
輝きたいの
1984年5月(全4話) TBS
脚本:
山田太一
演出:
生野慈朗
主題歌:
「輝きたいの」(遠藤京子)
出演:
今井美樹、菅原文太、和田アキ子、畠山明子、小栗絵里花、小倉由美、三原順子、井上純一、柳沢慎吾、太宰久雄、戸川京子、山田吾一、野川由美子、白川和子、河原崎長一郎、あき竹城ほか

ハングリーな桂子の心の中。

「強くなりたい」と願う祥子。「金がほしい」と素直にいうハングリーな由加。そして「輝きたい」と恋人ともやむなく別れることにした良子。それぞれ、練習に必死になる。

三人に比べれば親の応援があり恵まれている桂子はある夜、稽古場で物音がするので覗いてみる。

リングで由加が一人、体操をしている。桂子に見られたと知ると、由加はこんなことをいう。

自分は空手をやっていたから強いと思っていた。しかし、ここに来たら弱いって思い知らされた。みんな強い。

「でもやめるわけにはゆかないの。お金ほしいから。新人王の(賞金)百万円ほしいの」

 そして黙々と一人で体操を続けてゆく。

真剣さを増していく五人の姿。

月に一度の休日のとき、祥子は魚屋の実家に帰る。両親と親友の車椅子の美江にセーターなどのプレゼントを買って帰る。みんなの喜ぶ顔を見て祥子も喜ぶ。

しかし、くつろぐのはそこまで。予定を切り上げて練習をするために稽古場に戻る。驚いたことにリングではすでに、恋人に会うのをやめた良子、家族との団欒を祥子と同じように切り上げた桂子、そしてツッパリの里美までがすでに練習をしている。

五人それぞれが真剣さを増してゆく。

そしていよいよ、本当のプロレスラーになれるかどうかの最後のテストになる。

社長は、練習では強いが、いざリングに立つと不器用で華のない祥子と、協調性がなく何かと他のメンバーとトラブルを起こす里美をクビにするという。コーチの菅原文太と和田アキ子は反対するが社長に押し切られる。

それでも二人は粘って、祥子と里美はまた戻ることになる。

1984(昭和59)年5月9日(水)、放送開始時のテレビ番組表(クリックすると拡大します)。写真提供/毎日新聞社

スポーツと見世物の挟間で。

プロレスはスポーツか見世物か。いつもこれが問題になる。大手新聞のスポーツ欄にはプロレスの記事はまず載らない。プロレスは見世物であり八百長があるという考えからだろう。

東洋女子プロレスでも、社長の太宰久雄は見世物の要素を持たせないと客は喜ばないという考え。それに対し、コーチの菅原文太は、多少の見世物作りは必要だが、プロレスは基本的には純然たるスポーツで、選手が本気でぶつかり合うからこそ客も喜ぶと主張する。

この見世物かスポーツかの対立が、後半のドラマの核になる。

社長は見世物の要素を増やそうとする。外国人の女性を呼んだりする。現実に客足が落ちていることもあって社長も人気回復に必死になっている。

コーチの和田アキ子も、新人の良子たちも見世物の要素は必要だと考えてしまう。良子、由加、桂子の三人は、リングに派手な衣裳をつけてあがろうとする。一種のコスプレである。和田アキ子は、新人たちのアイデアを賞めるが、菅原文太は烈火のごとく怒る。

「お前たちは、派手さばかり競って、本筋を忘れている。派手な衣裳で客を喜ばそうなどと考えるな」

「今日から、見せることは考えるな。本気でやれ。本気は客に分かる。お前らは、ただ本気でぶつかればいい。きっと客はひきつけられる」

「見かけは忘れるんだ。怒ったふりをするな。怒るなら本気で怒れ。口惜しけりゃあ、本気で口惜しがれ。泣きたくないのに、泣いた声を出すな。芝居を考えるな」

はじめのうちは、観客の受けを狙って演技をしていた選手たちも、繰り返されるコーチの菅原文太の「本気でやれ」に従い、本気で戦うようになる。リングの上で激しい試合がはじまる。

それを見て観客も本気で声援する。次第に人気が出てきて、良子や桂子、さらには祥子にまで中学生くらいのファンの女の子が花束を持ってくる。

プロとしての自覚が試される事件。

イラスト/オカヤイヅミ

『ふぞろいの林檎たち』の女性のなかでは中島唱子演じる、容姿に自信のない大学生が異彩を放ったように『輝きたいの』では、畠山明子演じる「強くなりたい」祥子が光る。

プロレスの試合をいくつかこなしプロらしくなった祥子は、ある時、車椅子の美江と海の見える公園に行く。そこで、中学の時に祥子をいじめていた四人組に出くわす。

強くなった祥子はここぞとばかりに四人をやっつけにかかる。それを見て、美江が必死にとめる。「こんな人たち怪我させたらプロは終わりよ。駄目、喧嘩したら、プロは終わりよ。ボクシングだって、なんだって、そうじゃない。プロが、人やっつけたら終わりよ」。

それを聞いて祥子は途中で喧嘩をやめてしまい、結果としてまた四人組にやられ大怪我をする。

入院した祥子をコーチに連れられて仲間たちが見舞いに来る。

ここでツッパリの里美が喧嘩を止めた美江に怒る。「なぜ祥子をとめたんだよ。あの子はよ、その悪(ワル)たちやっつけたくて、女子プロ入ったようなもんだろうが。止めねえで、思い存分、殴らせりゃあ、よかったのよっ」。

この里美の怒りは、まっとうである。決してきれいごとですませまいと思っている。確かに病院で、祥子はとめてくれた美江に感謝するのだが、同時に里美の怒りの声を聞いてうれしくなっただろう。自分にもその気持ちはあったはずだから。山田太一は、祥子は美江の言うことをきいて喧嘩をやめましたと、ただきれいごとでは終わらせていない。憎まれ役の里美にホンネを吐き出させて、祥子の怒りをきちんと受け止めている。

その年の新人王は、「金がほしい」由加に決まる。母と弟が待っていたアパートに帰る。女友達が花束を持って迎えてくれる。

「姉ちゃんが、勝った」と小学生の弟が寝ている母親に報告する。母親は、そして、由加も涙を浮かべる。ここは感動する。

ただその感動を長たらしく描くような野暮なことはしない。ドラマはすぐに次の日、もう五人がいつものように練習を始めるところであざやかに終わる。大きな拍手を送りたい。
※次回は『香港明星迷』(7月10日公開)を予定。

川本三郎(かわもと・さぶろう)

1944年、東京・代々木生まれ。東京大学法学部卒業後、朝日新聞記者を経て、映画や文芸、都市論などを中心とした評論活動に入る。主な著書に『大正幻影』(91年・サントリー学芸賞)、『荷風と東京「断腸亭日乗」私註』(97年・読売文学賞)、03年『林芙美子の昭和』(03年・毎日出版文化賞)、12年『白秋望景』(伊藤整文学賞)がある。その他、『マイ・バック・ページ ある60年代の物語』、近著に『映画の木洩れ日』(キネマ旬報社)がある。

バックナンバー