評論家の川本三郎さんによる、山田太一ドラマの魅力に迫る連載。前回まではおもに若者たちを主役にしたドラマを扱ってきましたが、今回からは中年期の男女の恋をテーマにした作品が続きます。その第一弾は市原悦子と藤竜也が主演した『大丈夫です、友よ』。北九州の旅情あふれる風景をバックに描かれる、思いがけず再会した男女の恋の行方をきめ細かく解説していただきました。
大丈夫です、友よ
前編
- 作品:
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大丈夫です、友よ
1998年11月(全1回)フジテレビ - 脚本:
- 山田太一
- 演出:
- 深町幸男
- 音楽:
- 福井峻
- 出演:
- 市原悦子、藤竜也、深津絵里、柳葉敏郎、井川比佐志、坊屋三郎、前田まゆみ、西川亘、内藤達也ほか
同級生ドラマのパターンをより深化。
ドラマには同級生ものというジャンルがある。小学校、あるいは中学、高校時代の同級生の男女が何年ぶりかで再会し、懐かしさと親しさから心を寄せ合ってゆく。
山田太一は一九八三年の『夕暮れて』でこのジャンルのドラマを描いている。岸惠子が何年ぶりかで高校の同窓会に出席し、その席で久しぶりに同級生の米倉斉加年に会い、付き合うようになってゆく。
このパターンをより深化させたのが一九九八年のフジテレビ系の単発ドラマ『大丈夫です、友よ』。同じ小、中学校を卒業した男女が何年ぶりかの再会し、一日だけの恋をする。
北九州の漁師町で育った二人の半生。
舞台は、福岡県北部、玄界灘に面した漁師町、津屋崎(福津市)。市原悦子と藤竜也はこの町の小学校の同級生。
一九九八年といえばバブル経済のさなかだが、この町には東京のような消費社会の派手さはない。生活者の落ち着きがある。
市原悦子演じる中村良子(よしこ)は五十八歳。この町で夫の中村昭夫(五十八歳)、夫の父(坊屋三郎)と三人で暮している。洋子という娘(二十五歳)がいたが、父親と折り合いが悪く、東京に家出のような形で出てしまった。
夫の昭夫は、大きな製鉄会社のある北九州市の近くらしく、その下請の工場で長く働いていたが、鉄鋼不況のためにリストラに遭ってしまい、いまは失業中。妻の良子が魚市場で男たちに混って働いたり、友人が開いている町の洋品店でパートで働いて生活を支えている。夫の昭夫は中学生のときに満州から引き揚げてきた。苦労して育った。
いっぽう藤竜也演じる塚田浩司も津屋崎小学校の出身。町の古い酒蔵の〝お坊ちゃん〟。成績も良く、目立った。東京に出て小さな洋服の会社を経営している。いわば小学校のクラスの出世頭。
イラスト/オカヤイヅミ
謎めいた浩司の帰郷。
この浩司が何年ぶりかで故郷の津屋崎に戻ってくるところからドラマは始まる。なぜ急に故郷に戻ってきたのかは見ている始めのうちは分からない。
浩司はたまたま良子が働いている洋品店に寄って下着を買おうとする。良子のほうは、すぐに同級生の塚田浩司だと気がつくが、浩司のほうははじめ誰だか分からずに戸惑う。しかし、しばしあって良子だと分かる。同級生再会である。同級生だから大人になった今もそれぞれ相手を「良子ちゃん」「浩司くん」と呼ぶのが微笑ましい。二人とも子ども時代に返っている。
良子は、浩司がせっかく町に帰ってきたのだから町にいる同級生を呼んで会おう、声を掛けたら十五人くらいはすぐに集まると浩司を誘うが、浩司はそれを断わる。ただ町の景色を見に来ただけだという。
浩司の行方を案じる有沢と洋子。
その頃、東京では、浩司の会社に多額の融資をしている銀行の若い行員、有沢智之(柳葉敏郎)が、手形の期限が迫っているので心配して社長である浩司に会いに来る。夜、会社には事務員の中村洋子(深津絵里)しか残っていない。有沢も洋子も浩司と連絡が取れなくて困っている。
このあたりで、浩司の会社の状態が良くないこと、それを気に病んで浩司は姿を消したらしいということが見る側にも分かってくる。
浩司が故郷の津屋崎に帰ったのは、実家に金を借りようとするためなのか、あるいは追いつめられて死のうとしているのか。ちなみにこの段階ではまだ洋子が良子の娘だとは明らかにされない。
懐かしさが募る小学校の風景。
有沢と洋子は社長の部屋の引き出しに、長崎県の滞在型リゾート施設ハウステンボスの宿泊券が入っているのに気がつく。社長はどうしてそんなものを持っているのか。自分で行くつもりなのか、それとも得意先に渡すものなのか。
ドラマはここから社長の浩司の行方を追う有沢と洋子の若い二人の行動と、良子と浩司の中年の二人の行動が並行して描かれてゆく。ごく自然の流れになっている。
津屋崎で良子に会った浩司は、町を案内すると元気にいう良子に、それなら「小学校ば行ってみたか」という。良子に会って昔の九州弁に戻っているのが面白い。
小学校の校庭には土曜日の午後なので人の姿は見えない。ここで音楽として、小学校の校歌が流れる。小学校の校歌はどこの学校でも似たようなものなので、見ているほうも懐かしくなる。
良子は校庭にある国旗掲揚台は昭和二十六年(一九五一)のサンフランシスコ日米講和条約を記念して翌二十七年、六年生の時に作られたという。
二人は一九九八年の時点で五十八歳という設定だから、昭和十五年(一九〇四〇)の生まれ。戦後の民主主義の時代に育った世代だとわかる。昭和九年(一九三四)生まれの山田太一より六歳ほど下の世代になる。
良子の片思いのいじらしさ。
小学校を訪れたからだろう、良子は小学校の頃の思い出を語り出す。〽もしもし、カメよ…の替え歌で、もしもし良子、良子さん、世界のうちでお前ほど頭の悪い者はない、と歌われたと自嘲していう。
そんな自分に比べ、とにかく浩司は成績がようてガキ大将できれいで、ウチ中学でもずっと好きやった、はじめっからウチなんか相手にされんやったもんな、ウチはこっそりずっっと片想いやった。
なんともいじらしい。この日、洋品店で三十年ぶりに会って、そのあと自転車で浩司を追いかけてきたのは、初恋の人だったというためだった。九州弁でいうからいっそういじらしく思える。
ここで浩司は思いもかけないことをいう。「無理にいうとる? どこかあわれやろか」。どうして急にそんなことをいうのか。不思議に思いながら良子はいう。「どうして。いまもカッコええよ」。実はこれが、浩司がなぜ久しぶりに故郷に帰ってきたのかの伏線になっている。このあたりのやりとりが山田太一は本当にうまい。ただの甘酸っぱい同級生再会になっていない。
初恋の人に吐露する主婦の屈託。
小学校のあと二人は近くの神社に行く。神社によくある「日露戦役記念碑」がある。日露戦争には、こんな小さな町からも兵隊が狩り出されている。
浩司は問わず語りに、二年前には妻を亡くし、また十年ほど前には息子もオートバイの事故で亡くしたと語る。どこか寂しそうに見えたのはそのためだったか。
良子は、浩司が東京でデザインしたものをタイやマレーシアで仕立てていい景気だと聞いていたけど、つらいこともあったとね、と慰めるようにいう。
自分のところは、娘が父親と折り合いが悪く東京へ出ていった、ウチの人は強情で人付き合いは悪いが、そのぶん裏のない正直な人やけど、娘の気持ちもわかる、ウチが何かいうと「やかましか、やかましか」って。
そのあと神社のベンチに腰をおろすと、良子はさらに寂しそうにいう。こっちがどこか行きたかよ、じいちゃんと人のことなんも考えん亭主と、福岡かてろくに行かんとよ。
中年の主婦の屈託を思わず口に出してしまう。東京から来た「初恋の人」に甘えたいという気持ちもあるだろう。端からは、幸せそうに見えても、こんな生活を続けていていいのか、このまま老いていっていいのか、という焦りのような気持ちもあるだろう。
※以下、中編に続く(8月21日公開)。
川本三郎(かわもと・さぶろう)
1944年、東京・代々木生まれ。東京大学法学部卒業後、朝日新聞記者を経て、映画や文芸、都市論などを中心とした評論活動に入る。主な著書に『大正幻影』(91年・サントリー学芸賞)、『荷風と東京「断腸亭日乗」私註』(97年・読売文学賞)、03年『林芙美子の昭和』(03年・毎日出版文化賞)、12年『白秋望景』(伊藤整文学賞)がある。その他、『マイ・バック・ページ ある60年代の物語』、近著に『映画の木洩れ日』(キネマ旬報社)がある。