評論家の川本三郎さんによる、山田太一ドラマの魅力に迫る連載。今回は近年の傑作と誉れ高い『小さな駅で降りる』を取り上げます。バブルが崩壊し日本経済に陰りが見えてきた平成の時代においても、山田ドラマの輝きはまったく色褪せないことが、川本さんの文章からも伝わってくることでしょう。
小さな駅で降りる
後編
- 作品:
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小さな駅で降りる
2000年4月(全1回) テレビ東京 - 脚本:
- 山田太一
- 演出:
- 松原信吾
- 音楽:
- 久石譲、上田聡
- 出演:
- 中村雅俊、堤真一、根岸季衣、奥貫薫、前田亜季、石丸謙二郎、岩松了、柄本明、佐藤慶、山崎努、牧瀬里穂、樋口可南子ほか
内部告発から見えてきた会社の惨状。
家のなかが不調和になっているさなか、里見は会社で不可解な事件に直面する。
社長のもとに匿名の手紙が届き、そこには里見の部署「営業戦略部」がまったく機能していないこと、社長がリストラの隠れ蓑にしていること、アメリカのコンサルティング会社の言いなりになっていることなど書かれている。
会社の人間しか知らないことが書かれている。内部告発である。営業戦略の人間が社長に投書したのではないかと、部内は戦戦恐恐としてくる。部長の里見は心労が増してゆく。いつもは温厚な人間だが苛立ってくる。
この騒ぎの一方、里見の周辺では思いがけないことが立て続けに起こる。
かねて「北関東の営業のピカ一」と評価し、町のスーパーへの挨拶にも連れていった、奥貫薫演じる若い社員が、なんとリストラされる。
そのことを里見に報告する彼女はこんなことを訴える。
能力がなくてリストラされるのならまだ分かる。しかし、他方で、能力がない社員が、ただ上司の覚えがめでたいというだけで会社に残っている。どう考えても納得できない。
彼女の話を聞いた里見の下にいる若い社員たちは怒り出す。この会社はいったいどうなっているんだ。里見も当然、動揺する。優秀な社員をリストラして平気でいるこの会社は、どこかおかしくなっているのではないか。いい会社のためだったら、家族をたとえ犠牲にしても悔いはない。しかし、いまの会社は働き甲斐がなくなっている。無能な上司の下で働くほどつらいことはない。これでは、社長への匿名の投書を批判出来なくなる。いまの会社は投書にあるようにひどい会社になっているのではないか。
突然の身売り宣言に動揺。
女性社員のリストラに加えて、さらに里見を驚かすことが起こる。なんと、あの大手にまじって健闘している町のスーパーの社長が突然、店を大手に身売りするという。業績がよかったのになぜ。
中村雅俊演じる里見と、堤真一演じる部下の沢口の二人は、山崎努演じる社長に会いにゆく。夜の、人の帰った静かなスーパーのなかで二人は社長に会い、話を聞く。
この場面がとてもいい。ここでも山崎努の演技は圧巻。『早春スケッチブック』のアウトサイダーのカメラマンといい、このドラマのスーパーの社長といい、山田太一のドラマに山崎努は欠かせない。
人の姿の消えた静かなスーパーのなかで、社長は訪ねてきた二人に、しんみりとした口調で話し出す。
もともとは町の魚屋だった。小さな個人商店。それをこれからの時代はスーパーと、昭和四十四年にスーパーに切り替え、それがなんとか成功した。
スーパーはいつごろから普及したのか。
よく例に出される映画が、昭和三十九年に公開された成瀬巳喜男監督の『乱れる』。高峰秀子演じる戦争未亡人は、静岡県清水(現在静岡市)で夫の実家である酒屋を切り回している。商店街には他にも個人商店が並ぶ。
ところが町に大きなスーパーが出来、価格で太刀打ち出来ない個人商店は苦境に追いつめられてゆく。ついには、ある食料店の主人は将来を悲観して自殺してしまう。
この映画が公開された昭和三十九年といえば東京オリンピックが開かれた高度経済成長のさなかの年。この頃から次第にスーパーの時代になっていったのだろう。
老兵は去り家族の元へ。
山崎努演じる社長は、この流れに乗って、魚屋をスーパーにし、徐々に店舗の数を増やしていった。
しかし、長年、親しくしていた食品会社の営業マンがリストラされる現実を見て、もう自分の時代は終わってゆくと悟ったのではないか。訪ねてきた二人にこんなことをいう。
「俺は俺の時代を生きた。次の時代に合わせる気はない」
いい言葉だ。手がけたスーパーをまだ業績がいいうちに売却し、自分は身を引く。まさに「老兵は消え去るのみ」。
さらに彼は、最近の風潮を批判する。
「新しくなるのはいいが、極端はいけない」「合理化、合理化って、金儲けしか頭にないのか」「気持ちっていうのがないのか」。
彼はまた、奥貫薫演じる若い社員が辞めさせられたことも知っていた。「あのくらいの娘(こ)は残しておけよ」。一度会っただけなのに彼女の良さを見抜いていた。ここでも彼の人柄が伝わってくる。
そして、この社長は二人に思いもかけないことを話し出す。
二歳年上の「かみさん」が認知症になってしまった。苦労を共にしてきた妻の発病はこたえたのだろう。あの強気だった男が二度、「参ったよ」と呟く。ここは胸が詰まる。
そして彼は若い二人に諭すようにいう。
「働いていればどうしたってかみさんを放っておく。ところが最後に残るのは会社じゃない。家庭だ」。
ホームドラマを作り続けた映画会社、松竹の出身で、自身、家庭を描き続けてきた山田太一らしい言葉で、重く伝わってくる。
イラスト/オカヤイヅミ
会社人間の夢が語られるエンディング。
投書事件は思いがけない展開を見せる。
社長へ手紙を投書したのは、なんと里見の妻、亜世と、沢口の妻、淑美だった。
二人がこんな非常識なことをしたのは、夫たちの、仕事に、会社に疲れ切った様子を見ていたから。ここらで二年くらい休みましょうと思った。妻の優しさである。
もちろん四十代、三十代の働きざかりの男にとっては仕事を辞めることはつらいし、先のことを考えれば、無暴でもある。にもかかわらず二人は、最後は、妻の意見に従い、会社を辞めることになる。
二人ともスーパーの社長のいった「最後に残るのは会社じゃない。家庭だ」が胸に沁みたのだろう。二人とも正直、疲れ切ってもいた。
最後、会社を辞めて晴れ晴れした二人は、初冬の一日、里見は妻と娘を連れ、沢口は身重の妻を連れ、旅に出る。
中央本線の下りの列車に乗る。途中、思いたって長野県の薮原という田舎の駅で降りる。そしてささやかな休日を楽しむことにする。会社を辞めた人間には、小さな駅での途中下車がふさわしい。
甘いといえば甘いラストだが、これは会社人間のひとつの夢なのだろう。家に「むかつく」といっていた前田亜季演じる娘も彼らに従うのがうれしい。
※次回は『本当と嘘とテキーラ』(2月7日公開)を予定。
川本三郎(かわもと・さぶろう)
1944年、東京・代々木生まれ。東京大学法学部卒業後、朝日新聞記者を経て、映画や文芸、都市論などを中心とした評論活動に入る。主な著書に『大正幻影』(91年・サントリー学芸賞)、『荷風と東京「断腸亭日乗」私註』(97年・読売文学賞)、03年『林芙美子の昭和』(03年・毎日出版文化賞)、『白秋望景』(伊藤整文学賞)がある。その他、『マイ・バック・ページ ある60年代の物語』、近著に『映画の木洩れ日』(キネマ旬報社)がある。