イラスト/瀬藤優

評論家の川本三郎さんによる、山田太一ドラマの魅力に迫る連載。先ごろ、山田ドラマを愛してやまない宮藤官九郎さんの脚本による『終りに見た街』が放映されましたが、生前の山田さんも二度ドラマ化している名作です。今回は中井貴一主演の2005年版『終りに見た街』を取り上げ、何度リメイクされても決して古びないこのドラマのテーマの深さについて、川本さんに解説していただきました。

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終りに見た街
前編

作品:
終りに見た街
2005年12月(全1回)テレビ朝日
脚本:
山田太一
演出:
石橋冠
音楽:
坂田晃一
出演:
中井貴一、木村多江、成海璃子、成田翔吾、窪塚俊介、柳沢慎吾、遠藤憲一、今福将雄、佐々木すみ江、金子賢、柄本明、柳葉敏郎、津川雅彦、小林桂樹ほか

山田太一の異色作かつ代表作の1本。

山田太一の反戦ドラマ『終りに見た街』は、現代の家族が戦時中の日本にタイムスリップしてしまうというSF。山田太一の作品のなかでは異色作だが、山田自身は気に入っていたようでこれまで二度、ドラマにしている。

はじめは一九八二年にテレビ朝日で。主演は細川俊之、中村晃子、なべおさみ。これが好評だったので二〇〇五年にテレビ朝日で再び。主演は中井貴一、木村多江、柳沢慎吾。いずれも全一回。

そして今年の九月には、山田太一を尊敬する宮藤官九郎の脚本でリメイクされた。テレビ朝日。主演は大泉洋、吉田羊、堤真一。

他に、前進座をはじめとする舞台にもなっているという。山田太一の代表作のひとつといっていい。

2005(平成17)年12月3日(土)、放送時のテレビ番組表(クリックすると拡大します)。写真提供/毎日新聞社

戦争を知らない世代を主人公に。

ここで取り上げるのは、中井貴一主演の二〇〇五年版。主人公は最初の八二年版では、浅草に生まれ育ち、小学生の時に戦争を体験、現在はテレビドラマの脚本を書いているという、昭和九年(一九三四年)生まれの山田太一に近い人物に設定されていたが、二〇〇五年版の中井貴一演じる主人公の清水要治は、昭和四十年代に浅草で小学生時代を過ごしたことになっている。八二年版より若い。戦争を知らない世代である。

IT時代の二十一世紀にふさわしく、要治は、飛躍中のコンサルタント会社でシステム・エンジニアをしている。コンピュータのプロである。会社は二十一世紀の東京を象徴する六本木ヒルズにある。

妻の紀子(木村多江)と二人の子ども、中学二年生の信子(成海璃子)と小学五年生の稔(成田翔吾)と四人で、川崎市中原区の新しく開けた住宅地の一戸建て住宅に住んでいる。犬を飼っているのが郊外住宅地に暮す小市民らしい。ちなみに住宅地はJR南武線(立川—川崎)の沿線にある。これは山田太一が南武線の溝の口駅近くに住んでいた関係だろう。

平成に生きる家族が戦時中にタイムスリップ。

ドラマは、ある朝、突然、起こる。タイムスリップSFならでは。

朝、妻の紀子がカーテンを開けて外を見て驚く。近所にあった家々は消えうせ、かわりにあたりは森になっている。

何事が起きたのか。

紀子は夫の要治を起こす。要治は何が起こったのか分からないままに外に出て様子を見に行く。確かに近隣の家々はなくなり、あたりは深い森になっている。

高台の木々のあいだから北東のほうを見ると多摩川は流れている。鉄橋もある。しかし、その先の二子玉川あたりには建物はない。さらにいつもは高層ビルが見える遠くの新宿にもビルは見えない。

何かがおかしい。森のなかの神社では、出征兵士の見送りが行われているが、戦後に生まれ育った要治にはそれと分からない。

掲示板があって、そこには「時局講演会」の掲示があり、日時が昭和十九年六月となっている。とするといまは。

タイムトラベルものなら戦国時代であっても江戸時代でもあってもいいのだが、山田太一は戦時中を選んだ。昭和九年生まれにとって、そこはいわば自分の原点だからだろう。それに戦国時代や江戸時代とちがって戦時中は、近過去であり、身近に感じられる。

イラスト/オカヤイヅミ

あの戦争の意味を問いかけるSF的設定。

要治は家に戻ると妻と子どもたちに、なぜかわからないが自分たちは昭和十九年に戻ってしまったようだと告げる。妻も子どもたちも事態がよくのみこめない。当然だろう。突然、異変が起きたのだから。

日本でタイムトラベルものが広く受け入れられるようになったのは、一九八五年に公開されたアメリカ映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(ロバート・ゼメキス監督)がヒットしてからだろう(のちにPART3まで作られる)。あの映画ではマイケル・J・フォックス演じる主人公は、一九八五年の現在から、両親がまだ若かった古き良き時代一九五〇年代に戻ったが、戦争の時代に子ども時代を送った山田太一は平和な時代に生きる現代の家族を、多くの死者を出した戦争の時代へと戻す。当然、あの時代はなんだったのか、国民を巻き込んだあの戦争とはなんだったのか、そして、いま平和な時代は平和なままであり続けられるのか、が問われる。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』がコメディだったのと対照的である。

異変が起きた幼馴染みからの電話。

要治たちが不安になっているところに突然電話が鳴る。彼らも、見ているわれわれもはっとする。

要治が受話器を取ると、つい最近久しぶりに会ったばかりの、浅草の小学校時代の友人、宮島敏夫(柳沢慎吾)からだった。いうまでもなく中井貴一と柳沢慎吾は、一九八三年のドラマ『ふぞろいの林檎たち』の出演者。このドラマでも息の合ったところを見せる。

敏夫は現在、浅草で結婚式場のマネージャーをしている。最近、久しぶりに要治に会ったとき「家(うち)も仕事も、いっぱいいっぱい」とこぼしていた。仕事場だけではなく家庭にも問題があるらしい。

電話を掛けてきた敏夫は近くまで来ているので会いたい、と切羽つまった声でいう。彼の身にも異変が起きたのか。

要治は家の近くの南武線の駅に敏夫を迎えに行く。駅は当然、現在の駅ではない。ローカル線の小駅のようなたたずまい。駅名は「久地梅林(くじばいりん)」となっている。現在の「久地」の旧名である。

投げかけられた非難の言葉。

家族が息をひそめている清水家に、息子の高校一年生の新也(窪塚俊介)を連れてやってきた敏夫は、ここにきた事情を話す。

息子の新也は引きこもりで学校に行っていない。そこで二人でゆっくり話をしようと、よく行く真鶴の釣り舟屋の舟で海に出た。ところが戻ってくると港の様子が変わっている。人が集まってきて、ひとりの老人が新也の格好を見て、「この非常時に、こんなシャツ着て戦地の兵隊さんにすまないと思わないのか」、ととがめた。「戦地の兵隊にすまないと思わないのか」は当時、〝非国民〟に投げかけられたお決まりの非難の言葉。戦争の時代に説得力を持った。

老人の言葉を聞いて、敏夫はどうやら自分たちは「別の時代に来ちまった」と分かった。そして二人して、要治を頼った。

要治は、幼友達も自分たちと同じように平成十七年(二〇〇五年)の現在から戦時中の昭和十九年に戻されたことを知る。自分たちだけではなかったのは心強い。

そこに、森のなかに要治の家があるのを不審に思った将校(柳葉敏郎)が兵隊を連れて調べに来る。道がないのに家がある。家の前には見なれない車がある。

要治はとっさに、陸軍省の極秘の命で新型爆弾を開発していると嘘をつく。その場はなんとか収まったが、将校がそれで納得したとは思えない。またやってくるだろう。逃げ出すしかない。
※以下、中編に続く(11月13日公開)。

川本三郎(かわもと・さぶろう)

1944年、東京・代々木生まれ。東京大学法学部卒業後、朝日新聞記者を経て、映画や文芸、都市論などを中心とした評論活動に入る。主な著書に『大正幻影』(91年・サントリー学芸賞)、『荷風と東京「断腸亭日乗」私註』(97年・読売文学賞)、03年『林芙美子の昭和』(03年・毎日出版文化賞)、12年『白秋望景』(伊藤整文学賞)がある。その他、『マイ・バック・ページ ある60年代の物語』、近著に『映画の木洩れ日』(キネマ旬報社)、『遠い声/浜辺のパラソル』(ベルリブロ)がある。

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