イラスト/瀬藤優

評論家の川本三郎さんによる、山田太一ドラマの魅力に迫る連載。前回に引き続き、中高年の男女の恋を描く一連の作品の中から、八千草薫主演の『いちばん綺麗なとき』を取り上げます。抗うことのできなかった戦争の悲劇と、それでも失われることのなかった「若くてきれいだった頃」の尊さをうたいあげたこのドラマを、茨木のり子の感動的な詩を引用しながら解説していただきました。

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いちばん綺麗なとき
前編

作品:
いちばん綺麗なとき
1999年1月(全1回)NHK
脚本:
山田太一
演出:
伊豫田静弘
音楽:
福井峻
出演:
八千草薫、加藤治子、夏八木勲、多田木亮佑、中嶋ゆかり、安福美奈、三浦康徳、松原実智子、服部美和、渡辺幸生、小澤寛、池田博、エレガント浜田、内藤諭ほか

夫を亡くした65歳女性の物語。

たとえ仲の良い夫婦のあいだにも、互いに相手にはいえない秘密はあるもの。それを知ったとき、しかも、相手が病没したあとに知ったとき、残された者はどうしたらいいのだろう。

一九九九年に名古屋のNHKで制作され放映された単発ドラマ、『いちばん綺麗なとき』は、連れ合いの秘密を没後に知って戸惑う中高年の男女の物語。

八千草薫演じる日比谷謡子は、名古屋市の郊外住宅地、千種区星ヶ丘あたりの戸建て住宅に一人で暮す六十五歳の女性。夫の茂は二年ほど前に病没した。息子は独立し、マンションで家族と暮している。小さな子供が二人いる。

夫の茂には姉がいる。加藤治子演じるこの義姉はずっと独身で、いまも謡子の家の近くのマンションに一人で暮している。

茂の父親は戦争で亡くなった。母親も戦後すぐに亡くなり、当時、十八歳だった彼女が働いて母親がわりに六歳年下の茂を育てた。

それだけに茂が結婚しても、弟の結婚生活に何かと干渉する。妻の謡子はそれをうっとうしく思っていて、二人のあいだは、表面はともかく、実はうまくいっていない。

イラスト/オカヤイヅミ

相性の悪い義姉への不平不満。

茂が亡くなって一人暮しになった謡子のところにも義姉は、同じ一人暮しの高齢者として、しばしばやってくる。

今日も、当たり前のようにやって来て、こんな話を始める。

茂と謡子の息子、幸男からこのあいだ相談を受けた。自分たちがいま住んでいるマンションは四人家族には狭い。とくに上の女の子が大きくなったので手狭になっている。そこで、一人暮しの謡子の家へ住めないだろうかと。

「一緒に住みたいというなら、それもいいわ」という謡子に、姉は思いもかけないことをいう。

虫のいい話なんだけど、幸男は、自分たちが母の住む一戸建てのほうに住んで、母親には自分たちのマンションに移ってもらいたいと考えている。

それを聞いて、謡子は驚く。

この家は、夫と一緒にいろいろ探してやっと決めた、二人の思い出が詰まっている。それを出ろなんて。

しかも、こんな大事な話を直接、母親である自分に言わず、相性悪い義姉に相談したのも気に入らない。

身に迫ってくる老後の問題。

義姉は、甥の幸男に相談されたのがうれしくたまらない。彼の言うことも、もっともだ。本当ならこういう話は母親のほうから切り出すべきだともいう。

義姉が帰ったあと、謡子は息子に電話してなぜこんな大事な話を自分ではなく、相性のよくない義姉に話したのかと怒る。息子は多少うしろめたかったのだろう、かえって喧嘩腰になって電話を切ってしまう。

どこの家庭でも見られる親の老後の問題である。

夫に先立たれ、一人暮しになった母親は、息子から厳しい住宅の問題を突然突きつけられて驚く。はじめて自分の老いを感じる。自分も義姉のように狭いマンションに住まざるを得ないのか。自分の老後の面倒をはたして息子夫婦は見てくれるのか。

老いが急に自分に迫ってきた。

亡き夫の意外な行動。

そんな折り、謡子は、愛知県の一宮に住む武田という見知らぬ男の来訪を受ける。夏八木勲演じる武田は、謡子とほぼ同年代。きちんとした身なりをして決して不審人物には見えない。あとで建築の仕事をしてきたとわかる。

謡子は、昼間、近くのしゃれた食器を置くセレクト・ショップのような店で働いている。店番のようなもの。前回紹介した『大丈夫です、友よ』で、「おばん」の市原悦子が働いていた町の小さな洋品店と違って、こちらはあくまでおしゃれな店。品のいい八千草薫にふさわしい。ちなみに一九三一年生まれの八千草薫は当時、六十八歳になるが、気品は若い頃と変わらない。対する夏八木勲は一九四〇年生まれ。年下になる。

店で働く謡子を訪ねた武田は「決して何かを要求しようというのではありません」とあくまで礼儀正しく、しかし、思いもかけないことを言う。

こんなことは奥さんにしかいえないが、去年、病気で死んだ妻は、あなたのご主人と親しく付き合っていたようなんです。

無論、夫の茂が自分の知らないところで他の女性と付き合っていたとは、と謡子は驚く。しかし、にわかには信じられない。なにかの間違いなのではないか。

1999(平成11)年1月23日(土)、放送時のテレビ番組表(クリックすると拡大します)。写真提供/毎日新聞社

相手の女性との出会い。

後日、武田はまた謡子の店に訪ねて来る。こんどは、証拠となる妻がひそかにつけていた日記を持ってくる。他人に見られないように、鍵のかかる丈夫な日記である。

武田は先日、その日記を偶然、妻が隠し持っていたのを見つけ、読んでみた。そこには妻がひそかに謡子の夫と親しく付き合っていたことが書かれていた。

ある時、妻は名古屋に買い物に行った。袋をたくさん持って地下鉄の階段を下りているときにころんでしまった。それを助けてくれた中年の男性がいた。

それからしばらくして名古屋の町で偶然また、その男性と会った。喫茶店でお茶を飲んだ。互いに気が合ったらしく、それから何度も会うようになった。

話を聞いて謡子は動揺する。夫の茂は、妻がいながら他の女性と付き合うような気の利いたことができる人ではないんです、と否定はしてみるものの武田の話は嘘とも思えない。

しかも、二人は一度だけ泊まりがけで舞鶴に行ったことがあると武田はいう。

妻の父はシベリアからの引き揚げで、戦後、何年かたってようやく日本に帰ることが出来た。家族で舞鶴に迎えに行った。だから、舞鶴は妻にとって忘れ難い地なのだという。

夫の謎を解くために舞鶴へ。

その話を聞いて、謡子には思い当たることがある。

少し前、いつものように家に来た義姉は茂の残した本棚からたまたま、『引揚港 舞鶴の記録』という本を手にとって読んでいた。そして謡子との食事のときに、こんな話をした。

舞鶴港への大陸からの引揚船は、思ったより長く、昭和三十三年まで続いていた、と。

謡子はこの義姉の話を思い出し、夫はなぜ武田の妻と舞鶴へ行ったのか。その真意を知るため自分も武田と一緒に舞鶴に行ってみようとする。

「こんどの土曜日に舞鶴に行く」と告げると、義姉は怪訝な顔をする。なぜ突然、舞鶴などに行くのか。

義姉はいつものように小姑(こじゅうと)根性を出し、自分が茂の持っていた舞鶴の本を読んでいたから、自分も遅れをとるまいと舞鶴に行こう、と思ったんでしょう、あなたおかしいわ、異常よ、と謡子にからむ。

武田のことや、武田の妻と夫の茂のあいだになにかあったことを義姉にはいえない謡子は、いつもながらの義姉の自分を責める嫌味をなんとか聞き流す。
※以下、中編に続く(9月18日公開)。

川本三郎(かわもと・さぶろう)

1944年、東京・代々木生まれ。東京大学法学部卒業後、朝日新聞記者を経て、映画や文芸、都市論などを中心とした評論活動に入る。主な著書に『大正幻影』(91年・サントリー学芸賞)、『荷風と東京「断腸亭日乗」私註』(97年・読売文学賞)、03年『林芙美子の昭和』(03年・毎日出版文化賞)、12年『白秋望景』(伊藤整文学賞)がある。その他、『マイ・バック・ページ ある60年代の物語』、近著に『映画の木洩れ日』(キネマ旬報社)、『遠い声/浜辺のパラソル』(ベルリブロ)がある。

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