評論家の川本三郎さんによる、山田太一ドラマの魅力に迫る連載。今回は小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)を主人公にした『日本の面影』を取り上げます。それまで戦後の日本人の家族を中心に描いてきた山田さんが、小泉八雲を主役に選んだ理由は何だったのでしょうか。近代日本国家の歴史をひもときながら、本作に込められているテーマを川本さんに掘り下げていただきました。
日本の面影
中編
- 作品:
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日本の面影
1984年3月(全4回)NHK - 脚本:
- 山田太一
- 演出:
- 中村克史、音成正人
- 音楽:
- 池辺晋一郎
- 出演:
- 檀ふみ、ジョージ・チャキリス、津川雅彦、小林薫、樋口可南子、加藤治子、杉田かおる、佐々木すみ江、加藤嘉、佐野浅夫、日高澄子、河原崎長一郎、真行寺君枝ほか
『怪談』の共同執筆者としてのセツ。
セツは面白いことをする。
ハーンは冒頭のニューオリンズでの幽霊のエピソードから分かるように幽霊、神秘的な出来事に興味を持っている。
それを知ったセツは、日本にも古くから伝わる幽霊譚があると、折りを見てそれを少しずつ話し出す。
『雪女』『耳無し芳一』など。ドラマの制作上、面白いのは、セツがそれらの怪談を語るとき、画面は一気に、その物語になってゆくこと。劇中劇になっている。髪が真っ白で、顔も人形のように白い、真行寺君枝演じる雪女には無気味な美しさがある。
ハーンは、セツから出雲地方に昔から伝わる神秘的で幻想的な民間説話を聞いて代表作の『怪談』(明治三十七年)を書きあげる。ちょうど柳田国男が遠野の人、民間伝承の研究家、佐々木喜善から話を聞いて、代表作『遠野物語』(明治四十三年)を書いたように。
従ってセツは『怪談』の共同執筆者といっていいだろう。つねに女性の役割を大事にする山田太一らしい視点である。
ちなみにハーンの『怪談』は、一九六六年に小林正樹監督によって映画化されている。『黒髪』『雪女』『耳無し芳一の話』『茶碗の中』から成るオムニバス。
雪女を演じたのは、岸惠子。以前、高峰秀子さんにインタヴューしたとき、こんな話を聞いた。雪女の役は、はじめ小林正樹監督から高峰秀子のところに打診がきた。しかし、高峰さんは、自分のような丸顔は雪女には向かないと断り、代わりに岸惠子を推薦したという。
ハーンの誠実な気持ちが伝わるとき。
セツの存在が大きくなったときハーンは、地元の新聞にセツがハーンの「愛人」と書かれているのを知り、激怒する。
同僚によれば以前にも新聞にはこんな記事が載ったという。小さな町で、独身の外国人男性の家に、若い日本女性が住み込みで働いていれば、あらぬ噂が立てられるのは仕方のないことかもしれない。
セツの祖父、稲垣万右衛門(加藤嘉)は昔気質の元士族。零落してはいるが誇りは高い。孫娘のセツが外国人の「妾」のようになっていると思い込んで烈火のごとく怒る。セツの弟の小泉藤三郎(柴田恭兵)も噂にあおられて、ハーンの家に怒鳴り込む。「姉に指一本でも触れたら、ただじゃおかないぞ」。
まわりの雑音を知ったハーンは、セツの名誉を守るために、一大決心をする。セツと結婚する。前々からセツのことを好きだった。いまようやく、思いを打ち明ける決心をした。
ハーンは前述したように、子どものころの事故で左目を失明している。また、西洋人としては背が低い。アメリカ東部のエリートのように大学を出ているわけでもない。そんなことからマイノリティとしてのコンプレックスを抱えていた。以前に、美しい女友達がいたが、その女性と結ばれなかったのも、自分など彼女にふさわしくないと負い目があったからだった。
いま、はたしてセツは、自分のプロポーズを受け入れてくれるだろうか。
ハーンは、言葉がよく通じないままにセツに結婚してくれと口にする。「愛している」ともいう。ハーンの誠実な気持ちが伝わったのだろう、セツは恥ずかしそうにしながらハーンの結婚申し込みを受け入れる。いまふうにいえば国際結婚である。
身上書から明らかになるハーンの半生。
結婚式は、同僚の、小林薫演じる西田千太郎の家でささやかに行われる。西田とその妻クラ(樋口可南子)が仲人をつとめる。
ハーンには身内の人間はいない。孤独の身である。一方、セツのほうは、母親、弟をはじめ、叔父夫婦(佐野浅夫、日高澄子)と祖父がいる。
この席で、仲人の西田はハーンが用意した身上書を読み上げる。そこには、自分がギリシャ人の母とアイルランド人の父のもとに生まれたこと、両親が子どものころに離婚したことで早くから社会に出て苦労したこと、左目を失明していて容姿に自信がなく女性との恋愛で苦労したこと……などが正直に書かれていて、それまでハーンに好意を持っていなかった祖父もそれを知って心を開いてゆく。

イラスト/オカヤイヅミ
松江をあとに新天地の熊本へ。
セツの家族は多い。その家族は元士族だったので、いまの生活が苦しい。ハーンが彼らの経済的支えにならなければならない。それがハーンの心の負担になる。
それに加え、松江の冬の寒さがある。
東京より西にあるとはいえ、日本海に面している。冬の寒さはハーンの想像をはるかに超えている。
しかも、寒さ対策といえば火鉢くらいしかない。建物も寒さに対応していない。障子ひとつで外とへだたっている。「紙一枚で外とへだたっている、とは」とハーンは、松江の冬の寒さがこたえる。「このままでは、こごえ死んでしまう」。
大家族を養うには、もっと俸給のいい仕事につきたい。それも四国や九州のどこかで。松江より冬の寒さが厳しくないところで。
〝神々の国の首都〟松江の町を気には入っている。町の人々も優しい。それでも俸給と寒さの問題から、転職を考えざるを得ない。
西田に心苦しい胸の内を打ち明け、新しい職場を見つけてくれるように頼む。その結果、九州の熊本の高等中学校(のちの第五高等学校)の英語教師の職が決まる。俸給は松江より高い月二百円。さらなる厚遇である。
明治二十四年(一八九一)、ハーンとセツ夫妻は松江中学の生徒たちや西田に送られ、船で松江から熊本へと出発する。セツの祖父、叔父夫妻が加わった大世帯である。
つつましさが失われつつある日本社会。
熊本は近代化のまっただなかにある。
古い建物や生活風俗が壊され、西洋のものにとってかわってゆく。人々の気性も、松江に比べると荒い。学生たちも松江のほうが真面目でよかった。
ハーンは次第にふさぎこんでゆく。
そんなとき松江時代に親しくしていた西田千太郎が肺を病んで亡くなったと知る。ハーンはさらに落ち込む。西田の妻や子どもはどうしているだろう。
松江にいるとき、ハーンは訪ねてきた西田の妻から、西田の病が重いことを聞いた。その話をするとき、妻は微笑んでいた。夫の病気のことを話すとき妻が笑っている。ハーンにはそれが不思議だった。
やがてハーンは気づいた。西田の妻は笑うことによって悲しみを相手に押しつけまいとしている。それは礼儀にかなっている。
ハーンは日本の女性のつつましさに気づく。
決して悲しみに取り乱して相手に負担をかけるようなことはしない。あくまでも自分の心のうちに秘めておく。日本の女性のつつましさである。
しかし、いま熊本で見る人々の暮しからは、そうしたつつましさが消えているように思われる。ゆとりがないというのか、みんなが息せききって前へ、前へと進もうとしている。その結果、古い日本の良さが失われてゆく。
そんな批判を持つハーンは、日本人には変わった西洋人に見える。明治の日本人は、日本の社会が西洋社会に追いつくためには古いしきたりや、道徳にとらわれずにともかく前へ進まなければならない。
※以下、後編に続く(1月29日公開)。
川本三郎(かわもと・さぶろう)
1944年、東京・代々木生まれ。東京大学法学部卒業後、朝日新聞記者を経て、映画や文芸、都市論などを中心とした評論活動に入る。主な著書に『大正幻影』(91年・サントリー学芸賞)、『荷風と東京「断腸亭日乗」私註』(97年・読売文学賞)、03年『林芙美子の昭和』(03年・毎日出版文化賞)、12年『白秋望景』(伊藤整文学賞)がある。その他、『マイ・バック・ページ ある60年代の物語』、近著に『映画の木洩れ日』(キネマ旬報社)、『遠い声/浜辺のパラソル』(ベルリブロ)がある。