評論家の川本三郎さんによる、山田太一ドラマの魅力に迫る連載。先ごろ、山田ドラマを愛してやまない宮藤官九郎さんの脚本による『終りに見た街』が放映されましたが、生前の山田さんも二度ドラマ化している名作です。今回は中井貴一主演の2005年版『終りに見た街』を取り上げ、何度リメイクされても決して古びないこのドラマのテーマの深さについて、川本さんに解説していただきました。
終りに見た街
後編
- 作品:
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終りに見た街
2005年12月(全1回)テレビ朝日 - 脚本:
- 山田太一
- 演出:
- 石橋冠
- 音楽:
- 坂田晃一
- 出演:
- 中井貴一、木村多江、成海璃子、成田翔吾、窪塚俊介、柳沢慎吾、遠藤憲一、今福将雄、佐々木すみ江、金子賢、柄本明、柳葉敏郎、津川雅彦、小林桂樹ほか
安全のために西東京で暮す家族。
昭和十九年十一月二十四日、東京が米軍のB29爆撃機によって空襲を受けた。要治が家から持ってきた『昭和戦時中の暮し』に書いてある通りだった。
余談になる。 歴史年表などには昭和十九年十一月二十四日が東京初の空襲とされているが、実はそれより前、昭和十七年四月十八日に東京に空襲があった。海上の空母ホーネットから出撃した爆撃機が名古屋、神戸、そして東京を攻撃した。この時、東京では葛飾区の現在の水元公園に近い小学校で男子児童が機銃掃射の犠牲になっている。痛ましい。
幸い西東京は安全だと分かっていたので荻窪で暮していた要治たちは、昭和十九年十一月二十四日の空襲で被害を受けることはなくすんだ。
年が明けて昭和二十年。彼らは敏夫がどこからか調達してきた餅と小豆で汁粉を作り、それで正月を祝う。ここでも敏夫は頼もしい。
東京大空襲を知っている者のつとめ。
平成の時代には妻の紀子と子どもたちは要治のことを「パパ」と呼んでいたが、いつのまにか「お父さん」に変わっている。時代に合わせている。
その「お父さん」要治は紀子と敏夫に、ここしばらく考えていたということを話す。
自分たちは、この時代の先のことを知っている。日本が敗けることも、マッカーサーが厚木に降りてくることも。そして何より昭和二十年三月十日に東京の下町が米軍の空襲で大きな被害を受け、十万人以上の人間が死んでしまうことを知っている。
それなら「なんとか、それを下町の人たちに知らせて、少しでも避難するように出来ないかな」。
自分たちは三月十日のことを知っている。このまま何もしないでみすみす十万人の人が死ぬのを放っといていいのか。
要治の思いは切実である。人が死ぬのを分かっていてそれをとめようとしないのは刑法でいう未必の故意であるし、何よりも良心が痛む。タイムトラベルものは、過去を変えてはならないという決まりがあるが、大惨事が起こるのを分かっていて何もしないわけにはいかない。要治の悲愴の思いに紀子も敏夫も心動かされる。
全員で空襲の噂を流す。
では、どうやって下町の人たちに知らせるか。要治はいう。空襲が始まってから巷では迷信がはやっている。朝食にらっきょうだけ食べると弾丸(たま)が当たらないとか、金魚を拝むと爆弾がよけて通るとか。
だから、自分たちも迷信として三月十日に空襲があると噂を流す。有名な易者が三月十日の夜明け前に下町で大空襲があるといっている。日曜日ごとに下町に行って、ひそかにこの噂を流す。
紀子も敏夫もこれに賛成する。一月七日から三人は下町に行って、人に伝えようとするが、見ず知らずの人になかなか話しかけられない。それに空襲があると噂話を流しているところを当局や警防団に見つかったら只ではすまない。
そこでまた敏夫が力を発揮する。どこからか大量のわら半紙を仕入れてきて、これでチラシを作ることにする。チラシには三月十日に下町では大規模な空襲があるから上野公園など安全な場所に避難するようにと書く。
そのチラシを要治と紀子、敏夫の三人は空襲がある筈の浅草、日本橋、深川、本所の家々の郵便受けに人目を避けて入れてゆく。
細かいことだが気になる箇所がある。要治が平成から持ってきた『昭和戦時中の暮し』に「ある人の日記」の引用があり、そこに三月四日は雪、三月六日は雨と書かれていた。チラシにこのことを予言として書く。そしてその通りになったら三月十日に空襲があることを信じてもらえるかもしれない。
この「ある人の日記」とは、もしかしたら、永井荷風の『断腸亭日乗』かもしれない。
軍国少年になった息子。
しかし、本当に下町の人たちに信じてもらえるのか。ある時、隅田川べりの公園にいる男(柄本明)に三月十日に大空襲があると話しかけると、男は何を馬鹿なことをと怒り出し、二人を非国民扱いする。実際、三月十日には多くの犠牲者が出たのだから三人の努力は無駄だったのだろう。
思いがけないことが起こる。
家を出た新也が、ある日、家にやって来る。以前と様子が違って凜凜(りり)しくなっている。家を出てから戦闘機を作っている軍需工場で働いていたという。「自分は、一月、月間増産表彰を受けました」。「自分」といっている。すっかり昭和の少年になっている。
そしていう。工場で働いている人は「みんな御国(みくに)のために死ぬ気で働いています」。いつのまにか軍国少年になっている。「国のためにみんなが真剣になっている時、ぐずぐずいってる奴は、親でも俺は許せません」
みんなが国のために真剣になっている時に自分だけが何もしないことは許せない。新也の気持ちは純粋である。みんなが国のために戦っているときに自分は何もしないというのはありえない。少年らしい潔癖な倫理である。
イラスト/オカヤイヅミ
戦時下を真剣に生きる子たち。
驚いたことに隣の部屋にいた娘の信子も出てきて新也に同調し、要治と敏夫を批判する。
「みんな、一所懸命国のために戦っているのにお父さんたちは、こそこそ、つまらない戦争、バカな戦争だって」「米軍は、どんどん空襲をして日本人を殺しているのよ」「立ち向かって戦おうと思わないなんて、おかしいわよ」
新也と信子、さらに小さい稔までが「お国のため」と思うようになっている。戦争そのものは否定すべきものだ。しかし、戦時下、命がけで生きている市井の人間を否定することは誰も出来ない。まっとうな庶民感情である。戦争を語ることの難しさはここにある。
二人の真剣な態度を前に親の要治はうまく反論出来ない。この戦争が敗けることが分かっていて何とか無事に八月十五日を迎えようとしている自分たちがずるい人間のように思えてしまう。子どもたちは時代の空気に流されているだけかもしれない。しかし、子どもたちは戦時下という「いま」を真剣に生きている。それに対して親としてどう対処すればいいのか。
衝撃のラストに「新しい戦前」を見る。
そのとき、突然、米軍の空襲が始まる。ここからのクライマックスは戦慄する。
荻窪は空襲を受けなかった筈なのに、歴史とは違うことが起こった。要治はひとり爆撃のなかを逃げる。やがて気を失う。
爆撃が終わって要治は気がつく。あたりは瓦礫の山。自分の左腕はなくなっている。妻や子どもたちを探すが、黒こげの死体だけで誰だか分からない。
その時、要治は驚くべき光景を見る。新宿の方向になんと高層ビルの残骸がある! 昭和二十年の東京に高層ビルがある筈はない。とするといまは平成の世なのか。東京は原爆が落ちて壊滅したのか。
この昭和二十年の筈の東京に、平成の高層ビルが残骸となって残っている光景は、まさに題名どおり、終りに見た街そのもの。
映画ファンなら一九六七年のアメリカ映画『猿の惑星』(フランクリン・J・シャフナー監督)の衝撃的なラスト、ロケットが不時着した惑星に、なんと壊れた自由の女神が立っていて、惑星は実は、第三次世界大戦で破壊された地球だと分かる。あの戦慄する場面を思い出すだろう。
『終りのない街』のラストはその衝撃に匹敵する。とくに「新しい戦前」と言われる現在の目で見ると。
※次回は『男たちの旅路スペシャル〈戦場は遙かになりて〉』(12月4日公開)を予定。
川本三郎(かわもと・さぶろう)
1944年、東京・代々木生まれ。東京大学法学部卒業後、朝日新聞記者を経て、映画や文芸、都市論などを中心とした評論活動に入る。主な著書に『大正幻影』(91年・サントリー学芸賞)、『荷風と東京「断腸亭日乗」私註』(97年・読売文学賞)、03年『林芙美子の昭和』(03年・毎日出版文化賞)、12年『白秋望景』(伊藤整文学賞)がある。その他、『マイ・バック・ページ ある60年代の物語』、近著に『映画の木洩れ日』(キネマ旬報社)、『遠い声/浜辺のパラソル』(ベルリブロ)がある。