評論家の川本三郎さんによる、山田太一ドラマの魅力に迫る連載。バブルが崩壊した1990年代以降、企業による不祥事が目立つようになります。今回は、そうした日本社会の病理に目を向けた『本当と嘘とテキーラ』を取り上げます。世の中の動きに敏感な山田ドラマの醍醐味に触れてみましょう。
本当と嘘とテキーラ
前編
- 作品:
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本当と嘘とテキーラ
2008年5月(全1回) テレビ東京 - 脚本:
- 山田太一
- 演出:
- 松原信吾
- 音楽:
- 横田年昭
- 出演:
- 佐藤浩市、夏未エレナ、樋口可南子、益岡徹、寉岡萌希、山﨑努、柄本明、戸田菜穂、塩見三省ほか
親子関係から逃れようとする“娘”の存在。
山田太一のドラマでは、しばしば反抗期にいる十代の娘が、親から離れてゆくさまが描かれる。中学生になると娘は、自我を強く持つようになり、親とは違う世界に入ってゆく。
山田太一のドラマの家庭は多くの場合、中産階級であり、娘には個室が与えられている。娘は親の意見を聞きたくないときは、部屋にとじこもってしまう。親は困惑する。
『それぞれの秋』(73年)では高沢順子演じる高校生の娘は、親の知らないところで不良学生の仲間に入っていた。家では個室にとじこもり、親との会話を避けていた。
『小さな駅で降りる』(00年)では、前田亜季演じる中学生の娘が、「うちの家族ってばらばらみたい」「むかつく」と父親に反発した。親との会話を避けるようにしばしば個室にとじこもった。
子どもにとって個室は自分のプライバシーを守る砦であり、うっとうしくなった親子関係から逃れる避難所になっている。
二〇〇八年にテレビ東京で放映された『本当と嘘とテキーラ』も佐藤浩市演じる父親と思春期にいる中学生の娘(夏未エレナ)、二人家族の物語である。
時代を反映するコンサルタントという仕事。
父親の尾崎章次は二年前に奥さんを病気で亡くした。以来、中学生の娘、朝美と二人で暮している。家は都内のマンション。お手伝いが来るのだろう。家のなかはきれいに片づけられている。
娘の朝美は、決して問題のある子どもではない。学校の成績はいいし、先生の評価も高い。母が亡くなったあと、男手ひとつで自分を育ててくれる父親の苦労を知っているからだろう、現在のところ親子関係はいい。
ところが、ある事件が起きてから、娘は自分の殻にとじこもってしまう。
娘の態度が急に変わったので、心配した父親は学校で何があったのか聞こうとするが「何もない」と突き放される。父親がなおも聞こうとすると、「パパ、しつこい」と拒絶される。それまで親子がうまくいっていただけに父親はこの娘の言葉に衝撃を受ける。
学校で何があったのか。
それはしばらくおいて父親の仕事にふれておこう。
不祥事を起こした企業の経営陣が、テレビカメラの前で横に並び、深々と頭を下げ、世間に謝罪する。現在ではもうおなじみになった光景である。
この原稿を書いているいまも、若いタカラジェンヌの死をめぐって騒動になった宝塚の関係者が、また、フットボール部員の大麻所持問題で揺れる日大の学長らが頭を下げている。
いつごろからこんなことが行われるようになったのか。
一九九〇年代に入ってからだろうか。
大手証券会社の不良債権問題が起こったことをきっかけに、危機管理(リスクマネージメント)、コンプライアンス(企業の法令遵守)が強くいわれるようになった。セクハラやパワハラが問題になってゆくのと同時だった。
企業のイメージ作りが大事になり、危機管理に対応するコンサルタントという仕事が生まれた。
佐藤浩市演じる尾崎章次は、このコンサルタント。社員五人ほどの小さな会社を構えている。コンプライアンスが重用されるようになった時代を反映して、仕事は次々にある。
いつもながら山田太一は社会の動きに敏感で、この仕事をドラマに取り入れている。
イラスト/オカヤイヅミ
茶番劇から見えてくる「本当と嘘」。
冒頭、佐藤浩市の仕事から始まる。
スポーツ用のユニフォームを作っている会社の商品(少年野球のためのユニフォーム)に不具合が出た。消費者(子どもの親たち)の前で、社長(山﨑努)をはじめ経営陣が横並びし、いっせいに深々と頭を下げる。
いまやおなじみになった企業の謝罪。まず本番の前にリハーサルをする。お詫びの予行演習。章次は、自分より年上の社長らにお辞儀の仕方、表情の作り方などを細かく指示する。「無表情や過度の謝罪は、かえって傷を深めます」。
要するに、彼の仕事は、問題を起こした企業がいかに傷を浅いうちにおさめてゆくか、そのテクニックを教えること。平たくいえば、いかに上手に取り繕うか。極端にいえばいかにうまく嘘をつくか。
それでも章次の堂々たる仕事ぶりに社長をはじめ経営陣は教室の生徒のように大人しく従うのが面白い。章次のほうが、これまでいろいろな企業の問題を処理してきたのだから仕方がない。
このリハーサルの場面がそのまま本番につながってゆく。このつなぎ方はみごと。
予行演習どおり、高野という返品の担当部長(柄本明)が突然、「私の責任です。社長にはなんの責任もありません」と深々と消費者(子どもの親たち)に頭を下げる。
社長は「高野君」と打合せどおり、高野の発言に驚いたふりをする。やらせであり、芝居である。高野は「社長に罪はありません、悪いのは私です」とリハーサルどおり、自分が一人で責めを負い、土下座までする。
なんとも臭い芝居だが、これで場はうまくおさまる。茶番劇が成功する。企業を、また社長を守るためには、多少の嘘は仕方がないという考えだろう。
タイトルの「本当と嘘」はこの考えからとられている。
危機管理のための偽りの笑顔。
では、「テキーラ」とは。
デキーラはいうまでもなくメキシコの強い酒。テキーラと口に出していうと、口の形から笑顔に見えるという(知らなかった)。
章次はある時、接客業の若い女性社員たち(デパートの店員か)を前に講義をする。
接客業は「ウソなしにやっていけません」を前提に、心のなかでは腹の立つ客にも笑顔を作ることが必要、そのためにはテキーラといってみることが大事と、女性社員たちに「テキーラ」の練習をさせる。どこか子どもじみたやり方だが、危機管理のプロが教えるのだから効果はあるのだろう。
「テキーラ」とは、本心を隠して笑顔を作ることの意になる。偽りの笑顔である。実社会ではときに嘘が必要になる。ユニフォーム会社の謝罪会見で、柄本明演じる部長が土下座をしたように。
※以下、中編に続く(2月14日公開)。
川本三郎(かわもと・さぶろう)
1944年、東京・代々木生まれ。東京大学法学部卒業後、朝日新聞記者を経て、映画や文芸、都市論などを中心とした評論活動に入る。主な著書に『大正幻影』(91年・サントリー学芸賞)、『荷風と東京「断腸亭日乗」私註』(97年・読売文学賞)、03年『林芙美子の昭和』(03年・毎日出版文化賞)、12年『白秋望景』(伊藤整文学賞)がある。その他、『マイ・バック・ページ ある60年代の物語』、近著に『映画の木洩れ日』(キネマ旬報社)がある。