評論家の川本三郎さんによる、山田太一ドラマの魅力に迫る連載。前回まではおもに若者たちを主役にしたドラマを扱ってきましたが、今回からは中年期の男女の恋をテーマにした作品が続きます。その第一弾は市原悦子と藤竜也が主演した『大丈夫です、友よ』。北九州の旅情あふれる風景をバックに描かれる、思いがけず再会した男女の恋の行方をきめ細かく解説していただきました。
大丈夫です、友よ
中編
- 作品:
-
大丈夫です、友よ
1998年11月(全1回)フジテレビ - 脚本:
- 山田太一
- 演出:
- 深町幸男
- 音楽:
- 福井峻
- 出演:
- 市原悦子、藤竜也、深津絵里、柳葉敏郎、井川比佐志、坊屋三郎、前田まゆみ、西川亘、内藤達也ほか
老いを前にして心によぎるもの。
そのあと良子はまた替え歌を歌い出す。
〽咲かない 咲かないチューリップの花が……黒くて灰色……。まるでいまの自分が咲かないチューリップのように思えるのだろう。子どもの時に歌った替え歌だが、いまでも口癖のように歌ってしまうという。
平凡な日常が繰り返される毎日がやりきれない。よく、中年男性の悩みをミドル・エイジ・クライシスというが、女性にもあるようだ。「黒くて灰色」のままで年を取っていいのか。小さな町に暮らしている地味な生活者の堅実な日常のなかで、ふと心によぎる不安、焦り、後悔、あきらめ。
寂しそうに、子どもの頃の、チューリップの歌の替え歌を歌う市原悦子が切ない。五十八歳といえば老いはもうすぐそこ。このまま咲かないチューリップでいいのか。
死を決意した浩司の行動。
そんな中年女性がはじめて見せる悲しい表情を見て、浩司は意を決したように話しかける。
「良子ちゃん、オレと思いきり贅沢せんか」。
藤竜也の表情は真剣である。まるで一緒に死のうといってるように見える。
そしてその夜、旅館に泊まった浩司は旅館の浴衣を着たまま、夜の海に入ってゆく。ここではじめて、浩司は事業に失敗し、最後に生まれ育った故郷の風景のなかで死のうとしていることが分かる。
良子が働いている洋品店で新しい下着を買ったのは、死の準備だったし、良子が夜、同級生たちと会おうというのを断ったのも、とてもそんなにぎやかな場に顔を出す気になれなかったのだろう。小学校の校庭で良子に初恋の人といわれたとき、「無理していうとる? どこか、あわれやろか」と意外なことをいったのも、死を意識していたからだった。
人生は不公平と語る昭夫。
しかし、浩司は海に入っていったものの死にきれない。翌朝、町を歩き、実家の酒蔵にも行ってみる。実家とはとうに不仲になっているらしく中には入らない。
歩いているうちに偶然に買い物帰りの中村昭夫にばったり会い、家に招かれる。この時、昭夫は近くの豆腐屋に行ったらしく豆腐を入れた鍋を持っている。生活感がある。このあたり、演出は芸が細かい。町にはまだ手造りの豆腐屋があることがわかるし、昭夫が必ずしも家事をいっさいやらない夫ではないこともわかる。
昭夫は中学のときに満州から引揚げて来た。浩司と良子のいる中学校に入った。引揚げ者で苦労して育った。学校ではいじめられていた。といった昔話を、浩司に茶をいれながら語る。それに比べ「浩ちゃん」は格好よくて金持ちの子で…「人生は不公平だ」と嘆く。中学を卒業して八幡製鉄所の子会社で工員として働いた。そっちは東京で羽振りがいいと聞いた。同級生でも大きな格差がある。
女房は中学生の時の同級生の良子だ。「あいつは中学の頃からおばんでいまもおばんだ」というのが可笑しい。確かに市原悦子は「おばん」の役が似合う。
「初恋の人」と一日を過ごす主婦の冒険。
「人生は不公平だ」という昭夫の家に居づらくなったのだろう、浩司は早々に引き上げる。電車に乗って帰る。と、その電車のなかに良子が乗っている。昨日、神社で浩司がいった「思いきり贅沢せんか」の言葉に従おうとしている。一緒に、めったに出ない福岡に出ようと、彼女なりに一大決心をした。普通の主婦には冒険である。昨夜、義父には「明日、友だちと一泊旅行に出る」といった。夫の昭夫は酔って眠っていたのでそのことをいっていない。「初恋の人」と一日を過ごす。彼女にとっては冒険である。一歩、先へと踏み出した。とはいえ、この時の市原の服装はといえばジャージーの上着にスラックス、そしてスニーカーと、およそおしゃれとは遠い、いかにも「おばん」のものなのが悲しくも可笑しい。
イラスト/オカヤイヅミ
ハネムーンまがいの二人の博多行き。
二人が乗る電車は、博多の貝塚と津屋崎を結んでいた西鉄貝塚線。この電車は、途中の香椎駅が松本清張のミステリ『点と線』に出てくるので知られる。『大丈夫です、友よ』が製作されたころは電車は津屋崎まで来ていたが、その後、二〇〇七年に西宮—津屋崎間は乗客が減ってしまったために廃線になり、津屋崎駅はなくなってしまった。
西鉄の電車は博多へと向かう。「一緒に贅沢しよう」といったとおり、博多で浩司は良子のためにしゃれたブティックに行ってドレスを買う。さらに帽子や靴もあしらえる。ふだんスーパーの安売りでしか洋服を買ったことがない良子は戸惑いながらも、それでもうれしい。「初恋の人」との思いがけないデートになっている。浩司もいっとき死を忘れているようだ。中年どうしの楽しそうなカップルに見える。
二人は博多からハウステンボスのある佐世保に向かう特急列車みどりに乗る。一泊する予定。良子は多少うしろめたい気持ちがあるのだろう、自分に言い聞かせる。「いままでずっと働いて、働いてきたのだからこれくらいの勝手は当然だ」。それにどこか寂しそうな浩司を同級生として一人にしておけないとも思う。良子は浩司の様子がどこかおかしいと感じはじめている。
浩司を探す有沢と洋子の事情。
東京では有沢と洋子の二人が社長を探し続けている。洋子は、もしかしたら社長は故郷の北九州に行ったのではないかと思い、そのことを有沢に話す。
それで二人は一緒に社長の故郷の津屋崎に行くことになる。
二人だけの旅。いくら仕事とはいえ一銀行員の有沢がそこまでするか。どうやら彼は洋子のことが好きらしいと感じられてくる。洋子のほうも有沢との旅を厭わないのだから、有沢のことを憎からず思っているようだ。
二人は社長の実家のある津屋崎に行ってみる。ここで洋子は有沢に、実は津屋崎は自分の生まれ育った町で、実家がここにあると有沢にいう。
漁師の舟が浮かぶ津屋崎の港を歩きながら洋子は、有沢に社長との出会いを話す。
ゴマサバの味と故郷への思い。
北九州の人間なら誰もが知っているゴマサバという食べ物がある。旬のサバを細かく切ってそれをゴマで合えたもの。アジのたたきに似ている。
洋子は東京に出てきてはじめ浅草橋あたりの小料理屋で働いていた。あるとき店に社長の塚田が来て、板前にゴマサバはあるかと聞いた。東京ではまずお目にかからない。板前はないと答える。それを聞いた洋子は、店にサバがあるのは分かっていたから、私が作りますと申し出る。それがきっかけで、洋子と社長が同じ北九州の出だと分かり、洋子は社長の会社で働くようになった。
余談になる。私も東京の人間でゴマサバを知らなかった。このドラマを見てはじめてゴマサバを知った。北九州市の小倉に地元の人に愛されている武蔵といういい居酒屋がある。何年か前、そこではじめてゴマサバを食べた。おいしかった。見ると地元の客はたいていまずゴマサバを注文している。以来、小倉に行くたびにこの店でゴマサバを食べるのが楽しみになった。
※以下、後編に続く(8月28日公開)。
川本三郎(かわもと・さぶろう)
1944年、東京・代々木生まれ。東京大学法学部卒業後、朝日新聞記者を経て、映画や文芸、都市論などを中心とした評論活動に入る。主な著書に『大正幻影』(91年・サントリー学芸賞)、『荷風と東京「断腸亭日乗」私註』(97年・読売文学賞)、03年『林芙美子の昭和』(03年・毎日出版文化賞)、12年『白秋望景』(伊藤整文学賞)がある。その他、『マイ・バック・ページ ある60年代の物語』、近著に『映画の木洩れ日』(キネマ旬報社)がある。