評論家の川本三郎さんによる、山田太一ドラマの魅力に迫る連載。バブルが崩壊した1990年代以降、企業による不祥事が目立つようになります。今回は、そうした日本社会の病理に目を向けた『本当と嘘とテキーラ』を取り上げます。世の中の動きに敏感な山田ドラマの醍醐味に触れてみましょう。
本当と嘘とテキーラ
中編
- 作品:
-
本当と嘘とテキーラ
2008年5月(全1回) テレビ東京 - 脚本:
- 山田太一
- 演出:
- 松原信吾
- 音楽:
- 横田年昭
- 出演:
- 佐藤浩市、夏未エレナ、樋口可南子、益岡徹、寉岡萌希、山﨑努、柄本明、戸田菜穂、塩見三省ほか
初めて直面する家庭の危機。
娘が詳しく語ろうとしない学校での出来事とは何だったのか。
娘によれば、同級生の女子が自殺したのだという。ただ、娘とは親しい子ではなかった。それを聞いて、父親は人が死んだ時に不謹慎とは思いながら正直、ほっとする。
ところが——。
後日、娘の学校の教頭(塩見三省)と、担任の大沢という教師(戸田菜穂)が章次に会いに来る。
それもまるで悪いことをするかのように人目を避けて、人の姿の少ない公園で会うことになる。
教頭たちの要件は章次には思いもかけないことだった。
自殺した川本里花という生徒は、学校の屋上から飛び降りて死んだのだが、その屋上の隅に遺書のような紙があって、そこには「朝美死んでやるよ」と書かれていた。体育の教師がそれを見つけた。担任は、字は明らかに里花のものだという。
娘と自殺した生徒とは何か不都合な関係があったのか。紙を見せられた章次は、はげしく動揺する。
企業の危機管理のコンサルタントをしている男が、はじめて家庭内の危機に直面する。どう対処すればいいか。
教頭と担任の先生は、ことを荒だてたくないので、遺書のような紙が残されていたことは、警察にも教育委員会にも言っていないという。知っているのは、校長と紙を見つけた体育教師と自分たち二人、計四人だけで、決して公けにはしない。
無論、学校側の、ことを大きくしてマスコミに騒がれたくないという保身の思いはあるだろう。同時に、担任の先生は、「犯人探しのようになるのは、教育の立場から好ましくない」と思いやりを見せる。さらに、亡くなった女子生徒は手がつけられない問題児で、「死んでやるとよく言っていた」と明かす。
危機管理のプロである章次は娘の問題にはじめて立ち向かうことになる。企業相手のコンサルタントの彼がはじめて家庭の危機に直面することになる。
「嘘」で一件落着した先の不安。
教頭と担任の先生は、穏便にことをおさめるために「死んでやる」の紙は公表しないという。いじめがあったわけではない。川本里花は個人的な事情で自殺したので、朝美とのあいだに何かトラブルがあったわけでもない。
それで一件落着にしようとする。つまり「本当」に蓋をする。「嘘」をつく。テキーラのやり方である。
章次がもし仕事として、学校側から相談を受けたら、自分も二人と同じようにテキーラで処理しようとするだろう。大人の社会の常識であり、知恵でもある。
章次は、ことを大仰にしないという教頭と担任の先生に、礼を言って頭を下げる。いつもは企業のトップが頭を下げるのを見ている章次が、いざ自分の問題に直面した時、「嘘」でことを収めようとする学校側に感謝して頭を下げる。
しかし、本当にそれでいいのか。「嘘」でことを収めていいのか。
自我を守る娘に戸惑う父。
章次の心は揺れる。娘と自殺した女の子のあいだにトラブルはなかったのか。章次は、父親として本当のことを知りたいと思う。
ある夜、娘としゃれたレストランで食事をする。その席で、娘に死んだ子と本当は何かトラブルがあったのか、聞く。しかし、娘は答えない。「何かあっても、言いたくないことは言わない」と父親を突きはなす。
中学生ともなれば強い自我を持ってきている。自我とはいわば、心に親にも言えない(親だからこそ)心の秘密を持つことである。娘は頑なに父親の問いを拒むことで必死に自分を守ろうとしている。
朝美という娘は、決して父親にむやみに反抗しているのではない。徐々に分かってくることなのだが、彼女自身、なぜ川本里花が自殺したのか分かっていない。自分の何が悪かったのか。そもそも普段から口を利いたこともない子である。そんな、仲が悪かったわけでもない子がなぜ、自分に突っかかるように死んでいったのか。
朝美自身が、それが分からずに悩んでいる。だから父親に「何もなかった」と答えるしかない。
一人で悩みを背負いこんで個室に入ってしまう朝美はどこか痛々しい。演じる夏朱レナも少女らしい清潔感があって素晴らしい。十四歳の少女には「全世界を相手に一人で戦っている子ども」のけなげさ、必死さがある。

イラスト/オカヤイヅミ
ノートに名前が書かれた謎。
父親の章次に難題が降りかかる。
自殺した子の母親、川本佳代(樋口可南子)が会いたいと言ってくる。いわば、被害者の親が、加害者の親に会う。何か責められるのではないか。
気は重いが章次は、母親に会いに行く。佳代は、夫がいるが、自分も働いていて、下北沢あたりでおしゃれなグッズを売る店を開いている。章次は、その店を訪ねる。向こうの母親が、朝美のことで会いたいといってきたのだから。
佳代ははじめのうちは静かに章次に応対しているが、徐々に言葉がきつくなってくる。そして、娘の部屋を探していたら見つかったという厚手のノートを章次に見せる。ほとんど何も書かれていないノートだが、1ページ目にだけなぜか「尾崎朝美へ」とある。娘の母親としては当然、「尾崎朝美」のことが気になる。娘がなぜ自殺したのか、原因を知りたい母親は、娘と「尾崎朝美」とのあいだに何かがあったと考えている。それで朝美の父親、章次に会うことにした。
一方、章次のほうは困惑する。娘は、自殺した里花とは友だちではなかったといっている。それなのになぜ、ノートに娘の名前が書かれているのか。
章次は困惑しながらも一度、ノートを家に持ちかえり、娘に見せ、何があったのか教えてくれという。娘は頑なに「何もなかった」と繰り返し、何度も聞こうとする父親に「パパ、しつこい」と捨てゼリフのように言い放つと自分の部屋に入ってしまう。
※以下、後編に続く(2月21日公開)。
川本三郎(かわもと・さぶろう)
1944年、東京・代々木生まれ。東京大学法学部卒業後、朝日新聞記者を経て、映画や文芸、都市論などを中心とした評論活動に入る。主な著書に『大正幻影』(91年・サントリー学芸賞)、『荷風と東京「断腸亭日乗」私註』(97年・読売文学賞)、03年『林芙美子の昭和』(03年・毎日出版文化賞)、12年『白秋望景』(伊藤整文学賞)がある。その他、『マイ・バック・ページ ある60年代の物語』、近著に『映画の木洩れ日』(キネマ旬報社)がある。