新連載

イラスト/瀬藤優

インターネットによる映像配信サービスが普及し、ドラマブームが続くなか、過去の人気テレビドラマにも注目が集まっています。なかでも昭和から平成にかけて、多くの視聴者に衝撃と感動を与えた脚本家・山田太一さんのドラマは、いま見てもまったく色褪せることがありません。山田太一ドラマの魅力はどこにあるのか。時代を超えた普遍的な面白さの秘密は何なのか。評論家の川本三郎さんに、名作の数々をひもときながら執筆していただきます。

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それぞれの秋
前編

作品:
それぞれの秋
1973年9月〜12月(全15回)、TBS系
演出:
井下靖央ほか
音楽:
木下忠司
出演:
小林桂樹、小倉一郎、久我美子、林隆三、高沢順子、桃井かおり、火野正平、四方正美、海野まさみ、緑魔子ほか

家族の暗部に切り込む「反ホームドラマ」。

脚本家、山田太一の名を世に広く知らしめたテレビドラマは一九七三年の秋から冬にかけてTBS系で放映された連続ドラマ『それぞれの秋』といっていいだろう。

ホームドラマではあるが、従来のよくある和気藹藹(あいあい)としたドラマではなく、家族の暗部に深く切り込んだ、いわば反ホームドラマになっていることで大きな評判を呼んだ。

「それぞれ」という語がよくあらわしているように、家族は一見、平穏に見えても、家族のそれぞれは、各自の悩みや不安を抱えていて、それを口にすることはない。家族であっても互いに相手の知らない部分を持っている。「ひとつ」ではなく、あくまでも「それぞれ」。ときには相手が、親であれ、きょうだいであれ他人のように見えてしまう。

これは一九七〇年代はじめのテレビドラマのなかできわめて新鮮な家族観だった。

この脚本を書くに当たって、山田太一は書いている。自分の考える家族は、それまでのホームドラマが描くような、なんでも話し合い、いたわり合うことをしない。「それぞれがそれぞれの悩みや孤独をかかえながら、それを家族にあかすことはなく、むしろあかさないからこそ家庭が小さな安らぎになっていたりする。お互いがお互いの現実を知らず、一見平穏無事な一家という姿を、なんとか保っている」(『その時あの時の今 私記テレビドラマ50年』〈河出文庫〉75年)。

非常にクールな家族観である。それぞれが自分の心のなかをさらけ出さずに、親は親の、子は子の役割を演じている。

山田太一のこの家族観は、『それぞれの秋』によってはじめて強く打ち出され、以後、『岸辺のアルバム』(77年)、『沿線地図』(79年)、『早春スケッチブック』(83年)と続く、山田太一ホームドラマの大きな核になってゆく。家族は「みんないっしょ」のドラマが多かった時代に、家族は「それぞれ」という考え方は実に新鮮だった。

気の弱い次男の視点から描く中流家庭の姿。

『それぞれの秋』は東京の郊外、東横線沿線の多摩川を渡った新しい住宅地の戸建て住宅に住む一家の物語である。

両親と三人の子供の五人家族。七〇年代当時はもう普通になってきた核家族である。

父親の清一(小林桂樹)は中堅のサラリーマン。どういう会社かは説明されていないが、若い時に堀削の機械を売ったというセリフがあるから機械のメーカーだろう。五十歳前後で部長補佐を務めている。

母親の麗子(久我美子)は専業主婦。実家はしっかりした家のようで、あとで清一が重い病気になった時、入院費を家族に頼っている。それまでは金の苦労を知らずに育った。

この父母は、多摩川を渡った新しい郊外住宅地にローンを組んで一戸建ての家を買った。ローンはまだ十年以上残っている。

決して金持ではないが、やがて一億層中産階級時代といわれるようになる時代の平均的な中流家庭といっていいだろう。

長男の茂(林隆三)は社会人になっている。ベッドの会社のセールスマン。「ベッド」というのがマイホームの時代をよくあらわしている。まだ独身で親元にいる。

次男の稔(小倉一郎)は決して一流とはいえない大学の学生。これはのちの『ふぞろいの林檎たち』(83年、TBS系)の、冴えない大学の三人の学生——、中井貴一、時任三郎、柳沢慎吾に受け継がれてゆく。

小倉一郎といういかにも線の細い俳優が演じる次男が、物語の視点人物になっているため、このドラマは家族の厳しい現実を描きながら、どこかソフトで、ときにユーモラスな場面もあり、それが救いになっている。とくに、桃井かおり演じる不良女学生に、思いがけず惚れられ、押しまくられる。

山田太一によれば小倉一郎を起用したのは、シナリオ作家になって八年目のこと、ある日、くさっていて気分転換に有楽町のスバル座でジャック・ニコルソン主演の『ファイブ・イージー・ピーセス』を見た。館内で偶然、一度だけ会ったことのある十八、九の青年に声を掛けられた。彼を見て、無器用でナイーブなこの青年を主役にすれば、ドラマ(『それぞれの秋』)を書けると思ったという(『その時あの時の今』)。彼が次男を演じることになる。

三人目の子供は女の子。陽子という高校二年生。演じているのは当時、「お魚になったワタシ」のコピーで話題になった東陶ホーローバスのコマーシャルで、若い世代に人気が出た高沢順子。あんな妹がいたらと若者たちは思ったものだった。昨年死去した大森一樹監督は、高沢順子の大ファンだったという。

イラスト/オカヤイヅミ

「みんないっしょ」から「それぞれ」へ。

この中産階級の家族の設定は、まさに「それぞれ」の家族が生まれるのにふさわしい。一九七〇年代はじめ、豊かになった日本社会のなかに平均的な家族として登場した新しい家族である。

それまでのような祖父母のいる大家族ではない。両親と子供だけの核家族。

そして、それなりに豊かな中産階級である。次男の稔は私大と思われる大学の学生。長男の茂も語られていないが、大学出だろう。娘の陽子も、いずれは大学に進学することが想定されている。

この家族は、一九七〇年代、日本の社会が豊かになるにつれて生まれた中流階級である。それ以前の、例えば山田太一の師の木下惠介監督が『二十四の瞳』(54年)で描いたような戦前の貧しい家族とはまったく違う。

戦前の日本だけではない。敗戦後の日本も社会は貧しく、家族はその貧しさのなかにあった。

貧しい時代の家族(大家族で子供の数も多い)は、家族のそれぞれが助け合っていかなければ生きてゆけない。「みんないっしょ」が当然だった。

それが、日本の社会が豊かになるにつれて「いっしょ」の観念は薄くなる。「いっしょ」が豊かさと共に「それぞれ」に変わってゆく。

『それぞれの秋』の娘、高校生の陽子は、二階に自分だけの部屋を与えられている。「個室」である。次男の稔は、長男の茂と同じ部屋だが、兄は社会人で昼は会社に出ているから、昼はほとんど一人で部屋を使っている。これも「個室」である。しかも、陽子と稔の部屋は二階にあって、両親の寝間のある一階とは隔てられている。

つまり、この家族は、部屋の構造からいってすでに「それぞれ」になっている。かつての大家族や、貧しい時代の家族では考えられなかったことだが、七〇年代の子供たちは自分の「個室」を持っている。この家の構造からして、家族は「それぞれ」にならざるを得ない。

1973(昭和48)年9月6日、放送開始時のテレビ番組表(クリックすると拡大します)。写真提供/毎日新聞社

とくに思春期にある陽子は、「個室」にしばしば鍵を掛ける。隠れてひそかにタバコを吸う。妹のことを心配した兄の稔が部屋に入ってくると「出ていって」と追い返す。たまに父親が部屋に入ってきて、「タバコの臭いがするな」というと、たちまち邪険に「出て行って」と追い出す。豊かさから生まれた「個性」が、かつての家族にはなかった「それぞれ」、さらに平たくいえば「ばらばら」をきわだたせる。

「それぞれ」の家族とは、日本の多くの家族が、核家族、中産階級化してゆくことによって生まれた現象といってもいいだろう。

一九七〇年代のはじめ、山田太一は、この家族の変容にいちはやく気づいた。そこから『それぞれの秋』をはじめ、『岸辺のアルバム』『沿線地図』『早春スケッチブック』といった、新しい中産階級の家族を描くドラマが生まれていった。時代の変化を、家族という定点から見て読み取ってゆく。山田太一の真骨頂だろう。
※以下、次回に続く(5月31日公開)。

川本三郎(かわもと・さぶろう)

1944年、東京・代々木生まれ。東京大学法学部卒業後、朝日新聞記者を経て、映画や文芸、都市論などを中心とした評論活動に入る。主な著書に『大正幻影』(91年・サントリー学芸賞)、『荷風と東京「断腸亭日乗」私註』(97年・読売文学賞)、03年『林芙美子の昭和』(03年・毎日出版文化賞)、『白秋望景』(伊藤整文学賞)がある。その他、『マイ・バック・ページ ある60年代の物語』『朝日のようにさわやかに』『銀幕の東京』など多数。

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