イラスト/瀬藤優

評論家の川本三郎さんによる、山田太一ドラマの魅力に迫る連載。今回は、中年男女の恋愛を描いた山田ドラマの中でもベストと川本さんが推す『遠まわりの雨』です。渡辺謙と夏川結衣が演じる、かつて恋人同士だった二人が20年後に再会して起こるさまざまな感情の機微をじっくり追いかけたこの名作を、川本さんと共に味わっていきましょう。

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遠まわりの雨
後編

作品:
遠まわりの雨
2010年3月(全1回)日本テレビ
脚本:
山田太一
演出:
雨宮望
音楽:
村井邦彦
挿入歌:
スーザン・ボイル「翼をください〜Wings To Fly」
出演:
渡辺謙、夏川結衣、岸谷五朗、田中美佐子、AKIRA(EXILE)、川島海荷、井川比佐志、YOU、近藤芳正、日野陽仁、渡邊紘平、藤村俊二、柳沢慎吾、キムラ緑子、筒井真理子ほか

時代遅れとなる職人の技。

ヨーロッパの企業から注文のあった仕事は期限が限られている。草平の仕事は順調に進んでいるが、期日どおりに行くかが危ぶまれる。

そんなとき思いもかけないことが工場で起こる。秋川精機には康(やすし)という若い職人がいる。若いだけあって彼はコンピュータに強い。EXILEのAKIRAが演じている。

工場では、草平が昔ながらの手作業でなんとか注文の品を作ろうと努力するのに対して、若い康がコンピュータで草平より先に製品を仕上げてしまう。

機械製作の現場でもコンピュータが導入され、職人の仕事を奪う時代になっている。ベテランの職人が長年の修練で獲得した技術が時代遅れになってきている。

二十一世紀になって技術革新、IT化が急速に進んだ。身近な例を挙げれば、いまや日常生活に欠かせないスマートフォンの普及も二十一世紀になってから。ついこのあいだまでなかったものである。

急激な技術革新は、工場の現場では、熟練工の仕事を奪ってゆく。

自分の〝絞り〟の技術がコンピュータに負けてしまったのを知った草平は、がっくりくる。モノ作りの現場を愛していたのに、そこにはもう自分の居場所はない。いわば勝負に負けた。せっかく桜の頼みで現場に戻ったのに、自分の技術はコンピュータに負けてしまった。草平は桜にこんなことをいう。

「いくら人力車をうまく引っ張れてもタクシーが出てくりゃ終わりさ」

2010(平成22)年3月27日(土)、放送時のテレビ番組表(クリックすると拡大します)。写真提供/毎日新聞社

かろうじて残る職人の良き共同性。

めまぐるしい技術の発達は、昨日まで第一線だった技術を今日はもう古いものにしてしまう。よく知られている新美南吉の童話『おじいさんのランプ』を思い出す。文明開化の明治時代、おじいさんはろうそくにかわってランプを売り出し、成功する。どの家もそれまでのろうそくや行灯(あんどん)の光からランプの光にかえてゆく。ところが今度は電気が登場すると、それまで新しかったランプはもう古いと見捨てられてゆく。古いものが新しいものにとってかわられる。近代社会のいわば宿命である。

このコンピュータの技術で注文の製品を作ってしまった康は気のいい若者で、自分のほうが草平より先にコンピュータで仕事を完成させてしまったことを決して得意がることはない。むしろ大先輩の職人の技をコンピュータが打ち負かしたことを申し訳なく思う。

自分のほうが草平より先に仕事を成し遂げてしまったことで、草平を傷つけてしまうことを心配して、はじめは社長にも桜にも、そのことを言い出せないでいる。

町工場の職人ならではの優しさを、山田太一はきちんと描き出している。長髪で髭をはやした一見、調子のいい現代の若者に見える康にも昔気質の職人の実直さが残っている。職人の世界の良き共同性だろう。蒲田の町工場の一画にはまだ職人どうしが支え合う気風が残っている。

二人だけの時間を思い出の鎌倉で。

コンピュータとの競争に負けた草平は、もう自分の時代は終わったと打ちのめされ、桜にも別れを告げずに妻と娘が待つ前橋の自宅に戻ってゆく。モノ作りの世界から苦手なモノを売る仕事をまた始めなければならない。

そのあとの展開が恋愛ドラマとして素晴らしい。

このままでは終わりたくないと思った桜は、ギャラを払うからと草平に連絡を取り、鎌倉で会うことになる。

なぜ鎌倉なのか。二人は恋人どうしだった頃、一度、鎌倉に行ったことがあった。二人の恋の思い出の場所である。そこを中年になったいま、再び訪れる。二度目の恋を実感したい。鎌倉で会おうといったのは桜の方だろう。それぞれ連れ合いには鎌倉で会うとはいっていない。二人だけの時間にしたい。

いまにも雪が降り出しそうな初春。二人は江ノ電の長谷駅で落ち合い、大仏を見て長谷寺を歩く。境内には白い梅が咲き始めている。それから二人は海のレストランに入る。そこで桜はギャラを渡す。封筒に百万円入っているという。「源泉抜いたから」とひとこと加えるのが、会社の経理を担当している桜らしいリアリズムがよく出ている。

草平は結局役に立たなかったんだから金はいらないといったんは断るが、桜は草平が来てくれてどんなに心強かったか、受け取ってほしいと譲らない。奥さんだってただ働きだなんて許さないだろう。事実、奥さんは草平に、桜に会うのだったらきちんとお金の話をしてきてといったという。草平が金なんかいらない、と格好をつけるのに対し、金は大事と女性たちのほうが、地に足がついている。

細かいことだがこんないい場面があった。入院中の起一がある時、工場のことが心配になってタクシーに乗って帰宅する。工場について料金を払うとき起一は運転手に「釣りはいらない」という。するとすかさず桜が「そんなのだめよ」と、運転手からお釣りをもらい、さらに領収書も受け取る。主婦らしい生活のリアリズムがよく出ている。こういう細かいところまで山田太一は気を配っている。

イラスト/オカヤイヅミ

燃えあがる「今だけ」の恋。

レストランを出た二人は、若い日をなぞるように浜辺に行く。初春の寒々とした浜辺には二人のほかに人の姿は見えない。二人は少し離れて座る。

草平は次第に押し黙ってくる。桜が何をいっても「うん」としかいわない。やっと口を開くとこういう「(仕事がうまくゆかなかったから)へこたれるよ」「ナンパする元気もない」。

それを聞いたとたん、それまで冷静だった桜が情熱にかられて「ナンパして!」といい、草平にしがみつくように抱きつく。このまま別れたくない。また仕事に追われる日常に戻りたくない。若い頃のように抱き合いたい。桜の思いつめた表情にこの場面は胸がつまる。

しかし、結局は大人の分別が二人に一線を越えさせない。雪が降りはじめる。江ノ電の極楽寺駅のホームで電車を待つ。二人は自然に寄り添っている。もう別れるしかない。草平は藤沢行きに、桜は鎌倉行きに乗ることになる。ついに二人は行くところまで行かなかった。きれいに別れるしかない。

その時、草平に身を預けた桜がいう。

「今だけ、今だけ恋に落ちよう、電車が来るまで」

その声に誘われるように草平は桜を強く抱きしめる。そして二人は唇を重ねる。まるで今生の別れのように。みごとなラブシーンに、見ていて胸が熱くなる。実に切ない。二人はそうして「今だけ」のあと、別れてゆく。

「今だけ恋に落ちよう」とはなんといい言葉だろう。山田太一は本当にセリフがうまいと感服する。このセリフをいうとき桜を演じる夏川結衣は一段と美しい。はじめの頃は「町工場のおばさん」らしかったのが、ここでは恋する美しい女性になっている。

『星の王子さま』で知られるサン・テクジュペリの『人間の土地』という小説に、愛についてよく知られる名言がある。

「愛する——それはお互いに見つめ合うことではなくて、一緒に同じ方向を見つめることである」。この言葉に倣えば、夫婦の愛が「一緒に同じ方向を見つめること」なのに対し、草平と桜の愛は「お互いに見つめ合うこと」なのだろう。それはあくまで一瞬の愛になっている。
※次回は『終わりに見た街』(11月6日公開)を予定。

川本三郎(かわもと・さぶろう)

1944年、東京・代々木生まれ。東京大学法学部卒業後、朝日新聞記者を経て、映画や文芸、都市論などを中心とした評論活動に入る。主な著書に『大正幻影』(91年・サントリー学芸賞)、『荷風と東京「断腸亭日乗」私註』(97年・読売文学賞)、03年『林芙美子の昭和』(03年・毎日出版文化賞)、12年『白秋望景』(伊藤整文学賞)がある。その他、『マイ・バック・ページ ある60年代の物語』、近著に『映画の木洩れ日』(キネマ旬報社)、『遠い声/浜辺のパラソル』(ベルリブロ)がある。

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