イラスト/瀬藤優

評論家の川本三郎さんによる、山田太一ドラマの魅力に迫る連載。今回は香港スターの「追いかけ」をしている女性たちのドラマ『香港明星迷』を取り上げます。これまでに扱ってきた山田太一ドラマと比べ異色の設定ですが、きらびやかな香港の町に映し出される女性たちの姿を、川本さんが深く、そして優しく切り込んでいきます。

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香港明星迷
(ほんこんみょうじょうめい)
前編

作品:
香港明星迷(ほんこんみょうじょうめい)
2002年9月(全1回)テレビ東京
脚本:
山田太一
演出:
松原信吾
音楽:
川崎真弘
出演:
薬師丸ひろ子、室井滋、山本未來、山崎努、香港明星、イーキン・チェン、堺雅人、岡田眞澄、徳井優ほか

香港スターが人気者になってきた時代背景。

二〇〇二年にテレビ東京で放映された単発の二時間ドラマ。香港のスター、イーキン・チェン(鄭伊健)の大ファン、いわゆる「追いかけ」をする三人の女性、薬師丸ひろ子、山本未來、室井滋を描く。

「明星」とはスターのこと。ここではイーキン・チェンを指している。「迷」はファンのこと。

日本で香港のスターが人気者になるのは、まず一九七三年に映画『燃えよドラゴン』(一九七三年、ロバート・クローズ監督)がヒットし、主演のブルース・リーが一躍人気スターになってからだろう。

そのあとには、ジャッキー・チェン(成龍)、ジェット・リー(李連杰)が続き、九〇年代に入ると、ウォン・カーウェイ(王家衛)監督の『欲望の翼』(90年)やチェン・カイコー(陳凱歌)監督の『さらばわが愛、覇王別姫』(93年)の主演を務めたレスリー・チャン(張國榮)がアイドル的人気を得た。二〇〇八年に香港コロシアムで行われたコンサートには日本から多数のファンが押しかけた。

それより前、八〇年代には『男たちの挽歌』(86年)、『誰かがあなたを愛してる』(87年)のチョウ・ユンファ(周潤發)も人気があった。

そして九〇年代後半からスターになったのが、歌手でもあったイーキン・チェン(鄭伊健)。『香港明星迷』では日本の三人の女性が彼の大ファンになる。このドラマでは、イーキン・チェン本人が出演しているのも見逃せない。

イーキン・チェンで繫がる女性たち。

冒頭、三人の女性がそれぞれスケッチ風に紹介される。薬師丸ひろ子演じる工藤里美は、青山にあるフランスの靴のメーカーで営業部長として働いている。優秀なキャリア・ウーマンといっていいだろう。仕事柄、町を歩いていても女性たちの靴にばかり目がゆく。

山本未來演じる柴崎圭子は、大手の証券会社で男性社員に交って生き生きと働いている。朝、タクシーのなかで化粧をし、新聞を読む。忙しい毎日を送っているキャリア・ウーマンだとわかる。

室井滋演じる小沼茜はスーパーのレジで働いている。里美と圭子が独身なのに対し茜は主婦のようだ。三人とも三十代か。

はじめこの三人は互いを知らない。それがそれぞれイーキン・チェンファンだと分かって親しくなってゆく。

イラスト/オカヤイヅミ

望んだ仕事ができないジレンマ。

里美の働くフランスの靴メーカーの日本支社は青山のビルにある。社員はせいぜい七人ほどの小世帯。支社長はフランス人(岡田眞澄)。社員のなかにはフランスの女性もいる。年下の部下、高山史郎(堺雅人)もいる。

里美は、かねてからフランスの本社から送られてくる靴に不満を感じている。どれもかかとが高く、女性の社会進出が進み、女性たちが会社勤めするようになると、かかとの高いハイヒールは歩くのに適さない。歩いていて疲れてしまう。事実、里美は夜、会社で残業をるすときはハイヒールを脱ぎ、両足を水を張ったバケツに入れ、足を休める。このあたり、演出は細かい。OLの日常をよく観察している。

里美は日本の働く女性のために、デザインがよく、それでいてはきやすい靴を作りたいと思っている。

しかし、支社長に提言しても、まともに対応してもらえない。「本社はデザインに口を出されるのをいちばん嫌う」「きみは営業だろ。どう作るかではなく、どう売るかを考えろ」と突っぱねられる。このやりとりが後半のドラマの伏線になってゆく。

年下の部下に不審がられる里美。

里美は江東区の掘割沿いのマンションに一人で暮らしている。そこに、ある夜、年下の部下の高山が訪ねてくる。

室内では里美は着物に着替えている。着物姿の薬師丸ひろ子が可愛い。童顔だからキャリア・ウーマンというより、お祭りか何かに出かけようとしている少女に見える。

高山はべつだん用事があって来たのではない。ただ話をしたかったからといい、里美が今度の土、日の休みと有休を利用して三泊ほどで香港に行くことを話題にする。ついこのあいだも行ったのに、また行くのか、実はこのやりとりも後半のドラマの展開の伏線になっているのだが、この段階では後半のドラマは伏せられている。

里美は、なぜそんなに頻繁に香港に行くのか、と聞いてくる高山に、実はと打ち明ける。

イーキン・チェンという香港の大スターのファンで、彼の「追いかけ」をしている、とイーキン・チェンのことを知らないという(ファンの多くは女性なのだろう)高山に里美は、大切にしているイーキン・チェンのポスターや写真を見せる。

里美の香港行きは、中絶手術のためか、整形手術のためかと疑っていた高山は、どうやらそうではなかったと納得する。

2002(平成14)年9月4日(水)、放送開始時のテレビ番組表(クリックすると拡大します)。写真提供/毎日新聞社

「追いかけ」からミステリアスな展開に。

そのイーキン・チェンがごく内輪のファンのために香港でバースデー・パーティを開くことになった。里美はそれに出席するために香港に向かう。

成田空港で搭乗手続をしている里美は、ここではじめて圭子と茜に会う。圭子は一人でいる。人を寄せつけないクールな雰囲気がある。童顔の薬師丸ひろ子に比べ、山本未來の大人の顔。見るからに優秀なキャリア・ウーマン。一方、茜は手続きカウンターでも、飛行機に乗ってからもうるさく里美に話しかけてくる。いかにもお喋りな近所のおばさん風。

飛行機に乗っても圭子は一人でいるが、茜は里美にしつこく話しかけてくる。香港ははじめて、自分もイーキン・チェンのファンだという。香港に着いても里美を追いかけて、泊まるホテルを聞き出す。これも実は、のちのドラマの展開の伏線になっている。このあたりミステリの趣もある。どうもただの「追いかけ」だけのドラマではないらしい。

里美はかなりいいホテルに泊まる。部屋に入って意外なことをする。どこかに電話をかける。相手は何度も会っている香港の人間らしい。里美は中国語で話す。どうも彼女は、ただイーキン・チェンに会いにきただけではないらしい。この電話も伏線になっている。

ただのおばさんではない面を見せる茜。

里美は外出する。なんとホテルのロビーにまた茜がいる。まるでストーカーのよう。そして里美に、イーキン・チェンが急病になり、今夜のパーティが中止になったと教える。

なぜそのことを知ったのかと里美がいぶかると、事務所で聞いてきたという。

香港ははじめて。海外旅行もこれが二度目であまり旅慣れていないという茜がなぜ、イーキン・チェンの事務所の電話番号や場所を知っているのか。それに、そもそもなぜしつこく里美につきまとうのか。茜という女性が謎めいてくる。どうもただの近所のおばさんではないようだ。

それでも里美は、香港ははじめてという言葉を信じて茜を香港の町に案内する。夜店が並ぶ夜市のような通りを歩き、小さな店が何軒も入っているビルに行く。このあたり、香港観光の趣きがある。

ランファンセンターという商業ビルのなかに入ると、スターのファン向けのブロマイドやポスター、生写真を売っている店に行く。そこには香港のスターのものだけではなく、日本の木村拓哉や松たか子のものもある。この時代、日本と香港の距離が近くなっている。
※以下、中編に続く(7月17日公開)。

川本三郎(かわもと・さぶろう)

1944年、東京・代々木生まれ。東京大学法学部卒業後、朝日新聞記者を経て、映画や文芸、都市論などを中心とした評論活動に入る。主な著書に『大正幻影』(91年・サントリー学芸賞)、『荷風と東京「断腸亭日乗」私註』(97年・読売文学賞)、03年『林芙美子の昭和』(03年・毎日出版文化賞)、12年『白秋望景』(伊藤整文学賞)がある。その他、『マイ・バック・ページ ある60年代の物語』、近著に『映画の木洩れ日』(キネマ旬報社)がある。

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