1960 年代から 50 年以上にわたって次々と話題作を発表してきた脚本家の山田太一さん。様々な人間模様を描いてきた山田ドラマが視聴者に語り続けたのが「家族のかたち」でした。『それぞれの秋』は、従来の和気藹藹(あいあい)とした家族ではなく、家族の暗部に深く切り込んだ、当時としてはきわめて新鮮な家族観を提示したと川本三郎さんは言います。
それぞれの秋
後編
- 作品:
-
それぞれの秋
1973年9月〜12月(全15回)、TBS系 - 演出:
- 井下靖央ほか
- 音楽:
- 木下忠司
- 出演:
- 小林桂樹、小倉一郎、久我美子、林隆三、高沢順子、桃井かおり、火野正平、四方正美、海野まさみ、緑魔子ほか
生きることの「悲しみ」と「哀しみ」。
『それぞれの秋』は、これまでのホームドラマではありえなかったような意表を突く出来事から始まる。
小倉一郎演じる稔が、東横線の電車のなかで、なんと痴漢をする。当時の穏便なホームドラマのなかで、このドラマは開始早々、主人公が痴漢をする。意表を突いた。作り手たち(演出はTBSの井下靖央)の、これまでの予定調和的な生ぬるいドラマとは違うものをつくりたいと思いが伝わってくる。
このドラマ、毎回、小倉一郎演じる稔のナレーションで始まるのも新しい試みだった。それまでナレーションといえば第三者による客観的なものだったのに、ここでは稔という視点人物の一人称の語りになっている。そこでは、稔の家族それぞれへの思いが語られてゆく。小倉一郎がカメラに向かって、つまり視聴者に向かって語りかけるという手法も新鮮だった。
稔は、弾みで痴漢をしてしまったが、基本的には大人しい、優しい青年である。家族のことを思っている。とくに、兄として妹の陽子のことをいつも気にかけている。
優しすぎるところもあり、父親は「優しいとは甘いことだ」と叱ったりする。稔はおそらく人と競い合ったり、張り合ったりするのが苦手なのだろう。だから恋人(海野まさみ)を友人(火野正平)に取られたりする。山田太一は、強い人間より、こういう弱い人間にこそ共感している。それは山田太一の一貫した姿勢である。
山田太一は「断念するということ」というエッセイ(山田太一編『生きるかなしみ』ちくま文庫、95年)で書いている。
「『生きるかなしみ』とは特別のことをいうのではない。人が生きていること、それだけでどんな生にもかなしみがつきまとう。『悲しみ』『哀しみ』時によって色合いの差はあるけれど、生きているということは、かなしい。いじらしく哀しい時もいたましく悲しい時も、主調低音は『無力』である」
稔は、まさに「無力」であるからこそ、生きることの悲しさを知っている。
家族のなかの「それぞれの秘密」。
電車のなかでの痴漢という意表を突く出来事に続いて、さらに驚くことが起こる。稔が身体を触った女学生(桃井かおり)は不良少女だった。稔はたちまち捕らえられ、彼女たち不良グループの溜まり場である喫茶店に連れ込まれる。
そこでさらに驚くべきことが起こる。なんと不良グループのなかに妹の陽子がいる! しかも陽子は言われるままに兄の頬をひっぱたく。あの可愛い妹が! 稔は(そして視聴者も)衝撃を受ける。妹が、それまでとは別人のように見えてくる。
稔の痴漢行為・陽子の不良グループ入り。無論、二人ともそんなことは家族にいえない。平穏な家族のなかに思いもかけない秘密があった。しかし、考えてみればどんな家族であっても秘密があるのは、むしろ普通のことではないか。
父親は仕事の上での失敗を家族に話すことはまずない。子供は学校でいじめに遭っていることを親にはなかなか話さない(親は子供が自殺してはじめていじめの事実を知る)。
山田太一は家族のなかにそれぞれの秘密があることを普通だと考えている。幸福な家族にも秘密がある。そして、秘密があってもやはり幸福な家族であり続ける。
山田太一は松竹の助監督としてキャリアをスタートさせている。松竹は戦前、撮影所長を務めた(のち社長)城戸四郎の指揮のもと、小市民映画という新しいジャンルを作り上げた。関東大震災のあとの東京を中心に、ブルジョアでも労働者でもない、その中間に位置する小市民という階層が生まれた。多くは大きな企業に勤めるサラリーマン。小市民映画は彼らの家庭の哀歓を描く。
小津安二郎や成瀬巳喜男はこの小市民映画をよく作った。小津安二郎の戦前の作品『大学は出たけれど』(29年)には、婚約者(田中絹代)に嘘をつく青年(高田稔)が出てくる。青年は大学を卒業したものの不景気のために思うように就職が出来ない。それでも婚約者と田舎から出てきた母親(鈴木歌子)には、就職したと嘘をつく。そのために、毎朝、出社してゆくふりをしなければならない。
山田太一は松竹出身者として当然、この映画のことは知っていただろう。だから家族のなかに秘密があるのは不自然なことではないと考えていたと思う。
「疲れた」が口癖の威厳なき父親。
小林桂樹演じる父親は、かつての家長のような威厳はもうない。仕事から家に帰ってくると、「疲れた、疲れた」と言うのが口癖になっている。稔から見ると、父親には仕事以外、なんの趣味も楽しみごともないように見える。
この父親は戦中派である。戦時中、兵隊にとられた。そして戦後、会社員となり懸命に働いてきた。その結果、戸建てのマイホームを持つまでになった。日本の社会を豊かにした高度経済成長を支えてきた世代である。
それが七〇年代のいま疲れ切ってきている。上役によく思われようと、その女性関係の後始末を引き受け、その結果、女に付いている男に殴られ、五十万円という借金を背負い込む。家族のなかで父親の権威は失墜してしまう。
家のなかではそれなりに威張ったりするが、上役から電話がかかってくると、急にへつらいの口調になり、電話に向かってお辞儀をしたりする。それを見て娘の陽子が笑う。
この場面は、やはり小津安二郎の戦前の作品『生まれてはみたけれど』(32年)の、二人の子供たちが、父親の上司の家で十六ミリの映画を見て、そこに会社内で上司にへつらう父親が写っているのを知り、傷つく場面を思い出す。
『それぞれの秋』ではここで、思いがけない場面が続く。会社から帰ってビールを飲んでいた長兄の茂が、父親を笑った陽子にいきなりコップのビールをかける。普段、おどけたようにしていることが多い茂には珍しく真剣な顔をして。
セールスマンをしている茂は、同じ会社勤めをしている父親の苦労が分かっている。だから父親を笑った妹に怒った。
父親は、宮仕えの身として自分を抑えて働いているに違いない。だから家に帰ってきて「疲れた、疲れた」と言う。そんな身を娘に笑われたらたまらない。茂は、父親にかわって陽子に怒った。女の子にビールをかけるとは乱暴だが、それだけ社会人である茂の苦労が察せられる。『それぞれの秋』のなかでも強く印象に残る場面である。
「溝」に注視した新しい家族観。
ストレスがたまったのだろう、父親の体調が悪くなる。急に怒ったり、家族に乱暴を働いたりする。ときにそれまでの父親と人が変わったようになる。母は父の会社に呼ばれ、部下から時々父が会議でおかしな発言をすることを知らされる。
はじめは耳の異常かと思われたが、大きな病院で診てもらうと、脳腫瘍だと分かり、手術することになる。この入院中にも父はときおり発作を起こし、暴れたり、看護師にキスをしたりする。
もっともひどいのは、母に向かって罵詈雑言を浴びせること。積年の妻に対する不満が一気に爆発したように、母をののしり、お前とは離縁するとまで言い出す。母も子供たちも人格が変わったような父の姿に驚く。
手術は、成功する可能性はほとんどなかったが、半日に及ぶ大手術の結果、奇跡的に成功する。意識が正常になる。
母と子供たちは、手術前、父が異常な言動をしたことは父には言わないでおこうと決める。父は手術前の記憶がない。しかし、兵隊のとき衛生兵だった父は、脳腫瘍になった兵隊の狂態を見ていたので、自分も同じような状態になったと確信し、稔に本当のことを話せと迫る。
イラスト/オカヤイヅミ
そこでやむなく稔は、父の父らしからぬ言動があったことを話してしまう。父は、自分のしたことを知って愕然とする。いくら病気による発作だったとはいえ、子供たちの今に満足していないとか、母と離縁したいとか、家族を捨ててしまいたいとか、言ったという。父の心のどこかにあった気持であることは確かだろう。病気による発作の結果とはいえ、いくぶんかは本音だろう。長年、連れ添った夫婦のあいだにも、あるいは愛し合っている親子のあいだにも溝がある。山田太一はその事実を注視しようとする。ここでも、このドラマは新しい家族観を反映させている。
ただ、そうした溝は、家族内の誰とも同じようにあって当然なもので、だからといって溝が深くなって家族が壊れるということはない。
稔が、父の発作時の言動を話したあと、自分をはじめ、それぞれが自分のなかにある本音を語り始める。自分の弱さをさらけだす。
そのあと、家族は結局、人間は誰でも弱いものだと確認したようにまた、普段の日常を取り戻す。
いわば、父の病気という不幸な出来事が一家の絆を強めたことになる。一見、以前と同じ家族に戻ったように見えるが、父の病気をきっかけに、それぞれが家族は秘密があって当たり前なこと、家族のあいだにも溝があって当然なことが分かったことは、この家族は以前よりは成長したといっていいだろう。
窮屈さから逃れようとする女性たち。
この家族それぞれの告白のなかで興味深いのは娘の陽子のもの。
経済的には不自由のない家庭の子供として生まれ、三人きょうだいのなかの一人娘として親にも兄たちにも可愛がられて育ったのに、高校生になってからなぜ不良グループに入ったのか。
「こんどは私の番ね」と言って彼女は思いつめた表情でこんなことを打ち明ける。
「(毎日が)つまんない。大人しくしていていいことあるの」「前にあの(不良)グループと池袋にケンカしにいったことがあるの。よかったなあ、みんな仲間だって。ああいうカッカするようなことが何もないのよ」「このまま誰かのお嫁になって」「生ぬるくていらいらする」。
衣食足りた世代の贅沢な悩みかもしれない。親や先生の言うことを聞いて大人しく生きている優等生が、自由に生きているように見える不良に憧れているだけなのかもしれない。
しかし、家と学校の往復という生活に「生ぬるさ」を感じて、その決められた生活から少しはみ出したいという気持は真剣なものがあるだろう。
『それぞれの秋』が放映された一九七三年は、まだいまほど女性の社会進出は進んでいない。若い女性が、将来を考えるとき、自分のしたい仕事はなく、平凡な結婚しかないと考えてしまう。その窮屈さ、不満が、高校生の陽子のなかにあった。女性の将来の選択肢が結婚ぐらいしかないとしたら、その「生ぬるさ」にいら立ってしまうのは無理はない。
陽子のこのいら立ちは、一九八一年にTBS系で放映された連続ドラマ『想い出づくり。』の三人の若い女性(古手川祐子、森昌子、田中裕子)の、結婚という決められた人生への不満に受け継がれてゆく。
告白劇の最後は、母親の番になるが、大人である母親は、胸のなかをさらけ出してことを荒立てるようなことはしない。夫の発作中の言動にしても、それが夫のすべてではないと夫をかばうし、毎日の暮しに不満はあるかもしれないが、それ以上にこの家族といるのが幸せだと語る。稔は「お母さん、うまく逃げたな」と茶化すが、ことを大仰にしない大人の知恵だろう。
家族のなかの主人は、実は昼間は家にいない父親よりも、一日家にいる母親なのかもしれない。そして父親の不満や、息子たちの弱味、娘のいら立ちをなだめるのは母親になっている。母親が「いっしょ」の家族を支えている。
だが、この母親は、一日家にいて本当に満足なのだろうか。こんな立派な母親でも、心のどこかで、いまの自分とは違う人間になりたいと思うときがあるのではないか。
そこから生まれたのが、一九七七年にTBS系で放映された『岸辺のアルバム』。次回はこのドラマを見てゆこう。
※次回は6月14日公開予定。
川本三郎(かわもと・さぶろう)
1944年、東京・代々木生まれ。東京大学法学部卒業後、朝日新聞記者を経て、映画や文芸、都市論などを中心とした評論活動に入る。主な著書に『大正幻影』(91年・サントリー学芸賞)、『荷風と東京「断腸亭日乗」私註』(97年・読売文学賞)、03年『林芙美子の昭和』(03年・毎日出版文化賞)、『白秋望景』(伊藤整文学賞)がある。その他、『マイ・バック・ページ ある60年代の物語』『朝日のようにさわやかに』『銀幕の東京』など多数。