評論家の川本三郎さんによる、山田太一ドラマの魅力に迫る連載。今回は香港スターの「追いかけ」をしている女性たちのドラマ『香港明星迷』を取り上げます。これまでに扱ってきた山田太一ドラマと比べ異色の設定ですが、きらびやかな香港の町に映し出される女性たちの姿を、川本さんが深く、そして優しく切り込んでいきます。
香港明星迷
(ほんこんみょうじょうめい)
中編
- 作品:
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香港明星迷(ほんこんみょうじょうめい)
2002年9月(全1回)テレビ東京 - 脚本:
- 山田太一
- 演出:
- 松原信吾
- 音楽:
- 川崎真弘
- 出演:
- 薬師丸ひろ子、室井滋、山本未來、山崎努、香港明星、イーキン・チェン、堺雅人、岡田眞澄、徳井優ほか
謎の行動をする里美の真意とは。
翌日、里美は一人、フェリーに乗って香港島に行き、シティ・コープ・センターのなかのカフェで、昨日、ホテルの部屋から電話した香港の知人に会う。
どうやら里美の香港行きは、確かにイーキン・チェンのコンサートに行くためではあるが、それとは別にもうひとつの目的があるらしい。それが何かはまだこの段階では分からない。会社の仕事なら公然と出張でやって来れるだろうに、香港行きはあくまでもプライベートなものだから、会社の仕事とは関係ないようだ。里美は何をしようとしているのか。これがこれまでのと伏線と関わってくる。
山田太一は、ただの香港スターのファンの話だけにはしていない。働く女性の姿を描こうとしている。
意気投合する三人の無邪気さ。
香港の知人たちに会ったあと、里美は文武廟という、ビルのあいだに建つ廟に行き、そこで偶然、山本未來演じる圭子に会う。はじめは圭子は、里美の行動を探ろうとしているのではないかと疑う。それだけ里美には「秘密」があることになる。それは何か。ここでもミステリ仕立てになっている。
それでも、圭子が実は自分もイーキン・チェンだと打ち明けたから安心する。二人は同じファンとして意気投合する。そしてタクシーで、イーキン・チェンの家がある豪華マンションを見に行く。なんと、そこにまた茜が現れる。これで三人揃った。三人ともイーキン・チェンのファンだと分かって、打ち解ける。
『想い出づくり。』の古手川祐子、田中裕子、森昌子と同じ三人の女性たちの物語になる。
『想い出づくり。』の三人が二十代だったのに対し、こちらの三人は三十代。三十代になっても、本当の恋人ではなくスターという疑似恋人に夢中になっているのは、いささか恥ずかしい思いがある。〝いい年齢(とし)をしてミーハー〟が三人を結びつける。それまでクールだった山本未來が、イーキン・チェンのこととなると急に笑顔になるのが愉快。
茜の正体、そして驚きの告白。
イーキン・チェンのことで盛り上がった二人は、茜の泊まっているホテルに遊びに行く。
このホテルが、きちんとしたシティ・ホテルかと思いきや、香港のなかでも危ないとされている地区にある安ホテル。香港ははじめてという人間がこんなところに泊まるだろうか。里美は茜の正体に疑問を持つ。
ただのイーキン迷のおばさんのふりをしているだけではないか。本当は何者か。ここがドラマの核になる。
夜、里美はひとりで町を歩く。小さな屋台が並ぶマーケット(商場)を歩く。気がつくと、茜があとをつけている。やはり、ただ者ではない。里美は茜を自分のホテルに連れ込むと、なぜ自分のあとをつけたのか、厳しく問いただす。
茜はしぶしぶ打ち明ける。思いがけないことをいう。自分は探偵事務所のために働いていて、里美が以前、付き合っていた立村信次という中年男性と香港で会うのではないかと心配になった立村の奥さんから、里美の素行調査をするように頼まれたと白状する。こんなことを言ってしまうのは、探偵事務所で働く人間の、依頼主の名を明かさないという守秘義務違反になるのだが。なぜ茜は簡単に依頼主は立村の奥さんだと簡単に明かしてしまったのか。ここにもひとつ謎がある。
里美は茜の話を聞いて驚く。確かに立村とは以前、付き合っていた。男女の関係になった。しかし、それはもう六、七年前の話。いまではもう忘れてしまっている。それを立村の奥さんが今頃になって気にするだろうか。
かつての恋人と再会する里美。
茜の話に疑問を持ちながらも、茜から立村がいま香港にいると聞いて、やはり昔の恋人のことは気になる。
翌日、里美は町の小公園で立村と会うことになる。
立村はもう六十歳過ぎ。商事会社の現役を退き、いまは何もせず遊民のように毎日を無為に過ごしている。公園で会った立村は半ズボンに、シャツをはだけて着ている。隠居老人のようにも見えるし、悪くいえばホームレスのようにも見える。
演じているのは、山田太一ドラマには欠かせない名優、山崎努。落ちぶれた様子は、『早春スケッチブック』の病んだ無頼の写真家を思わせる。
現役時代は辣腕で知られた男が、いまはすっかり落ちぶれたように見える。さすがに、かつての愛人に見られたくない姿を見られてしまった立村は、ばつが悪そうに逃げ腰になる。
里美はそれでも、立村の実力を知っているので自分がこれからひそかに香港でしようとしている仕事について相談に乗ってもらおうとするが、立村はもうやる気を失っている。
そこで里美が「昔の女の話を聞けないの。こんな男が好きだったなんてがっかりさせないでよ」というのが面白い。結局は、がっかりした里美は立村に話をするのをあきらめ、別れてゆく。
このエピソードで、里美が何度も香港に来ているのは、ただイーキン・チェンに会いたいだけではないことが分かってくる。何か自分の力で新しい事業をしようとしているらしい。シティコープ・センターのカフェでひそかに香港の人間たちに会っていたのもそのためだったようだ。
イラスト/オカヤイヅミ
愛しのスターとの対面に舞い上がる。
イーキン・チェンのバースデー・パーティは彼の急病のため中止になる。里美、圭子、茜の三人はレストランで残念会を開く。そこで驚くことが起こる。
なんとイーキン・チェン(本人が特別出演している)が三人にお詫びの挨拶にやってくる。日本のファンを大事にするこの大スターは、病院を抜け出し、パジャマ姿のまま三人に会いに来たという。
三人は当然、舞い上がる。このとき里美だけではなく、圭子も中国語を話す。二人ともイーキン・チェンのファンになってから中国語の勉強をしたのだろう。二十一世紀になって日本で韓流ドラマや東方神起などの韓国のスターや歌手たちのファンになった女性たちが、韓国語の勉強をするようになったのに似ている。私立探偵の仕事のカモフラージュのため、にわかイーキン・チェンのファンになった茜だけは当然、中国語は話せない。それまで、ただのイーキン・チェン追いかけのおばさんを演じていた室井滋が正体を明かしてしまってからは、厳しい顔つきになってゆくのが面白い。
※以下、後編に続く(7月24日公開)。
川本三郎(かわもと・さぶろう)
1944年、東京・代々木生まれ。東京大学法学部卒業後、朝日新聞記者を経て、映画や文芸、都市論などを中心とした評論活動に入る。主な著書に『大正幻影』(91年・サントリー学芸賞)、『荷風と東京「断腸亭日乗」私註』(97年・読売文学賞)、03年『林芙美子の昭和』(03年・毎日出版文化賞)、12年『白秋望景』(伊藤整文学賞)がある。その他、『マイ・バック・ページ ある60年代の物語』、近著に『映画の木洩れ日』(キネマ旬報社)がある。