イラスト/瀬藤優

評論家の川本三郎さんによる、山田太一ドラマの魅力に迫る連載。『それぞれの秋』に続いて川本さんが論じるのは、山田太一さんの代表作で、日本のテレビドラマの金字塔とも言える『岸辺のアルバム』です。妻(母)の不倫、娘の中絶など、当時タブーとされた題材に切り込み、家族の崩壊と再生を描き切ったこの名作ドラマの革新性や、令和の現在でもまったく古びない普遍性について、3回に分けて執筆していただきます。

3

岸辺のアルバム
前編

作品:
岸辺のアルバム
1977年6月〜9月(全15回)、TBS系
原作・脚本:
山田太一
演出:
鴨下信一、佐藤虔一、片島謙二ほか
音楽:
小川よしあき
主題歌:
「ウィル・ユー・ダンス」(ジャニス・イアン)
出演:
八千草薫、杉浦直樹、中田喜子、国広富之、竹脇無我、津川雅彦、風吹ジュン、新井康弘、沢田雅美、村野武範、原知佐子、山本麟一ほか

時代の転換期に登場したドラマ。

一九七七年にTBS系のテレビ局で放映された『岸辺のアルバム』は、一九七三年の『それぞれの秋』の続篇といってもいい核家族を描いたドラマである。『それぞれの秋』と同じように、これまでの「みんな一緒」の家族から「それぞれ」の家族へと家族のかたちが変わってきている時代を反映している。

主婦の不倫、娘の妊娠中絶など、これまでのホームドラマでは考えられない問題を取り上げ、辛口ホームドラマと大評判になった。

一九六〇年代が安保闘争や全共闘運動に代表される政治の季節だったとすれば、七〇年代は経済の時代に変わったといっていい。

日本経済の豊かさをあらわすように円高が進み、1ドル250円、さらに240円となった。円高は輸出企業には打撃になったが、他方では若い女性が、円高の恩恵で海外旅行を楽しむようにもなった。大学卒の初任給が十万円の大台を越えて話題になったのもこの年である。

前年の七六年には、戦後生まれが総人口の半数を超えた。この年の上半期の芥川賞は、戦後生まれ、二十四歳の村上龍の『限りなく透明に近いブルー』が受賞し、ベストセラーになった。

戦後的なるものが徐々に消えてゆき、新しい時代が始まっている。『岸辺のアルバム』は、そんな変換期に登場した。

1977(昭和52)年6月24日、放送開始時のテレビ番組表(クリックすると拡大します)。写真提供/毎日新聞社

マイホームが最大の夢だった父親。

東京の郊外(狛江市)、多摩川べりの一戸建て住宅に住む田島家の物語である。両親と二人の子供の核家族。この時代はもう普通になっている。

父親の謙作(杉浦直樹)は、大手の商社の繊維部門の部長。年齢は明示されていないが四十代前半と思われる。母親の則子(八千草薫)は専業主婦。三十八歳になる。娘の律子(中田喜子)は大学生。息子の繁(国広富之)は高校三年生。大学受験を控えている。

豊かな中産階級の平均的家庭といっていいだろう。結婚当初はアパート暮らしだったが、十年ほど前にようやく一戸建てを持つことが出来た。山田太一の脚本は、もともとは一九七六年から七七年にかけて「東京新聞」に連載された小説をもとにしているが、その原作小説では、父親の謙作はこんなふうに「わが家」を自慢している、と息子の繁がいう。

「父は、この家が東京都内にあること、見晴らしのいいこと(二階からの話だ。階下は土手しか見えない)、子供に一部屋ずつあること、新宿へ急行なら三十分かからないことなどを誇りにしていた」

父は、三十代で建売りのこの家を手に入れた。無論、ローンはあるだろうが、三十代で一戸建てを手にしたのは、日本の社会が豊かな中産階級の時代になっていることをあらわしている。

「新宿へ急行で三十分かからない」ことも父の自慢になっている。最寄りの駅は小田急線の和泉多摩川駅。私鉄沿線に郊外住宅地が開けていっている時代である。

中産階級が戸建ての自分の家を持つ。いわゆるマイホーム。高度成長期の新しい現象がある。戦前の東京では庶民は借家住まいが普通だった。戦後、高度成長期になって、中産階級がふえてくると、マイホームを持つことが夢になった。

主人公家族が暮すのは小田急線泉多摩川駅近く(撮影/富本真之、以下同)。

家への特別な感情を表す興味深い場面。

田島謙作は、そうしたマイホームを夢見た中産階級である。彼にとっては、家族も大事だが、ようやく手に入れた家そのものも大事なものになっている。

ドラマはその点で、興味深い場面から始まる。多摩川の河川敷でラジコンの飛行機を飛ばしていた二人の大人が、操作を誤って、飛行機を田島家の二階の部屋に飛び込ませてしまう。窓のガラスが割れる。

謙作はこれに烈火のごとく怒る。妻の則子も加害者の二人にきつく抗議する。無論、ガラス窓を破った二人のほうが悪いのだが、それにしても、謙作と則子の怒り方は尋常ではない。この怒りから、彼らがいかにこのマイホームを大事に思っているかがうかがえる。単にガラスが壊されたという以上に、自分たちの暮らしの支えになっているマイホームが傷つけられたという思いである。

だから、最後に、この家が多摩川堤防の決壊によって濁流に流された時、大きな衝撃を受けることになる。

イラスト/オカヤイヅミ

『それぞれの秋』の小林桂樹演じる父親は若い時に兵隊に取られた戦中派だが、『岸辺のアルバム』の杉浦直樹はその下の世代で、戦争には行っていない。『それぞれの秋』に比べると四年後のこのドラマは戦後的なるものの影が薄れている。

それでも、原作によれば、謙作の家族は戦後、樺太からの引揚者であり、戦後的なるものをまだ引きずっている。商社マンの謙作は若い部下(村野武範)が、武器を取扱おうとすると、重役が子供を戦争で失っていることを思い、武器に手を染めるのをためらう。世代の差が微妙にあらわれている。

孤立する母親の苦悩をクローズアップ。

ドラマにもよく出てくる鉄橋の風景。

父親は外に出ていてほとんど一日、家にいない。商社の仕事は忙しい。毎晩、帰りは遅いし、仕事の付合いで飲むのだろう、毎日のように酔って帰ってくる。「疲れた、疲れた」が口癖になっている。日曜日にも出張が入ったりする。仕事優先で家のことにかまっている暇はない。典型的な仕事人間で、夫婦のあいだにも会話がなくなっている。

母親は専業主婦である。令和の現在では女性の社会進出が進み、働く主婦が増え、専業主婦のほうが珍しくなっているが、一九七〇年代はまだ専業主婦のほうが多数派。

夫は仕事が忙しく家にいる時間は少ない。娘も女子大生で、翻訳研究部という部活で忙しいらしく、毎日、帰りは遅い。もう母親とは違う世界を持ってきている。

息子は高校生だが、やはり親離れの年齢になってきている。娘も息子もそれぞれ個室が与えられ、自分の世界に引きこもる。

小さい頃は母親になついていた子供たちが次第に親離れしていっている。一方、夫は仕事、仕事で家のことをかえりみない。

母親ははじめて、家のなかにいて孤独を感じる。豊かな社会になったからこその「専業主婦の孤独」である。貧しい時代だったら、母親も働いたりしていたし、大家族のなかで自分の時間もなかった。「孤独」を感じる余裕がなかった。豊かな社会になってはじめて「専業主婦の孤独」という新しい問題が浮かびあがってきた。山田太一は、時代の変化、とりわけ家族の変化に敏感である。

専業主婦は、外の社会とのつながり薄い。家しか世界を知らない。則子はある時、息子の繁に「お母さん、喫茶店に行ったことある?」と聞かれ、「もう何年も行っていない」と答えている。家と、買い物に出かける近所の商店街くらいしか世界がない。子供たちの手が離れた時、これでは、母親は、孤独を感じざるを得ないだろう。
※以下、中編に続く(6月21日公開)。

川本三郎(かわもと・さぶろう)

1944年、東京・代々木生まれ。東京大学法学部卒業後、朝日新聞記者を経て、映画や文芸、都市論などを中心とした評論活動に入る。主な著書に『大正幻影』(91年・サントリー学芸賞)、『荷風と東京「断腸亭日乗」私註』(97年・読売文学賞)、03年『林芙美子の昭和』(03年・毎日出版文化賞)、『白秋望景』(伊藤整文学賞)がある。その他、『マイ・バック・ページ ある60年代の物語』『朝日のようにさわやかに』『銀幕の東京』など多数。

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