イラスト/瀬藤優

追悼 山田太一さん

不幸な人間たちの「沈黙」にこそ
耳を傾けようとし続けた山田太一さん。


山田太一さんが亡くなった。

山田太一論を書き綴っていたところだけに悲しい。全部書き上げてから山田さんに読んでいただきたかった。

ただ、連載をはじめたこの春に、お嬢さんが拙文を山田さんに読んできかせた、それを山田さんはうなずきながら聞いていたという。それがかろうじての救いになっている。

以前、山田さんの文庫『沿線地図』(角川文庫、一九八三年)に解説を書いたことがある。はじめての山田論で緊張した。山田さんはそれに丁寧に礼状を下さったのが忘れられない。山田さんはいつもとても丁寧な方で、拙著をお送りすると、よく、あの特徴のある大きな字でお手紙を下さった。恐縮した。


尊敬する方だったから、むやみにお会いすべきではない、と控えていた。きちんとお会いしたのは、月刊誌『東京人』二〇一一年八月号の鉄道特集での対談のときだった。山田ドラマには電車がよく出てくることから、電車をめぐる対談だった。

『東京人』2011年8月号「対談 大人になっても鉄道少年。」の取材時の1枚。後ろの電車は、東京世田谷区の宮坂区民センター前にある東急世田谷線の保存車両。撮影・写真提供/丸田祥三

『岸辺のアルバム』の国広富之演じる高校生の男の子が「ぼくは小田急電車が多摩川の鉄橋を渡るときの音が好きだ」というのが、いかにも東京の新しく開けてゆく郊外住宅地(アメリカでいうサバービア)に住む子どもらしいという話をしたら、山田さんが「ぼく自身が電車が鉄橋を渡る音が好きで、ぼくの気持ちの代弁です」といわれたのを憶えている。

山田さんのドラマは、七〇年代以降、東京の西の郊外に開けてゆく中産階級の家族を描くことが多く、それを「サバービア文学」と評したものだった。


山田さんはお会いすると、想像以上に、穏やかで優しい方だった。表情はいつもにこやかだし、話し方も静かで、居丈高なところがまるでない。それでいて自分の核の部分は、大事にされている芯の強さが目の力にあらわれていて、それは時に怖いくらいだった。


山田太一さんは多作で、実に多くの仕事をされてきた。しかも、大半はオリジナルで、また、駄作というものがない。いま、山田太一論を書き綴っていても、次にどの作品を選ぶか、いい作品が多すぎて迷ってしまうほど。

駄作がないということは大変なことで、これは山田さんがいかに一作一作を大事に書いてこられたのかの証しである。私見では、駄作のないもう一人の秀れた作家は藤沢周平。

山田さんの大半のドラマは、市井に生きる普通の人々を描いている。これは山田さんの大きな特色だろう。


六〇年代後半以降、日本映画は急速に客足が落ち斜陽化していった。そのためにより刺激の強い作品をと、暴力やセックスを過剰に描くものが多くなった。主人公はやくざや破滅型のアウトサイダーになった。

その結果、映画の観客は限られた層になり、ますます観客層を減らしていった。過激であることがとされ、普通の客はますます映画館から離れた。

そんな時期に、山田さんは映画界を離れ、テレビの世界へと移った。これがおそらく山田さんの資質に合ったのだろう。

いうまでもなく、テレビは映画と違って基本的に家族で見られる。茶の間で見られる。そのために、映画がアウトサイダーのものになっていった時に、テレビはインサイダー、普通の市民、いわゆる堅気の人間を視聴者にした。映画が見捨てつつあった普通の人々を大事にした。


もともと、山田太一さんは、松竹映画の出身である。松竹は、昭和のはじめ、新しく登場した中産階級である小市民を描く、いわゆる小市民映画を作りはじめた映画会社である。小津安二郎や木下惠介も、あるいはのちに東宝に移るが成瀬巳喜男も、この小市民映画から出てきた。

山田さんは松竹映画出身として、この流れを自然に受け継いだ。そして六〇年代後半以降、映画の世界がアウトサイダーの側へと傾いてゆくなか、テレビという茶の間のメディアに移り、新しい現代の小市民ドラマを手がけるようになった。

山田作品には、殺人や暴力はほとんど描かれない。過剰なセックスもまずない。無論、それは茶の間で見られるテレビだからという側面もあるが、それ以上に、山田さんのなかに、普通の人間を描きたいという強い思いがあったからだろう。


普通の人間を描く、これは実は決して簡単なことではない。むしろアウトサイダーの人間の非日常の世界のほうが、ドラマにはなりやすい。

普通の人間を描けば、どうしてもありきたりになってしまう。『早春スケッチブック』の山﨑努演じる無頼のカメラマンが、河原崎長一郎演じる会社員の一家にぶつける言葉、「お前たちは骨の髄までありきたりだ」になってしまう。

山田ドラマの普通は決してありきたりにならない。山田さんは、普通の人間の普通ではない部分に目を向ける。

山田さんは、普通の家族を主人公にしながら「見る人の神経を逆撫でするかのようなもの」を書く決意をしたという。(『その時あの時の今 私記テレビドラマ50年』河出文庫、2015年)。


山田さんのホームドラマのいちばんの特色は、家族のイメージを変えたことだろう。これまでのホームドラマの、なんでも話し合う和気藹藹とした家族ではなく、家族のなかにも秘密や内面があるというそれぞれの家族を鮮明に打ち出したことである。

その「それぞれ」は、郊外住宅地に建てられた中産階級の一軒家(マイホーム)のなかの子どもたちに与えられた「個室」によく象徴される。

『岸辺のアルバム』にせよ『早春スケッチブック』にせよ思春期の子どもたちは「個室」を与えられ、そこに親とは別の、また家族とは別の自分だけのプライベートな世界を持つようになる。


七〇年代以降、大家族から核家族へと移ってゆく時代の流れも大きい。そして社会のさまざまな矛盾がこの核家族ににぶつかってくる。

「共同体」「会社」「学校」という制度が時代の変化で機能してゆかなくなった時、現実社会の荒波がに社会の最小単位である家庭を襲ってくる。


親子の断絶、夫婦の会話不足、離婚、あるいは妻の自立、親の扶養……家庭はもはや暖かい「ホーム」ではなくなってきている。父権の喪失があり、子どもたちの反抗がある。古い家族の型は壊れたが、新しい家族のイメージはまだ生まれてこない。

親も子も、そんな時代にあって「ホーム」を守るために悪戦苦闘するしかない。『小さな駅で降りる』で山﨑努演じる町のスーパーの社長がいうように「最後に頼りになるのは会社じゃない、家庭だ」。

どんなに家庭が揺らいでも、普通の人間の最後の寄りどころはやはり家族でしかない。それをどうやって支え、守ってゆくか。山田ドラマの核心はそこにある。

普通の人間を描きながら、普通ではない出来事が次々に起こる。それを乗り越えてゆくことで家族は成長し、強くなる。

子どもの反抗、妻の自立、浮気、あるいは老人問題……社会の問題が次々に家庭を襲う。だから山田太一のホームドラマは、実は社会派のドラマでもある。


山田さんは物事を黒白はっきり分けようとしない。人の暮しは、黒と白のあいだのグレーゾーンのなかにある。正義を振り回したり、強い自我を主張したり、相手をやりこめようとする人間は、まず山田ドラマには出てこない。

自分の弱さを充分に知っている。世の中はきれいごとだけではすまないことも知っている。『早春スケッチブック』の河原崎長一郎演じる会社員が、小さなミスをして部下の前で上司に叱責される姿など中間管理職の悲しさ、つらさがよく出ている。


『ふぞろいの林檎たち』のおよそエリートとは遠い若者たち、『輝きたいの』の女子プロレスに青春の屈託をぶつけてゆく女の子たち、とりわけ、畠山明子演じる、いじめっ子をやっつけたいという思いでプロレスをはじめたもののいっこうに強くならない田舎出の女の子。あるいは時代劇『獅子の時代』の戊辰戦争に敗れ、幕府瓦解後、辛酸をなめる会津藩士。

挙げてゆけば切りがないが、山田太一ドラマには、弱い者、敗れゆく者、片隅に置かれた者が描かれてゆく。


山田さんはあるエッセイで、チェーホフのこんな言葉を引用している。

「人生において恐ろしいことは、すべて舞台裏のどこかで展開されているのです。一切は静かで、平穏です」「幸福な人間が安心した気持ちでいられるのは、ただ不幸な人々が黙ってその重荷を担ってくれているからであり、この沈黙なしには、幸福はあり得ないからにすぎないのです」

山田さんは、この不幸な人間たちの「沈黙」にこそ耳を傾けようとし続けたのではないだろうか。


山田さんは約五十年にわたって仕事をし続けた。しかも繰り返すが駄作がない。こんな秀れた作家はそうはいない。

いま世代によって思い出す山田ドラマはさまざまだろう。『男たちの旅路』をあげる人がいれば、『岸辺のアルバム』をあげる人も、あるいは『思い出づくり』や『ふぞろいの林檎たち』をあげる人もいよう。まさにファンも「それぞれ」である。


2023年12月 川本三郎

写真提供/共同通信社

山田太一(やまだ・たいち)

1934年、東京・浅草生まれ。54年、早稲田大学教育学部に入学、同級の寺山修司と親交を結ぶ。58年、松竹大船撮影所・演出部に入社。助監督として木下惠介監督に師事。65年、松竹を退社し、シナリオライターとして独立する。手掛けた脚本作に、テレビドラマ『男たちの旅路』(76年)、『岸辺のアルバム』(77年)、『早春スケッチブック』(83年)、『ふぞろいの林檎たち』(83年)、映画『この子を残して』(木下惠介との共同脚本・83年)、『少年時代』(90年)など多数。2023年11月29日、老衰のため亡くなる。享年89。

川本三郎(かわもと・さぶろう)

1944年、東京・代々木生まれ。東京大学法学部卒業後、朝日新聞記者を経て、映画や文芸、都市論などを中心とした評論活動に入る。主な著書に『大正幻影』(91年・サントリー学芸賞)、『荷風と東京「断腸亭日乗」私註』(97年・読売文学賞)、03年『林芙美子の昭和』(03年・毎日出版文化賞)、『白秋望景』(伊藤整文学賞)がある。その他、『マイ・バック・ページ ある60年代の物語』、近著に『映画の木洩れ日』(キネマ旬報社)がある。

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