評論家の川本三郎さんによる、山田太一ドラマの魅力に迫る連載。今回は、サザンオールズターズの主題歌「いとしのエリー」で記憶している人も多いと思いますが、パート4まで制作されるほどの大人気シリーズとなった『ふぞろいの林檎たち』です。時は1980年代。バブル期直前の若者たちの青春群像を、川本さんはどう捉えていたのでしょうか。
ふぞろいの林檎たち
前編
- 作品:
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ふぞろいの林檎たち
1983年5月〜7月(全10話) TBS - 脚本:
- 山田太一
- 演出:
- 鴨下信一、井上靖央ほか
- 主題歌:
- 「いとしのエリー」(サザンオールズターズ)
- 出演:
- 中井貴一、時任三郎、柳沢慎吾、手塚理美、石原真理子、中島唱子、高橋ひとみ、国広富之、根岸季衣、佐々木すみ江、小林薫、吉行和子ほか
男女8人の若者たちを描く群像ドラマ。
『ふぞろいの林檎たち』は一九八三年にTBSで放映され(全10回)、好評だったため一九八五年にパート2(全13回)が作られた。
その後、さらに一九九一年にパート3(全11回)が、一九九七年にパート4(全13回)が作られた。十四年も続いた人気番組である。
男女八人の若者たちを主人公にした群像劇で、ここでは主として、若者たちの学生時代を描くパート1に絞る。
男女八人とは、大学生の三人の男性、中井貴一、時任(ときとう)三郎、柳沢慎吾、女性は看護学校に通う石原真理子(現、真理)、手塚理美、大学生の中島唱子(しょうこ)。これにエリート大学を出たもののコースをはずれてしまった国広富之とその恋人の高橋ひとみ。
当時、知られていた俳優は中井貴一、国広富之(山田太一の一九七七年のドラマ『岸辺のアルバム』に出演した)、手塚理美くらい。時任三郎、柳沢慎吾、石原真理子はまだ新人で知名度は低かった。
イラスト/オカヤイヅミ
中島唱子が選ばれた真の理由。
このドラマで強い印象を残す中島唱子はオーディションで選ばれた。プロデューサーの大山勝美と山田太一の対談(「週刊現代」二〇一二年五月一九日号)で二人はこんなことを語っている。
三人目の女性の役は「自分の容貌に不自由を感じている人」という条件で募集した。多くの応募があったなかから中島唱子が選ばれた。
山田 中島さんはいまより太っていましたけど、ものおじしないし、愛嬌があって、品があった。彼女しかいない、と即決でしたね。
大山 ところが、合格したら「ブスオーディション1位」って新聞に書かれたもんだから、中島さんのお母さんが、「美人に生まなくてごめんね」と泣き出してしまった。彼女もショックだったらしくて、降りると言う。だからボクがお母さんに手紙を書いた。「そういう人たちがいかに素晴らしいかを描くドラマです」と説明して、やっと納得してもらったんですよ。
いい話だ。出演の経緯にもドラマがある。実際、このドラマの中島唱子は素晴らしい。素人がプロを食ってしまっているところがある。
社会の周縁の若者たちに焦点を当てる。
『ふぞろいの林檎たち』はどちらかといえば社会の隅のほうに置かれている若者たちに焦点を当てたのが特色のドラマである。山田太一によれば「エリートではなく、落ちこぼれの規格外品に光を当てるようなドラマをやろう、と大山さんと話していて、四流大学に通う大学生の群像劇にすることまでは決まっていた」。
社会の周縁の人間に着目するのは山田太一らしい。タイトルをどうするか、話し合いの時、イギリスに留学したことのあるスタッフが「向こうで売られている果物はみんなバラバラふぞろいだ」と発言した。そこから「ふぞろい」という言葉がタイトルに選ばれた。「ふぞろい」には、日本の社会では規格外品かもしれないが、個性的である、という意味がこめられていよう。
身もふたもない言い方になるが、人間の社会は不平等に出来ている。どんなに「法の下の平等」が成されている民主社会でも人間が暮す限り不平等、格差がある。
能力、学力、容姿、家庭環境……いたるところに不平等があり、格差が生まれる。悲しいことに厳然たる事実である。だから人は、「分相応」の生き方をしてゆく。
『ふぞろいの林檎たち』が放映された一九八三年は、そのあとに来るバブル経済期(一九八六年から九〇年頃まで)の前段階として日本の社会は豊かになっていた。
ディズニーランドの開園はこの年だし、「軽薄短小」という語にあらわされる新しい、軽く、豊かな社会が生まれつつあった。
それでも笑いの形ではあったが、金持ちを金(マルキン)、貧乏をビ(マルビ)という差別化が行われ、豊かさのなかに格差が見え隠れしはじめた。
大学の進学率は30%を越え、大学の数も増えた。その結果、大学間の格差が広がり、三流どころか「四流大学」まで生まれた。
四流大学の若者たちの心情。
『ふぞろいの林檎たち』の三人の若者、中井貴一演じる仲手川良雄、時任三郎の岩田健一、そして柳沢慎吾の西寺実は、国際工業大学(架空)という「四流大学」の学生。四年生。学校コンプレックスがあり、「学校どこですか」と聞かれるのがつらい。
ただ、大学に進学しているのだから家は決して貧しくはない。良雄の家は本郷の酒屋。父親はすでになく、母(佐々木すみ江)と兄夫婦(小林薫、根岸季衣)が店を切りまわしている。
健一は京都の出身。父親(北村和夫)は校長だった。兄と妹は優秀で一流の学校に行っているため一人だけ厄介者扱いされていた。そのため実家を離れ、東京の大学に入った。アパートで一人暮し。夜はガードマンのアルバイトをしている。
実の家は町のラーメン屋。父(石井均)と母(吉行和子)が切りまわしている。ただ、店はあまり繁昌していない。実は一人っ子だから甘やかされている。
三人とも中流家庭の子どもである。経済的には困っていない。ただ、いつも自分たちは、「四流大学」の学生だという劣等感を抱いている。一人暮しの健一にはたくましいところがあって、人間的には「一流大学」の学生には負けないという気概がある。
それに対し、実は甘やかされて育ったため、どこかひ弱なところがあり、明るく調子よく振る舞っているようでいて劣等感は強い。当時、いわれはじめた、大人になりたくない若者の現象(ピーター・パン・シンドローム)の一人といっていいだろう。
良雄は真面目で優しい。受験勉強はよくしたのに「四流大学」にしか入れなかったので、自分に自信がない。『それぞれの秋』(73年)の小倉一郎や『早春スケッチブック』(83年)の鶴見辰吾とタイプが似ている。大人しい優等生。
※以下、中編に続く(4月10日公開)。
川本三郎(かわもと・さぶろう)
1944年、東京・代々木生まれ。東京大学法学部卒業後、朝日新聞記者を経て、映画や文芸、都市論などを中心とした評論活動に入る。主な著書に『大正幻影』(91年・サントリー学芸賞)、『荷風と東京「断腸亭日乗」私註』(97年・読売文学賞)、03年『林芙美子の昭和』(03年・毎日出版文化賞)、12年『白秋望景』(伊藤整文学賞)がある。その他、『マイ・バック・ページ ある60年代の物語』、近著に『映画の木洩れ日』(キネマ旬報社)がある。