評論家の川本三郎さんによる、山田太一ドラマの魅力に迫る連載。前回に引き続き、中高年の男女の恋を描く一連の作品の中から、八千草薫主演の『いちばん綺麗なとき』を取り上げます。抗うことのできなかった戦争の悲劇と、それでも失われることのなかった「若くてきれいだった頃」の尊さをうたいあげたこのドラマを、茨木のり子の感動的な詩を引用しながら解説していただきました。
いちばん綺麗なとき
後編
- 作品:
-
いちばん綺麗なとき
1999年1月(全1回)NHK - 脚本:
- 山田太一
- 演出:
- 伊豫田静弘
- 音楽:
- 福井峻
- 出演:
- 八千草薫、加藤治子、夏八木勲、多田木亮佑、中嶋ゆかり、安福美奈、三浦康徳、松原実智子、服部美和、渡辺幸生、小澤寛、池田博、エレガント浜田、内藤諭ほか
茨木のり子の詩から浮かび上がるもの。
このドラマのタイトル、『いちばん綺麗なとき』とは、女性たちがいちばんきれいだった十代のとき、日本では戦争があった、という悲しみがこめられている。
いうまでもなくこの言葉は、大正十五年(一九二六)生まれの詩人、茨木のり子の、よく知られた詩『わたしが一番きれいだったとき』から取られている。少し長いが最初の三連を引用する。
わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした
わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはお洒落のきっかけを落してしまった
わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなかった
きれいな眼差しだけを残して皆発っていった
この茨木のり子の詩を、舞鶴で撮られた武田の妻の美しい十八歳の時の写真に重ねたくなる。戦争の時代を生きた世代の悲しみが語られている。
連れ合いへの軽い嫉妬。
写真館を出たあと謡子と武田は静かに降り続く小雨のなか、舞鶴の街を歩く。かつて引揚船が停泊した桟橋には雨のなかいまはひっそりとして人の姿は見えない。二人は黙って閑散とした海を見つめる。
レンガの建物が並ぶ旧軍港跡を歩く。そこで武田がはじめて口を開く。「なんだかいちばんいいところをご主人に取られた感じだなあ」。謡子もいう。「いっしょにいたのが私ではなく奥さんだったなんて」。
二人とも、いまは亡い二人が舞鶴に行き、貴い写真を見つけてよかったと思いながらも、いちばん記憶に残る日を共に過ごした相手が自分ではなかったことが、どこか口惜しい。
名古屋に帰る列車のなかで二人はそれぞれの思いに沈んで、もう言葉はない。
イラスト/オカヤイヅミ
幸福に浸ろうとする謡子と武田。
その後、武田はまた謡子が働く店にやって来る。武田の心のなかで、高齢になっても美しい謡子への思いが強くなっていることが見てとれる。謡子のほうも、夫の秘密を知ってから、同じように連れ合いに秘密から遠ざけられた、いわば被害者どうしとして、武田に親近感を抱くようになってゆく。
ある時、二人は夕食を謡子の家ですることになる。武田はデパートでワインや惣菜、チーズを買う。武田には、謡子の十代の頃の写真を見せてもらいたいという気持ちがある。そして、謡子の主人が自分の妻にいったように「こんなにもきれいな娘さんだったのか」といってみたい。
二人はもう死んでいる。謡子は舞鶴で「あの二人にこんな一日があってよかった」といった。嫉妬はもうない。むしろ羨ましく思っている。そして自分も武田と「こんな一日」を送りたいと思うようになっている。いわば亡くなった二人の一日の幸福のなかに自分たちも遅れて加わりたい。
二人は夕食の買い物をすませ謡子の家へ戻る。暗がりのなかではじめて抱き合う。
義姉との激しい諍い。
そのとき、謡子は隣の部屋で物音がするのに気づく。襖を開けると、なんと義姉がいた。ひそかに二人の様子をうかがっていた。
驚いた謡子と義姉とのあいだに凄まじい言い争いが始まる。義姉が「いい年齢をして男をくわえこんで、嫌らしい」となじると、謡子も負けていない。結婚前、茂に出した何通もの手紙をあなたは捨てた。昔からそうだった。人の生活に割り込んでくる。
そして大人しい謡子にしては珍しく、それまでのウップンを晴らすように荒い言葉をぶつける。「あなたには他の人生はないんですか」。戦争の時代に娘時代を送り、戦後、弟を親がわりで育て、結婚できなかった悲しい世代の女性にいうべきことではない。この義姉もまた、「わたしが一番きれいだったとき」に戦争があった不幸な世代である。謡子に「他の人生はないんですか」といちばん弱いところを突かれて義姉は反論出来ず、畳に額を押しつけて泣き崩れる。大人しそうに見える謡子にこういう残酷なことをいわせる。山田太一は決して安易なドラマを作ろうとしているのではないことがわかる。
さまざまな女の人生。
後日、謡子が夫の墓参りに行くと、そこに義姉が来ていて、謡子の姿を見ると、「見せたいものがある」といって墓地のなかを歩き出す。そして、ある墓の前に来ると意外なことを打ち明ける。
「わたし、この人といまでいう不倫をずっとしていたの。わたしにも少しだけ女の人生があったの。仕方がないのよ。わたしたちのころ、いい男いっぱい戦争で死んだから。いい女いっぱいあまっちゃって」
その義姉の思いつめた言葉を、謡子は微笑みを浮かべながら、受け入れる。あの二人に舞鶴で二人だけのいい一日があったように、一人暮しを続けていた義姉にも女の人生があったことを知って、よかったと謡子は素直に義姉を祝福している。
世間の倫理観でいえば、不倫は悪いことかもしれない。しかし、山田太一は人を決して黒か白かで裁かない。人は、いつも黒と白の中間の灰色のなかで生きている。そして、その灰色のなかにも幸せがあると、考えている。
一番きれいで、そして長生きへの祈り。
義姉の告白と、それを聞く謡子の優しい笑顔には、茨木のり子の歌『わたしが一番きれいだったとき』の最後の二連を重ねたくなる。
わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽう寂しかった
だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのようにね
(「フランスのルオー爺さん」はいうまでもなく、画家のジョルジュ・ルオー<1871~1958>のこと)。
最後、謡子と義姉は武田に誘われて近くの小さな山へ登りに行く。武田が二人を和解させようと誘ったのだろう。山の上からは遠く町が見え、海が見える。三人は笑顔を見せる。
その幸せな終わりの場面に重なるように、若い頃の謡子と義姉の(つまりは八千草薫と加藤治子の〝いちばんきれいだったころ〟の)写真が紹介される。
思わず二人が「長生き」できるようにと祈らずにはいられない。
※次回は『遠まわりの雨』(10月9日公開)を予定。
川本三郎(かわもと・さぶろう)
1944年、東京・代々木生まれ。東京大学法学部卒業後、朝日新聞記者を経て、映画や文芸、都市論などを中心とした評論活動に入る。主な著書に『大正幻影』(91年・サントリー学芸賞)、『荷風と東京「断腸亭日乗」私註』(97年・読売文学賞)、03年『林芙美子の昭和』(03年・毎日出版文化賞)、12年『白秋望景』(伊藤整文学賞)がある。その他、『マイ・バック・ページ ある60年代の物語』、近著に『映画の木洩れ日』(キネマ旬報社)、『遠い声/浜辺のパラソル』(ベルリブロ)がある。