イラスト/瀬藤優

評論家の川本三郎さんによる、山田太一ドラマの魅力に迫る連載。今回は、中年男女の恋愛を描いた山田ドラマの中でもベストと川本さんが推す『遠まわりの雨』です。渡辺謙と夏川結衣が演じる、かつて恋人同士だった二人が20年後に再会して起こるさまざまな感情の機微をじっくり追いかけたこの名作を、川本さんと共に味わっていきましょう。

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遠まわりの雨
前編

作品:
遠まわりの雨
2010年3月(全1回)日本テレビ
脚本:
山田太一
演出:
雨宮望
音楽:
村井邦彦
挿入歌:
スーザン・ボイル「翼をください〜Wings To Fly」
出演:
渡辺謙、夏川結衣、岸谷五朗、田中美佐子、AKIRA(EXILE)、川島海荷、井川比佐志、YOU、近藤芳正、日野陽仁、渡邊紘平、藤村俊二、柳沢慎吾、キムラ緑子、筒井真理子ほか

山田ドラマには珍しく町工場が舞台に。

大人の男女の恋を描く素晴らしいドラマ。

昔気質の町工場の職人だった渡辺謙と、その町工場の経営者の妻、夏川結衣の二人がとてもいい。山田太一の恋愛ドラマのなかでもベストといっても大仰ではないだろう。 

二〇一〇年三月に日本テレビで放映された二時間ドラマ。

舞台は、町工場が数多く並びたつ東京・大田区の蒲田あたり。京浜工業地帯の一角で、機械づくりの町。熟練の職人たちが日本の重工業を底辺で支え続けている。

郊外住宅地の中産階級の家庭を描くことの多い山田太一としては、町工場の職人たちの暮しを取り上げるのは異色。おそらく二十一世紀になりIT社会が進んでゆき、職人の世界が次第に古い、と時代から取り残されてゆく現実を愛惜するところからこの作品は生まれたのだろう。

2010(平成22)年3月27日(土)、放送時のテレビ番組表(クリックすると拡大します)。写真提供/毎日新聞社

苦境の零細企業に訪れる千載一遇のチャンス。

羽田空港に近い蒲田の町工場のひとつに、秋川精機という小さな精密機械工場がある。社長の秋川起一(岸谷五朗)を中心に社員は五、六人ほど。家内工業といっていい。社長も現場で工員と一緒になって働く。

社長夫人の桜(夏川結衣)も、社長夫人然としてはいられない。経理のことから日常の雑務までこなす。起一とのあいだに子どもはいない。小さな町工場を守ってゆくのに精一杯で、子どもを作る余裕はなかったのだろう。

いま、工場は危機にある。零細企業では時代の流れにたちゆかなくなっている。ここ半年、仕事は減っていてボーナスも払えない状態になっている。

そこへある日、思いもかけず、ヨーロッパのある国から、風力発電に使う部品の注文が入る。細かい作業が必要で、秋川精機の技術が見込まれた。

秋川精機は「金属絞(しぼ)り」という作業を得意としている。金属板をアルミニウムでもステンレスでも鉄でもなんでも、()()という長い金属棒を()()の原理を使って、曲げたり丸めたりして部品を作ってゆく。鍋のようなものからネジのような小さなものまで。職人業(わざ)を必要とする。ヨーロッパの企業が秋川精機の技術力の高さを知ったのだろう。風力発電機の重要な部品の製作を発注してきた。

社長も社員も喜ぶ。自分たちの高い技術力が海外で認められたのがうれしい。社長夫人の桜は、これが成功すれば会社の経営がひと息つけるのがうれしい。

かつての恋人を訪ねる胸の高まり。

ところがその矢先、仕事の中心になるべき起一が脳卒中で倒れ、入院することになってしまう。熟練の腕を要する〝絞り〟の技術は他人にはまかせられない。

そのとき、桜は、以前、起一と一緒になって働いていた福本草平のことを思い出す。

二十年ほど前、草平は桜の恋人だった。そのあと桜は起一を知って、起一のほうと結婚してしまった。「職工」より「経営者の息子」のほうを選んでしまった。

「絞り」の腕は起一より、草平のほうが上だったかもしれない。町工場の経営危機に直面して、桜は草平に助けてもらおうと決心する。振ってしまった昔の恋人の手を借りるなど虫のいい話だが、切羽詰まったうえのことだし、それに心のどこかに昔の恋人に甘えたいという気持ちもあっただろう。草平なら自分の頼みを聞いてくれるかもしれない、という思いがある。

桜が起一と結婚したために同じ町工場に居づらくなった草平は姿を消した。風の便りにいまは前橋に住んでいるのがわかっている。

桜は思い切って前橋に草平を訪ねてゆく。二十年ぶりの昔の恋人との再会に、どこか胸が高鳴るのを隠せない。

イラスト/オカヤイヅミ

草平の荒んだ家庭状況が目の当たりに。

草平は、秋川精機を辞めたあと、別の町工場で働いていたが、そこは二年ほど前に倒産してしまい、いまは前橋のホームセンターで働いている。

モノ作りでずっと生きてきた職人が、モノを売る慣れない仕事に転職した。生活のためとはいえ無念なことだろう。

買った商品が壊れてしまったとクレームをつけてくる女性客(筒井真理子)に、大きな身体を屈して謝らなければならない。自分が長いあいだかけて習得した技術とはまったく無縁の仕事を、生活のために続けなければならない。

徐々にわかってくるが、草平には妻(田中美佐子)と中学生の娘がいる。夫婦のあいだはうまくいっているようには見えない。草平が不本意な仕事をしていることに生きる喜びを感じていないことが妻にも分かるからだろう。

雪菜という中学三年生の娘は、反抗期にあって両親とうまくいっていない。父親が自分の仕事を誇りに思っていないことが娘にも分かるのだろうか。

桜が前橋に草平を訪ねる。戸建てのそれなりにいい家である。インターフォンを押すといきなり玄関の戸が開き、娘が飛び出してくる。母親と言い争ったらしい。草平の妻、万里は、訪ねてきた桜を見ると、こっちはそれどこではないとばかり要件も聞かず「これ見て」と玄関のなかを見せる。娘が怒って壊したらしい花瓶のかけらが乱雑に散らばっている。それを見て桜は、草平の家庭がどこか荒んでいるのを感じる。

美しさを増した桜に戸惑う草平。

桜はホームセンターのほうに草平を訪ねる。ちょうど草平が、女性客のクレームを受けて謝っているところ。

草平は二十年ぶりに会う桜にぶざまな姿を見られてしまい、ばつが悪い。おまけに相手は、自分より起一を選んだ女性。平静ではいられない。それでも桜を見て思わず「前よりきれいになった」と口にしてしまう。実際、桜を演じる夏川結衣は、町工場のおばさんらしくさほどおしゃれはしていないのだが、大人の落ち着いた美しさがある。

桜は、二十年ぶりに会っても草平は、自分の無理な願いを聞いてくれるのではないかという思いがある。自信がある。

しかし、草平は「もう仕事を辞めて何年もたつから腕がなまっている」と断る。無理もない。

草平に断られ、前橋駅から電車で帰ろうとする桜の足は重い。これから大事な仕事をどうしたらいいのか、行き詰まった思いがあるし、昔の恋人の草平なら自分の願いを聞いてくれるのではないかという期待、自信もあったから帰りは元気をなくしている。
※以下、中編に続く(10月16日公開)。

川本三郎(かわもと・さぶろう)

1944年、東京・代々木生まれ。東京大学法学部卒業後、朝日新聞記者を経て、映画や文芸、都市論などを中心とした評論活動に入る。主な著書に『大正幻影』(91年・サントリー学芸賞)、『荷風と東京「断腸亭日乗」私註』(97年・読売文学賞)、03年『林芙美子の昭和』(03年・毎日出版文化賞)、12年『白秋望景』(伊藤整文学賞)がある。その他、『マイ・バック・ページ ある60年代の物語』、近著に『映画の木洩れ日』(キネマ旬報社)、『遠い声/浜辺のパラソル』(ベルリブロ)がある。

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