わたしの介護

32

介護には客観的な視点が重要。
いいケアマネさんに出会えました 【後編】

父亡きあと母と同居して約20年。物忘れが増え、毎晩、悪夢にうなされる母。まさかこれが認知症の始まりとは思いもしなかったという入江さん。自分だけでなく家族が壊れる寸前で介護付き有料老人ホームへの入居に踏み切るも、今なお心は揺れると言います。

わたしの介護年表

2004年
母74歳

父が亡くなり、喜和さんのマンションで同居を始める。

2011年
母81歳

一人になる不安が激しくなる。物忘れが多くなり、火の始末や戸締りも忘れがちに。就寝時のいびき、悪夢にうなされ寝言がひどくなる。

2015年
母85歳

うつ病を疑い、心療内科を受診する。性格がいじけたようになる。幻視が起こる。

2018年
母88歳

レビー小体型、アルツハイマー型との混合型の認知症と診断。要介護2によりケアマネがつき、デイサービス、次いでショートステイを利用。便秘症状が悪化。訪問看護を導入し、摘便の処置。

2022年
母92歳

実の妹と共に介護付き有料老人ホームに入居。

2023年
母93歳

コロナ禍を経て、月1回の面会が可能に。やや認知症は進行。

※年号・歳の一部は目安です。

締切りに追われているのに
うんちが出なくて救急車!

ケアマネさんはデイサービス、ショートステイ、訪問介護が一つの事業所でまかなえる小規模多機能型居宅サービスの方でした。違うサービスでも顔なじみのスタッフがいる場所で受けられるので、環境の変化を嫌う母の混乱が少なくてすんで良かったと思います。

それでもデイサービスは、いつもだましだまし。説得するのには本当に苦労しました。

この時期は、ちょうど『ゆりあ先生の赤い糸』の連載期間と重なっていて、毎月締切りに追われる日々。それなのに母は、失禁対策の尿取りパッドをトイレに流してしまい、つまらせては水が溢れて、何度も水道修理屋さんを呼ぶことに。それに凝りてパンツタイプの大人用おむつに変えました。

うんちが「出そう~」でトイレに連れていき、「出ない~」で部屋に連れて帰る、とトイレと部屋を往復することもしょっちゅうでした。腹痛で救急車要請をすることもありました。いま連載中の『みっしょん!!』(認知症の母を介護しながら、下町の書店を営む主婦の葛藤と再生の物語)に描かれているシーンは、ほぼ実話です。

ケアマネさんに「お正月にもトイレのひと騒動があって、困りました」とこぼしたら、「そろそろ訪問看護をつけるべきですよ」と言われ、週1回、看護師さんが来るようになりました。便秘がひどい時には「摘便(直腸に指を入れて便の排出を促す医療ケア)」をしてもらえて、やっと安心できました。

「うちにいたらもっとボケるよ」と言い聞かせるが、抵抗は激しい。
『みっしょん!!』(第1話 車が来る日)より

「限界ですよ」と言われて
決心した施設への入居

でも、仕事と母との板挟みの生活はあいかわらず。ショートステイを利用するも、2022年頃には、ついに私の具合が悪くなってきました。ひどいめまいと寝込むほどの片頭痛、それに母の体を支えるのに椎間板ヘルニアにもなってしまって。その時もケアマネさんに、「まいりましたよ」なんて軽い調子で話したんです。すると、「ちょっと待って。もう限界ですよ。お母さんはまだ元気そうに見えるけど、90歳を超えている。これから病気になる可能性も高くなる。ここは最初から介護付きの老人ホームに入居させたほうがいいです。このままでは共倒れになります。入江さんが先に入院することになったらどうするんです?」

限界と言われては決断するしかない。ただ、問題はまた、どう母を説得するかです。ショートステイでも大変なのに、施設だなんて。何日も寝られないほど悩みました。

その時、「あ!」と思いついたんです。当時、同じく認知症になっていた叔母も入居させればいいじゃないかと。姉妹一緒なら納得するかも、と従妹と相談して見つけたのが千葉の介護付き有料老人ホームでした。ただ、入居金や月額費用は決して安くはない。同じ部屋なら費用面で助かると思いましたが、施設の方から「最初はいいんです。でも、ご夫婦でさえ、だんだん体調の変化や病状が進むうちに“いっしょにいると落ち着かない”と途中で別室に変更する方が多い」と言われて。それぞれ個室にするしかないかと考え直しました。すると、タイミングよく隣同士で部屋が空いた。「もっと私が仕事をすればいいんだ!」と腹をくくって、「ここに決めます」と即答。2ヵ月後に、なんとか母と叔母を施設に入居させました。

私の体調不良でついに限界に。
老人ホーム入居への説得に
また悩みました

介護で辛い時には
何か楽しめることを

母との20年を振り返ると、介護には客観的な視点がないとダメだと痛感しました。信頼できるケアマネさんがいてくれて、本当に助かりました。

一番辛い時に、運転免許を取ったんです。「何か別なことがしたい!」、とにかく逃避したかった。「車なんて絶対向いてないからやめろ。マニュアル車なら踏み間違いを起こさないからいいけど」と夫に言われて、「わかった。マニュアルで取る」と宣言。教官に怒られてへこむこともあったけど、家に帰ると母が「大丈夫?」といたわってくれて。いつもは鬱陶しい母の優しさが身に沁みました。

免許を取ったことで、気分的にめちゃくちゃ救われました。介護で辛い時は、圧倒的にこれなら楽しめるということをやらないとだめですね。それから癒しの時間も大事。私の場合は、飼っている文鳥とゴロゴロするのが一番心休まる時間です。母も大好きな子(文鳥)だったので、老人ホーム入居の日も、カゴに入れて一緒に見送りに行きました。

今年5月からやっと月1回、面会に行けるようになりましたが、母は寝ていることが多く、一気に「認知症のおばあさん」になってしまいました。これで良かったのかと今も葛藤することがあります。「もう少し在宅介護ができたんじゃないか」「仕事を理由に楽をしてしまったのではないか」。毎日、思いは揺れています。

取材・文/小泉まみ 漫画転載協力/講談社『BE・LOVE』編集部 写真/島崎信一 協力/株式会社Miyanse
月刊益軒さん 2024年1月号』(カタログハウス刊)の掲載記事を転載。

もくじ