
映画評論の大家である山田宏一さんに、毎月、とっておきの映画を「2本立て」で紹介していただくコーナーです。今回取り上げる洋画は、アルベール・ラモリス監督の詩情あふれる小品『赤い風船』。そして邦画は没後70年を迎えた溝口健二監督の代表作『雨月物語』です。前者はカラー撮影の美しさが、後者はモノクロ撮影の幻想的な美しさが際立つ名作の2本立てを堪能いただきます。
紹介作品
赤い風船
製作年度:1956年/上映時間:34分/監督・脚本:アルベール・ラモリス/撮影:エドモン・セシャン/音楽:モーリス・ルルー/出演:パスカル・ラモリス、サビーヌ・ラモリス、ジョルジュ・セリエ、ウラディミール・ポポフ、ポール・ペレー、ルネ・マリオン、ミシェル・プザンほか
雨月物語
製作年度:1953年/上映時間:96分/監督:溝口健二/原作:上田秋成/脚本:川口松太郎、依田義賢/美術:伊藤熹朔/撮影:宮川一夫/音楽:早坂文雄/出演:京マチ子、森雅之、水戸光子、田中絹代、小澤榮、青山杉作、羅門光三郎、香川良介、南部彰三、光岡龍三郎ほか
●少年と風船の心温まる交流を描く名作中の名作
「The Albert Lamorrisse Collection 美しき映像詩人の世界」という、「詩と夢を視覚化した」映画詩人の名称にふさわしいアルベール・ラモリス監督の珠玉の名作選がブルーレイBOX(シネマクガフィン発売)で出た。アラビアの少年とロバのささやかな冒険(とはいえ、少年には大冒険)物語を描いた『小さなロバ、ビム』(1949年)、南フランスのカマルグ地方を舞台に野生の馬と少年の心温まる愛情物語を描いた『白い馬』(1953年)、言葉では言いつくせない「子供の夢を絵にした」名作中の名作『赤い風船』(1956年)、少年と老人が巨大な気球に乗ってフランス中を旅してめぐるアラビアン・ナイトの空飛ぶじゅうたんの伝説の現代版とも言うべき『素晴らしい風船旅行』(1960年)、時計泥棒の青年(フィリップ・アヴロン)がサーカス小屋に逃げ込んで天使の翼をつけて空中を飛ぶ役を仕込まれ、本当に天使のように大空を飛びまわることができるようになって、悪者をこらしめたり、ついでに珍しい時計を盗みまくったり、恋をしたり、やりたい放題の大あばれというドタバタ喜劇(最後にはやっと普通の人間に戻って人並みに結婚できたけれども生まれた子供には…とこれは見てのお笑いのおたのしみということに)『フィフィ大空を行く』(1965年)という夢のような長短篇5本立ての組合わせ。『赤い風船』と『素晴らしい風船旅行』はカラー作品。
『赤い風船』のカラーの美しさはいま見ても、ただもう魅惑されるばかり。パリのモンマルトルの石段を下ってきた少年が街灯を見上げてよじのぼる。赤い風船がひっかかって身動きできずにいるので助けてやる。というのが、少年と風船の無言の友情のはじまりになる。まるで捨て犬を拾ってたちまち愛犬のように仲よくなっていっしょに散歩するみたいだ。最初は風船の紐を手に取って歩くが、バスに乗ろうとするとことわられ、しかたなく手放すと、風船はどこかへ飛んでいったりせずに少年の乗ったバスのあとを追って飛びつづける。少年もバスを降りて、風船といっしょに学校へ走って向かう。教室にも風船は入れないので、少年は学校にいるあいだは門衛に風船を預かってもらう。放課後、少年は風船を手に下校するが、途中で雨が降ってくる。傘を持った通行人を見つけると、少年は風船が雨に濡れないように傘に入れてもらう。自分はずぶ濡れになってしまって帰宅した少年の姿を見て、母は風船を取り上げて外に放り出してしまう。しかし、風船はそのままよそへ飛んでいかず、少年の部屋の窓辺にとどまって、どこへも行こうとしない。以後、風船はつねに少年につきまとって——すっかりなついてしまって——どこへでも後をついてくるようになるのである。
赤い風船を持った少年が青い風船を持った少女に出会い、すれちがうところがある(少年を演じたのはアルベール・ラモリス監督の小さな5歳の息子、パスカル・ラモリス、少女を演じたのはそのまた小さな妹、サビーヌ・ラモリスだった)。すれちがったあと、一瞬、間があって、青い風船が赤い風船を追いかけてくるところがなんとも微笑ましい。
仲よしの少年と赤い風船をねたんだ悪童どもが石を投げつけたりして坂道や狭い建物のあいだの露地裏をしつこく追いかける。ついに赤い風船だけを廃墟のような場所に追いつめた悪童どもはパチンコで石つぶてを嵐のように一斉射撃、赤い風船は力つき、命つきて地に落ちる。ゴムの袋から空気がもれ、風船がしぼんでいく。悪童のひとりがそのしぼんだ瀕死の風船を足で踏みつぶす。まるで止めを刺すような残酷さである。しぼんだ赤い風船の亡骸を手に少年は落ち込み、悲しむ。心が痛むシーンだ。
色とりどりの風船があちこちから赤い風船の死を悼み、悲しみ、少年をなぐさめようとして飛んでくる。そしてみんなで——ひとかたまりの風船が——少年をかかえるようにして空のかなたへ飛び去っていくのである。なんとも素敵な(としか言いようのない)34分の小品の傑作である。

イラスト/池田英樹
●ゆるぎのない演出と俳優の緻密な演技があいまった名篇
日本映画は今年(2026年)が没後70年になる溝口健二監督(1898年5月16日生〜1956年8月24日没)の不朽の名作(と言ってもいいと思う)の1本、『雨月物語』(1953年)を取り上げたいと思う。たしか、10年前(2016年)のフランスの第69回カンヌ国際映画祭でマーティン・スコセッシ監督の監修による4Kデジタル復元版のワールドプレミア上映がおこなわれ、鮮明な画像でよみがえったモノクロの幻想の世界に多くの映画ファンが酔いしれ、拍手喝采を浴びたというニュースをテレビで見たか新聞で読んだ記憶があり、ひょっとしてと期待をこめてKADOKAWA発売のブルーレイdiscを見たところ、ずばり「幽玄な映像美に息を呑む、映画史に今なお輝き続ける傑作! 巨匠・溝口健二作の代表作がマーティン・スコセッシの主導により4Kデジタル修復で蘇る!」という、これこそ見たかった版で、マーティン・スコセッシが『雨月物語』という映画の魅力とその修復について語るインタビューの特典付きである。
この連載でもすでに取り上げたイギリス映画、マイケル・パウエルとエメリック・プレスバーガーの共同監督によるバレエ映画『赤い靴』(1948年)のデジタルリマスター・エディションと同じケースだ。『赤い靴』はカラー作品、『雨月物語』はモノクロ作品、どちらも映像美の極致をきわめた名作だ。赤い靴が赤く見えないほど劣化していた映画を絢爛たるテクニカラー作品によみがえらせたのもマーティン・スコセッシだった。そのデジタルリマスター・エディションも2009年のカンヌ映画祭でワールド・プレミア上映された。
映画の保存、復元活動に挺身する支援団体「ワールド・シネマ基金」(と最初は呼ばれていたが、その後フィルム・ファウンデーションが一般的になった——設立は1990年)の代表を務める映画監督、マーティン・スコセッシがカンヌ映画祭で会見し、同基金を通じて復元された作品のデジタル化構想を発表したのは2007年で、以来、カンヌ映画祭のクラシック部門で復元版のプレミア上映をつづけている。「映画フィルムはデリケートなもの。最善の環境で保管しなければ劣化するばかりだ。保存と復元は時間との戦いだ」とスコセッシは語る。
江戸後期の読本(よみほん)作者、上田秋成の怪異小説集「雨月物語」から「蛇性の婬」と「淺芽が宿」の2篇を中心に19世紀フランスの小説家ギー・ド・モーパッサンの短篇「勲章をもらったぞ!」を加えて脚色した(川口松太郎が小説の形で書いたものから依田義賢が映画用の台本を書いた)映画『雨月物語』は、溝口健二監督の1ショットもゆるがせにしない構図や、キャメラの動き(撮影は名手、宮川一夫)、貧しい農民を演じる森雅之、田中絹代、小澤榮(小沢栄太郎)、水戸光子、それにもっと身分の高い役の京マチ子といった俳優たちの力のこもった緻密な演技も相俟って、格調ある名篇になった。
「雨月物語」の奇異幻怪は/現代人の心にふれる時/更に様々の幻想をよび起こす/これはそれらの幻想から/新しく生れた物語です——という字幕から映画ははじまり、「戦国時代/ある年の早春/近江国琵琶湖の北岸」という字幕とともに物語がはじまる。
一面に深い靄がかかった琵琶湖を小舟が静かに逃げ隠れするように渡るシーンの墨絵ぼかしのような妖しく(と言ったらいいか)、霊妙な(と言ったらいいか)、不気味で幻想的な美しさ。「まるで地獄との境い目のような場所に靄が立ちこめ、その視覚的効果だけで物語が紡ぎ出されるのです」とマーティン・スコセッシも感嘆する。水戸光子が小舟のなかで立って櫓を漕いでいるのだが、小舟は進むとなく進む(というか、実は小舟は動いていないのだが、動いているかのように見える)。「あれはクレーンに乗せたキャメラだけが不安定に動いているんです」とキャメラマンの宮川一夫はその不思議な視覚的効果の秘密を語っている(「宮川一夫+淀川長治 映画の天使」、パンドラ/現代書館)。ステージにプールを作って、「周囲を全部グレー一色に」して、ライト(照明)は全部上から、そしてスモークを焚いて、「映画はお化けの話なものですから、キャメラ[の動き]が止まらないで、いつも不安定な位置でクレーンにいつも乗って撮ると、プールの上にクレーンを突き出しまして、キャメラはいつも動いている。舟は止まっているわけです。[小さなプールなので]動くとバレますから真ん中に置いて、舟だけ少し揺らしたりして、キャメラだけが逆に動きつづけていくことによって、舟が動いているように見せて撮ったわけです」。
まさに「お化けの話」になるのだが、京マチ子の演じる公卿のお姫様もお化け(亡霊)で、森雅之が誘惑され、岩風呂に入ると湯があふれ出る。キャメラはそのあふれ出る湯の流れを追いながらパンしていくとそのまま歓楽におぼれた森雅之と京マチ子が行楽シーンで親密にたわむれている姿につながる。「失われた時を求めて」のマルセル・プルーストの初期の文集「快楽と日々」を引用して、その失われた時を一瞬のキャメラのパンで描ききった名場面として批評家時代のジャン=リュック・ゴダールが絶賛した名場面である。歓楽の果てにすべてを失った森雅之は——その間に妻の田中絹代が飢えた野武士に襲われて殺されたことも知らずに——故郷の村へひとり帰ってくる。田中絹代もまた、ラストシーンで忘れがたいお化け(亡霊)を演じる。死んでもささやかな幸福を願う美しい妻の亡霊である。荒れ果てたわが家に人影もないので、妻の名を呼びながら森雅之が家の裏までさがしにいき、ひとまわりして入口に戻ってくると(ここはキャメラもカットを割らずに、溝口健二監督特有のワンシーン=ワンカット方式で緊張感を持続させる名場面だ)、人影もなく荒れ果てていたはずの母屋に明るいロウソクの灯がともり、囲炉裏には鍋がかけられ、部屋の片隅には子供を寝かしつけて、夕飯の用意をととのえている田中絹代の妻がやさしく待っている光景に出くわすのだ。「身勝手な愚行で身を滅ぼした男が失った大切なものを見出す」最も感動的なシーンだとマーティン・スコセッシは語る。「照明と役者の動作によって実に悲しく心をゆさぶられるシーンだ」。
森雅之の義理の弟役の小澤榮のほうもまた、武士になろうなどという「身勝手な愚行」で出世はしたものの、そのために妻の水戸光子がどんな境遇に身を落とすことになるかは、戦乱の避けがたい運命のように描かれるというきびしい反戦映画でもある。

イラスト/池田英樹
「映画評論家・山田宏一の
“今月の二本立て映画」が
本になりました!
『山田宏一のとっておき二本立て映画館』
山田宏一著
草思社 3,400円(+税)
『WEB通販生活』の人気連載「映画評論家・山田宏一の“今月の二本立て映画”」に大幅加筆。とっておきの邦洋画86本のみどころやエピソードがギュッと詰まった、映画ガイド風エッセイができあがりました。読むだけで夢の世界に引き込まれること間違いなし。映画をこよなく愛する映画評論家、山田宏一さんならではの映画愛溢れる1冊です。

イラスト/野上照代
山田宏一
やまだこういち●映画評論家、翻訳家。ジャカルタ生まれ。東京外国語大学フランス語学科卒業。1964~1967年にパリ在住。その間「カイエ・デュ・シネマ」の同人となり、ジャン=リュック・ゴダール、フランソワ・トリュフォーらと交友する。