映画評論家・山田宏一の今月の“2本立て映画”

映画評論の大家である山田宏一さんに、毎月、とっておきの映画を「2本立て」で紹介していただくコーナーです。今回は前回に引き続き、清水宏監督作品とロバート・ミッチャム主演作の2本立てです。前者は子役が大活躍する感動作の『風の中の子供』、そして後者は独特な美しさが際立つカルト作と、どちらも見る人を夢中にさせるとっておきの組み合わせとなりました。

紹介作品

風の中の子供

製作年度:1937年/上映時間:85分/監督:清水宏/原作:坪田譲治/脚色:清水宏、斎藤良輔/撮影:斉藤正夫/音楽:伊藤宣二/出演:河村黎吉、吉川満子、葉山正雄、爆弾小僧、坂本武、岡村文子、末松孝行、長船タヅコ、石山隆嗣、アメリカ小僧、突貫小僧、笠智衆ほか


狩人の夜

製作年度:1955年/上映時間:93分/監督:チャールズ・ロートン/脚本:ジェームズ・エイジー/撮影:スタンリー・コルテス/音楽:ウォルター・シューマン/出演:ロバート・ミッチャム、シェリー・ウィンタース、リリアン・ギッシュ、ジェームズ・グリーソン、イヴリン・ヴァーデン、ピーター・グレイブス、ドン・ベドー、ビリー・チャピンほか

 今月の「2本立て」は日本映画が前号につづいて清水宏監督の『風の中の子供』(1937年)、外国映画がこれも前号につづいてロバート・ミッチャム主演の『狩人の夜』(チャールズ・ロートン監督、1955年)。「“子供もの”の独自の境地」を切り開いた(山本喜久男「日本映画における外国映画の影響」、早稲田大学出版部)名匠の代表作の1本と、大男で表情を変えないスリーピー・アイ(眠たげな眼)のタフ・ガイとして知られる名優(というか、怪優と言うべきか)ロバート・ミッチャムの「ニューロティックな悪役ぶりが出色(キネマ旬報「外国映画人名事典」)の1本の2本立てになる。

●子役たちが躍動する清水宏監督の“子供もの”の名作

 前々回で取り上げた『有りがたうさん』(1936年)で極力つくりもののセットを排して自然の実景のなかで映画の物語も俳優の演技も流れるように描かれるという画期的な手法(岸松雄は当時、清水宏の「実写精神」と呼んで推賞した)を試みて成果をあげて以来、清水宏監督は一貫してこの手法を駆使して作品を撮りつづけることになるのだが、その根底は「子供と旅行が重大な要素になっている」と滋野辰彦は分析している(キネマ旬報「日本映画・テレビ監督全集」)。「坪田譲治の児童文学を原作とした『風の中の子供』(37)と『子供の四季』2部作(39)では、子供たちは悲劇に直面してものびのびと行動し、喜びも悲しみも生き生きと成人とはちがったエネルギーを持っている。それは清水監督が常に自然の風物のなかで少年や少女をえがくことから来ている」。

『風の中の子供』のイラスト

イラスト/池田英樹

『風の中の子供』には、こんなシーンがある。夏休みの子供たち(小学1年生の腕白坊主ばかりである)がみんなふんどしだけの裸で川のなかに走っていく。ひとりだけ、岸辺で服をぬぎかけるが、ぐずぐずしている少年がいる。アメリカ小僧ふんする金太である。松竹蒲田(すでに蒲田から大船に撮影所が移っていたかもしれない)の子役四天王のひとり——葉山正雄、突貫小僧(青木富夫)、爆弾小僧(横山準)に次ぐアメリカ小僧(末松孝作)である。松竹蒲田は小市民映画やホームドラマを得意にしていたせいか、こうしたすぐれた子役たちが育ったのだろう。「4人のそれぞれの特徴は、1925年生まれでいちばん兄貴格の葉山正雄はおっとりとした善良少年タイプで、喜劇、正劇の別なく、多くのホームドラマや小市民映画に引っぱりだこ。突貫小僧はいちばん茶目っ気があり芸達者だが、いかにも腕白坊主タイプで中流以上の家庭の坊っちゃんというわけにはいかない。アメリカ小僧はいい家庭の坊っちゃんタイプだが、実績はほかの3人に及ばない。これに対して爆弾小僧はひときわあどけなく、いじらしく、上流家庭の子供から長屋の子供までこなせるフレキシビリティを持っていた。彼は坪田譲治の原作による清水宏監督の『風の中の子供』と『子供の四季』2部作に葉山正雄と組んで善太と三平の兄弟を演じたあと、1940年に清水宏監督の『ともだち』に横山準と改名して主演。この改名は1939年施行の映画法による戦時統制のためで、突貫小僧は本名の青木富夫、アメリカ小僧は末松孝行と変えた」(清水晶、キネマ旬報「日本映画俳優全集」)とのこと。
『風の中の子供』で、川のなかからふんどし姿の爆弾小僧が岸辺でぐずぐずしているアメリカ小僧に「早く来いよ」と誘う。アメリカ小僧はズボンをぬぐが、チンポコがとび出てしまう。ふんどしをするのも忘れ、パンツもはかずに、あわてて家をとび出してきたらしい。「ふんどしなんかいらないよ。早く来いよ」と爆弾小僧が言う。アメリカ小僧は思いきって裸になろうとするが、やっぱりチンポコ丸出しが気になって、川に入ってみんなといっしょに遊ぶのはやめることにして逃げ出す。「みんなでつかまえちゃおう」という爆弾小僧のかけ声とともに、ふんどしの少年たちが一斉にアメリカ小僧を追いかける。アメリカ小僧はズボンがずり落ちないように手でベルトのあたりを押さえながらも、爆弾小僧の三平の家の前で立ち止まって、家のなかに聞こえるように大声で「三ちゃん、弱い者いじめしてはいけないよ!」などと親たちに言いつけるくらいの悪知恵ははたらく。そして、自分の家の門前までたどり着くと、「さあ、みんな、来てみろ」と大威張りである。アメリカ小僧の金太の父親は爆弾小僧の三平たちの父親たちを社員にかかえた社長なのである。アメリカ小僧の金太は胸を張って大手を広げたとたんに、ズボンがずり落ちて、チンポコがまた丸見えになる。それでも強気に爆弾小僧の三平にこんなことを言う。「おまえのお父さん、会社やめさせられて、お巡りさんに引っぱられていくんだぞ」。これが本当のことになって、三平は父親(河村黎吉)に弁当を届けに会社に行ったとき、会社の役員たちに取り巻かれて父親が詰腹を切らされ、苦境に立たされた現場を目撃してしまう。会社の金の使い込み、文書の偽造など、あらぬ罪の疑いで父親は連行され、社宅も家財も差し押さえられてしまう。母親(吉川満子)は病院の受付や雑用で家計を支えなければならず、三平は叔父(坂本武)の家に預けられることになる。一山越えた遠くの村で親切な叔父や家族に文句は言えないもののどうしても馴染めず、三平は高い柿の木に登って家の方向を見たり、たらいに乗って川下に流されたり、河童に会いに行くと言って大きな池にとびこんで行方不明になったかと思ったら、巡業中の曲馬団(サーカス)にもぐりこんでいたり(そこで働いている突貫小僧と仲よしになる)、手が付けられないいたずらをくりかえす。喧嘩ばかりしていた兄の善太や口うるさい母親が恋しくてならなかったのだ。清水宏監督ならではの、独自の(と言ってもいいと思う)子供の世界である。そんな子供の世界を身をもって体現する爆弾小僧はまさに「ひときわあどけなく、いじらしく」感動的だ。

●不気味な美しさに満ちたカルト的名作

『狩人の夜』は、イギリス出身の肥満体の特異な容貌をした性格俳優で、戦前から戦後にかけて、イギリスとアメリカを行き来しながら、『描かれた人生』(アレクサンダー・コルダ監督、1936年)、『巌窟の野獣』(アルフレッド・ヒッチコック監督、1939年)、『ノートルダムの傴僂男』(ウィリアム・ディターレ監督、1939年)、『ホブスンの婿選び』(デヴィッド・リーン監督、1954年)などで主役を演じている(1958年のビリー・ワイルダー監督の『情婦』なども主役と言っていいかもしれない)チャールズ・ロートンが監督として撮った唯一の作品である。いまではカルト的名作になっているが、公開当時はまったく当たらず、評価もされなかったという。

『狩人の夜』のイラスト

イラスト/池田英樹

 ロバート・ミッチャムが右手の指にLOVE(愛)、左手の指にHATE(憎しみ)という文字を入れ墨して人々の前で聖書の話をし、両手の指をからめて愛と憎しみの葛藤を感動的に(?)演じてみせる「伝道師」の役なのだが、じつは偽牧師で刑務所から出てきたばかりの偏執狂の殺人鬼であることがわかる。ストリップショーで女の裸を見ると飛び出しナイフの鋭い刃がズボンを破って突き出すシーンもあり、未亡人(シェリー・ウィンタース)を誘惑して結婚の初夜にセックスの罪悪を説き、2人の子供——兄と小さな妹——を教育の名のもとに偏執狂的にいじめるといった異常さである。未亡人は殺害され、車ごと深い河の底に沈められ、死体の髪の毛が微風にそよぐかのように水中で美しくゆらぐイメージが出てくる。悪夢のように幻想的な映像だ。
 愛と憎しみの葛藤は善と悪の格闘どころか、この偽牧師のねらいは2人の子供だけが知っている大金の秘密をあばいてわがものにすることで、逃げ去る兄妹を狂ったように追いかける。チャールズ・ロートンはかつてD・W・グリフィス監督のサイレント映画に熱中した記憶に触発されてこの怪奇的な恐怖の物語(原作はデヴィッド・グラブの小説)の映画化を思い立ったとのことで、D・W・グリフィス監督の映画、『散り行く花』(1919)、『東への道』(1920)などでこの世の純粋無垢の象徴とも言ってもいい清らかなヒロインを演じた女優、リリアン・ギッシュ(すでに60歳の老女になっていたが、元気いっぱいの現役女優だった)を、ロバート・ミッチャムの演じる偏執狂的な殺人鬼に対抗して罪なき子供たちを悪から守る愛と善の形象である聖なる老女の役に起用した。映画はやさしい老女が毅然として星空を背景に画面から浮かび上がり、子供たちに聖書を読んで聞かせるシーンからはじまる。
 罪なき者を、子供たちを、「悪」が襲うという寓話的な、おとぎ話のような、D・W・グリフィス監督の映画に似た世界がドイツ表現主義映画を想起させる怪奇的な映像で描かれる。殺人鬼の魔手からのがれ、小さな兄妹は小舟で川の流れのままにただよう。陸に上がって空き家を見つけて隠れる。キャメラは夜空に星がまたたき、その反映できらめく川面をすべるように流れていく小舟を見下ろす岸辺にたたずむガマガエルや小枝に張ったクモの巣を前面にとらえた構図や、夜の静寂をぬって聞こえてくる狂信者のロバート・ミッチャムの酒に酔った歌声とともに戦慄をかきたてるはるか遠くの丘の上を裸馬にまたがってやってくるウェスタン・ハットの男の鮮烈なシルエットや、夜の闇のなかに影絵のようにそびえ立つ角張ったセットに近づいていくと、どこからともなく子守唄が聞こえ、明るい窓枠のなかに鳥籠の影がゆらめくといった妖しく美しく忘れがたい不思議なイメージをつくりあげる。子供たちを守るために夜通し窓ぎわで銃を構えて見張るリリアン・ギッシュと庭の奥の闇のなかにひそんで襲いかかるチャンスをうかがう殺人鬼のロバート・ミッチャムが同じ聖歌を歌い合うクライマックス(と言ってもいい)シーンは聖女と悪の狂信者が、愛と憎しみが、相和して二重唱に盛り上がる不気味な美しさだ。

「映画評論家・山田宏一の
“今月の二本立て映画」が
本になりました!

画像:書影

『山田宏一のとっておき二本立て映画館』

山田宏一著
草思社 3,400円(+税)

『WEB通販生活』の人気連載「映画評論家・山田宏一の“今月の二本立て映画”」に大幅加筆。とっておきの邦洋画86本のみどころやエピソードがギュッと詰まった、映画ガイド風エッセイができあがりました。読むだけで夢の世界に引き込まれること間違いなし。映画をこよなく愛する映画評論家、山田宏一さんならではの映画愛溢れる1冊です。6月4日発売。

イラスト/野上照代

山田宏一

やまだこういち●映画評論家、翻訳家。ジャカルタ生まれ。東京外国語大学フランス語学科卒業。1964~1967年にパリ在住。その間「カイエ・デュ・シネマ」の同人となり、ジャン=リュック・ゴダール、フランソワ・トリュフォーらと交友する。

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