映画評論の大家である山田宏一さんに、毎月、その時期に合わせた映画を「2本立て」(日本映画、外国映画)で紹介していただきます。その組み合わせの妙もお楽しみください。まずは「予告編」として、クリスマスにぴったりの映画から。
紹介作品
素晴らしき哉、人生!
製作年度:1946年/上映時間:130分/製作国:アメリカ/キャスト:ジェームズ・スチュアート、ドナ・リード、ライオネル・バリモア、ヘンリー・トラヴァース、トーマス・ミッチェル/監督:フランク・キャプラ/原作:フィリップ・ヴァン・ドレン・スターン/脚本:フランセス・グッドリッチ、アルバート・ハケット
フランク・キャプラ監督の『素晴らしき哉、人生!』は、毎年、クリスマスがめぐってくるたびに見たくなる幸福な映画だ。世界中どこにでも日ごと夜ごと湧き起こりつつある笑いと涙と怒りと歓びと希望と絶望をユーモアと哀感をこめて描く人情喜劇と言ってしまうのは簡単だが、製作・監督のフランク・キャプラの愛情と善意がどのシーンにも、どのカットにも躍動していて、見る者の心を圧倒的な幸福感で充たしてくれる奇跡のような映画だ。生きる気力を与えてくれる稀有な映画だ。廉価販売のDVDで久しぶりに見て、あらためて何度見ても素晴らしい感動作であることを確認した。
底抜けにハッピーなドタバタ騒動
白黒の古い映画で(1946年の作品である)、暗い夜のシーンなど画面が黒くつぶれて見えにくくなるところもあるのだが、本質的な明るさは失われていないと言ったらいいか。主人公(ジェームズ・スチュアートが好感度100%の名演だ)がどんなに悲惨な状況におちいっても、奇跡がハッピーエンドをもたらすというフランク・キャプラ喜劇の単純で力強い魔力のような、よき時代のアメリカ的な、あまりにアメリカ的な楽天主義にぐいぐい引きずられ、目の前が急に明るくなり、画面のちょっとぐらいの暗さなど吹き飛んでしまうだろう。だいいち、涙で目がくもって見えなくなるシーンの連続なのだ。
映画がはじまると、地球から遠く星々の輝く天空のかなたで、天国の神さまと天使が話し合っている声が聞こえてくる。誰もが幸福であるべきクリスマスイブだというのに、地上のどこかでひとりの男が絶望して自殺しようとしている。家族や町の人たちがみんな彼の身を心配しているので、なんとか男の命を救ってやらねばならない、というような話し合いである。そこでクラレンスという名のまだ翼のない二級天使が、この人命救助に成功すれば翼を与えられて一級天使に昇格できるという条件で地上に派遣されることになるのだ。まさにクリスマスの贈り物のような夢にあふれたお伽噺なのである。フランク・キャプラ版「クリスマス・キャロル」と言ってもいいだろう。
なぜこの映画の主人公は自殺をしようとするまで追い詰められたのか。そこに至るまで、その生い立ちから恋愛、結婚、仕事の失敗、夢の挫折のすべてが語られていく悲喜こもごものフラッシュバック(回想)がいわば映画の第1部になる。少年時代のエピソードでは彼をめぐるふたりの少女が出てきて、ひとりはやさしくつつましく、やがて彼と結婚することになるのだが、少年の聴こえないほうの耳に向かって「好きよ」とささやくという忘れられないシーンがあり(なぜ少年の片耳が聴こえなくなったかという事故のエピソードが最初の回想シーンになる)、もうひとりの少女はすでに浮気っぽい片鱗を見せるという微笑ましさで(大人になってからのあだっぽい役を演じるのは犯罪映画の情婦役が多かったグロリア・グレアム)、主人公と結ばれるのはドナ・リードで、その清楚な美しさがこの映画ほど印象的なことはなかったと思う。
ジェームズ・スチュアートとドナ・リードが踊りまくる愉快なチャールストン・ダンスのコンテストのシーンでは、ホールの床の下がプールになっていてスイッチひとつで床がまっぷたつに割れるという設計が見事に映画的なギャグになり(フランク・キャプラ監督はサイレント時代のドタバタ喜劇のギャグマン出身だった)、踊りながらプールに落っこちたふたりがそんなことを物ともせずに水中でも踊りつづけると、次々にみんな競い合ってとびこむという、よき時代のアメリカ映画ならではの底抜けにハッピーなドタバタ騒動になる。それにつづく月夜のデートのシーンでは、なんとなくもじもじして歌ったりおしゃべりばかりしているふたりの恋人たちを、夕涼みに2階のベランダに出ていた見知らぬおじさんが見て、「ええい、じれったい、早くキスしろ!」とどなって、お節介をやくという、これまた愉快なよき時代のアメリカ映画ならではの忘れがたいシーンだ。
あちこち雨漏りのするボロ家で新婚の夜を迎えるシーンも忘れられない。ふたりの親友、警官のワード・ボンドとタクシー運転手のフランク・フェイレンが雨合羽を着てどしゃ降りの夜の雨に打たれながら窓の下で「♪わが愛は真実、永遠に真実……」と新婚のカップルを祝福して歌う。
そして、クリスマスツリーの鈴が鳴る
ヘンリー・トラヴァース扮するオトボケ二級天使クラレンスがついに出現する映画の第2部はかなりクレイジーなおかしさだ。なにしろ、この天使、293歳になろうとしているのに、マーク・トウェインの少年小説「トム・ソーヤーの冒険」を愛読書にして手放さないでいるやんちゃ坊主みたいな爺さんで、200年前から翼がほしくてもらえなくて格好がつかずにいるのである。この天使の出現で、自分は人生の敗残者で生きる価値のない、死んだほうがましだと自殺を決意した主人公は「自分が生まれなかった世界」を見せつけられることになる。まるで怪奇映画さながらの無気味なファンタジーだ。
思い直して「この世」にふたたび帰されることになったジェームズ・スチュアートが、生きていることの素晴らしさを噛みしめ、人々に家々に心から「メリー・クリスマス!」と叫びながら我が家に向かって駆けて行く姿には思わず目頭が熱くなる。そして、奇跡の大団円。クリスマスツリーに飾られた数々の小さな鈴のひとつが鳴るのを聞いて、小さな女の子がうれしそうに叫ぶ。「天使が翼をもらったのよ」。人助けの任務を果たしてやっと少年時代から抜け出たらしい天使クラレンスがジェームズ・スチュアートに残していった「トム・ソーヤーの冒険」の見返しにはこんな伝言が書かれている――「友ある者は人生の敗残者ではない。翼をどうもありがとう」。
映画は友人たちが全員集合し、友人ではないお役人たちも巻き込んで、もうすぐ無事に年を越して新年を迎える歓びと、神さまのお恵みを祈る「螢の光」(原曲の作詞はロバート・バーンズの詩による「なつかしい昔」)の大合唱で終わる。「♪友を忘れてなるものか。友愛とともに生きてきた過ぎし日々に乾杯しよう」。
「今月の2本立て」と銘打ってはじめた連載で、もう1本、日本映画のほうは「忠臣蔵映画」を考えていたのだが、どの「忠臣蔵映画」を選ぶべきか、あまりの数の多さに迷いながら次回にまわしていただくことにした。では、「クリスマス・キャロル」のティム坊やの口真似ではないが、神さまのお恵みとおゆるしを祈りつつ。
イラスト/野上照代
山田宏一
やまだこういち●映画評論家、翻訳家。ジャカルタ生まれ。東京外国語大学フランス語学科卒業。1964~1967年にパリ在住。その間「カイエ・デュ・シネマ」の同人となり、ジャン=リュック・ゴダール、フランソワ・トリュフォーらと交友する。